第三章旅立ち一



以心伝心というものか、仲間を増やすために懸命に説いて廻った。多くの仲間に声を掛ける。幾度も説き、それにより心に変化が生まれ、己の意思で行動するようになるまで意識改革を行なっていた。

それは大いに根気の要るものだ。各人の進捗状況が、それぞれ違うため止む終えないことである。ただ導くだけでなく、俊介自身も獲物を捕りながら工夫し、その効果を具体的に事例として教え込む。そこで今までとの違いを理解して貰い、今度はそれを手本に考えさせ行動して学習する。その繰り返しを、夫々の対象者の進捗に合わせて行う。それこそ寝る暇を惜しんで携わっていた。とは言うものの、すべてが順調に行くとは限らない。でも、歯を食いしばり全力で突っ走っていた。

だが疲れ立ち止まった時、ふと久美子のことを考えている。するとあの時受けた温もりがふつふつと蘇えり、仕事の張り合いとは異なる得も知れぬ甘酸っぱい何かが込み上げてきて、鼓動が高鳴るのだった。俊介にとって、こんな気持ちは初めてである。

これは、この息苦しくさはいったい何だろう…。ああ、俺に触れたあの胸の感触…。

思い出すと、頭の中が熱くなりついと名を呼ぶ。

「久・美・子…」

そして願う。

お前に会いたい。そしてこの前と同じように、我が腕で抱き留めたい。

そんな思いが湧いてくる。すると、胸が締め付けられるように痛くなり、目の前が揺れるのだった。

脇目も振らず改革に邁進する俊介にしても、彼女のことを考えると心が乱れた。理性が崩れ、欲望が台頭してくる。自分でも抑え切れぬほど心が揺れ、如何にも息苦しかった。

その証拠に、今までにない経験をする。己の意思とは別に、股間のものが大きくなり疼いていたのだ。

ああ、久美。何処にいるんだ。会いたい…。

その刹那想いは、自身の意思とは関係なく、互いを求め合う見えぬ糸で結ばれるように伝波してい行ったのである。

それとて俊介には、今まで感じたことのないものであり、異性として認めあるいは一人の女として意識したわけではない。恋するというものを理解できたわけではなかった。事の発端がただ再び会えた喜びを、最大限あのような形で表しただけであり、自然にそのようになったに過ぎない。

俊介にしてみれば、その時はそれだけの感覚であった。成熟した久美子の身体は、確かに今まで意識したことがなく、そのふくよかな胸の感触は驚きに値するものだった。

自分にないものを知ることにより、眠っていたものが呼び起こされるが如く、本能的に女としての彼女を求めるに至っていたのだ。勿論、それは憧れみたいなものだったに違いない。

とは言え仕事の合間に気づくと、彼女のことを考えることが多くなっていた。

しかし、如何してだろうか。あの時受けた衝撃が、この胸に疼きとなって蘇る。久美子の豊かな胸の膨らみ。ああ何とも言い難い、あの感触が脳裏に蘇ってくる。締め付けられる胸が何と苦しいのか…。如何して、こんな風になってしまうのか。

俊介にとって何ごとも目新しくあり、この時めきも例外ではない。ただひとつ他のことと違うのは、広めゆく改革から満たされる感動とは明らかに違っていることだった。

彼女のことを考え出すと、確かに心が時めく。だが、それ以上に鼓動が高鳴り胸が苦しくなってくる。

如何して、こんなことになるのか…。

心の時めきに合わせ、切ない気持ちが湧いてくるのだった。この何とも言い難い気持ちが、改革に突き進む彼を戸惑わせ苦しめていたのである。

すると心の中に、別の俊介が現れ叱咤する。

「何を考えている。そんなことに現を抜かしておってからに。この大切な時期に何をやっている。この巣穴社会の行く末を考えれば、立ち止まっている時ではなかろう。社会情勢は、お前が考えるほどやわではない。そうして迷っていれば、激変する動きに乗り遅れるだけだ。それをじくじくと余計なことに気を取られ、悩んでいるとは何たることか。俊介、しっかりせい。寄り道している時間はないぞ!」

ガツンと頭を叩かれたように諭され、はっとなり現実に戻る。

おおっ、そうだった。うだうだと思い悩んでいる暇はない。

己自身を戒め故舞させるのだった。

確かに今の俊介には、余計なことに気を取られ立ち止まっている余裕などない。次から次へと問題が頻発するが、それでも普及活動はそれなりに進んでいた。努力の甲斐あって仲間も増え、彼以外にも活動に専念出来る仲間も出来た。勿論、組織として成り立つほどのものではないが、徐々に形が整いつつあった。

時雄、将隆や野口、池田それに国分や西田、それと若干頼りないが木島らを加えると、俊介の考えていた、「自らの意思で役割を考え直し、成果の出る行動をする」という輪が、はっきりと輪郭を現わし始めていたのだ。それにより改革が進み、巣穴社会が豊かになる成長速度が回転し始めていることが実感できた。

だがしかし、自分の意思を尊重するということは、必ずしも共通認識でいられるとは限らない。菊地がいい例だ。共同社会から逸脱する行為が見られていたからだ。それは、獲た獲物を共同保有するのではなく、己のものにすることだった。明らかに俊介らの考えと 相反するものである。

菊地の行動が如実に示していた。

勝手に己だけのものにする行為は、助け合いではない。共同生活を司る理念に反することだ。このような事象は、俊介にしてみれば受け入れ難いものだ。

このまま放置すれば、いずれ争いとなろう。菊地にしても、同じ種族として互いに助け合い、一族を繁栄させるために自らの意思を持つようになったはずだ。それが何時の間にか、己自身のためにしか行動しなくなっている。それだけならまだしも仲間を脅かし、且つ力ずくで恐怖心を植え付け、意のままに動かそうと企てていると言うではないか。

それはまさしく利己心のみで動くだけであり、共存共栄の理念に背くものだ。奴の好き勝手にさせることは、ある面では我らの考えと共通するであろうが、利己主義による己らだけの欲望を満たす組織では、この巣穴社会に在って決してあってはならないのだ。専制君主的な独裁主義の集団は仲間を幸せに出来ないし、貧富の差が生まれ必ず不満分子を生むことになる。いずれそのような集団体制は民衆の決起によって崩壊して行くのだ。

悪しき事例を想定する。

そんな例は幾多とある。その過程では、大きな犠牲を伴なう悲惨なものとなる。そのようなことは許されるべくもない。やはり菊地に対しては不本意であるが、改めて貰うための話し合いが必要だろう。それとて、一筋縄ではいかぬが、粘り強く説得するしかないと思う。

仮に十歩譲ても、武力による解決は極力避けねばならない。何故ならば、衝突すれば必ず多くの犠牲者が出る。仲間内からそんなたわいない理由で出したくない。傷つけ合い、殺し合ったりしたくはないんだ。だが…、残念なことに菊地らのグループは、すでに何人も傷つけ強制的支配下に置くと聞く。中には、意に従わずとの理由で殺された者まで出ていると言う。このまま放置するわけにはいかない…。

ふと現実を思う。

確かに、久美子のことばかり考えているゆとりはない。この問題は我らが進めている、理想の社会作りを根底から崩す問題だから、彼らの好き勝手を放っておけないのだ。

考えるほど、胃の痛くなるような難問だった。

ほんの少しとて、立ち止まれない。とにかく急を要することであり、全力をかけて取り組むことが不可欠なんだ!。

「俊介、分かったか。お前自身のことより大切なことだぞ。それが分かっているなら、女の尻を追いかけている場合ではなかろう!」

もう一人の俊介が、耳の奥でがなりたてた。

確かにそうだ。今、俺がやらなければならないこと。それは我が巣穴の将来のために全力を尽くすことなんだ。他のことを考えている余地はない。だから考えるのはもうよそう…。

決意を新たにするのだった。

だがしかし、不思議なものである。そう思うほど気になり仕方なかった。考えまいと意識すると、余計彼女のことが浮かび消せずにいた。如何にもならぬ己が歯痒かった。何時の間にか、心の中に棲みついた久美子の分身が勝手に動き回る。そうされると如何にもならず、ただうろたえるばかりだった。自問自答する。

如何したらいい。今悩んでいる時ではないんだ。いっそ共存共栄の社会作りなど止めてしまおうか。そうすれば、この胸の高鳴りを鎮められる。あまたの問題から解き放たれ、彼女のことだけ考えることが出来る。

だが、躊躇いが生じる。

…でも、本当に巣穴改革の推進を放り出すことが出来るのか。いや俺は…、久美子のことが頭から離れないんだ。だから、ほんの少しの間だけでもいい。…それが許されるなら。

ほんの一瞬弱気な一面を覗かせた。そんな時心の奥で別の俊介が現れ叱咤し、我が巣穴社会の繁栄のために故舞いしろと檄が飛ぶが、そして一方で、その行動を鈍らせる想いがくすぶる。

この二つの迷いが、代わるがわる俊介を苦しめた。

それにしても自身にとり、どちらも既成の概念を打破し自ら考え導きだした行動に変わりはない。従って己の信念の強固さによっては、退却することも解決手段の一つである。ただ俊介は何があっても、途中で挫折すること自体自身が許さないし、そうする心算は毛頭なかった。けれど己の意思に係わらず、時として湧き出る男としての本能は制御するのが難しかった。

若い俊介は異性を本能的に感じ取り、自身の考えの及ばないところでくすぶり求めていたのである。今まで経験したことのない異性への想いには、ただ戸惑うばかりで考えて解決出来る問題ではなかった。

ユートピア作りは己が考え出したものである。現実に試行錯誤を繰り返し、実績という経験を積んできた。善し悪しの判断はこの実績で付けられる。勿論、そこには仲間がいる。その仲間各人の意見を取り入れ方向性を見出す。更に、その方向性に沿って具体的行動の決めごとも作り、それによって行動する。そこにまた改善点が見つかれば話し合い、新たな行動指針を編み出してゆく。

そんなやり方を経験からチャレンジすることで、今の体制を築き上げてきた。また何時の時点でも、どのような方法で進めるかという段取りも身についたし、それなりにコントロールすることが出来た。

ところが反面本能に対する対応は、もし異性との交遊や交わり方を経験していれば、自ずと自身をコントロール出来たかもしれない。それがまったくないまま、泉の如く湧き出ていたのである。

だから、如何にもならない。

言ってみれば、無意識の状態から何時の間にか悩むようになっていたことになる。ただ、これすら漠然としたものであり、何故こうなったか理解できるものでなかった。それも、久美子に対する想いが、具体的にどんなものかはっきり認識しているわけではない。胸が締め付けられる感覚も、何が原因か分かっていなかった。

ただ、一度触れた彼女の胸の感触、それが俊介の心に刺った棘のようにちくちくと痛みを感じさせるのだ。それはまさしく、本能から湧き出す異性への想いであり、経験の薄い、いや無いに等しい、己の意思でコントロール出来るものではない。その繰り返し生じる胸騒ぎは、日に日に強くなって行った。

如何にも抑えられぬ息苦しさは、更に悩める俊介を苦しめ苛めていたのである。

ああ、如何したらいいんだ。こんなことをしていていいのか…。

立ち止まっては、頭を垂れ考え込む。巣穴の出口近くで立ち止まり重い溜息を何度もつき、背中を丸め悩める子羊の如くたたずんでいた。その俊介の後姿を通りかけた野口が見つけ、背後から近づき肩をポンと叩く。

「俊介さん、如何したんですか。こんなところで真剣な顔をし考え込んでいて。身体の具合でも悪いんですか?」

心配そうに告げた。予期しなかった俊介が、はっとなり慌てて振り向く。

「何だ、野口じゃないか。別に何でもない。ちょっと考えごとをしていただけだ。それより、急に叩かれたんでびっくりしたよ」

気づかれまいと、悶々とする悩みを隠す。

すると間合いの合わぬ返事に訝る。

「ああそうですか。それならいいんですが、あまりに深刻な様子でしたので、声を掛けさせて貰ったんです。万が一、病で倒れられては困りますからね」

すると俊介が、その不安を振り払う。

「大丈夫だ、何ともない。心配掛けて悪かったな」

強気に振舞うと、それでも気遣う。

「だって俺にとって俊介さんは、人生の転機を教えてくれた、いわば人生そのものの恩人ですからね」

「いいや、そんな大それたことをしているわけではない。たまたま自身の生き方として、考え行動することにしただけなんだ。それを君らに同調して貰い、仲間の拡大のために説いているだけだよ」

「それに試行錯誤していくうち、我が種族の将来を見据えてその必要性を実感したんだ。ただ、一人で出来ることじゃないので、共鳴する仲間を迎い入れ大きな輪にして全体を動かせればいいと思っている」

「それだけのことだよ。それに野口、俺をそんな風に、カリマス化するのはよしてくれ。我ら仲間の一人ひとりが共存共栄の社会を作ることが、今まで何十万年も生き永らえてきた種族の生命力であり、仲間の団結ではないかと思う。そこに各自が自由意思を持ち、環境の変化に立ち向かって、豊かな社会を築き上げて行くことが必要なんだ。仲間を犠牲にして、一人の者が私利私欲のために権力を独占するような存在となり、権勢を振るうというものではない」

毅然として本意を説いた。真剣な顔で、俊介の説く一言ひとことに相槌を打つ。

「いや、じつに素晴らしい。やはり俊介さんは大したもんだ。俺は俊介さんを敬服する。あなたのおっしゃることは、我が種族の将来にとって欠くことの出来ないものだと思うんです」

野口は感極まり、更に強調する

「でも俊介さん。共鳴する仲間が増えるほど、一人の力では限界があるような気がします。現に俊介さんは相当疲れているようで、立ち止まり深刻な顔をしていたではありませんか。あなたを支える仲間が、もっと必要なんです!」

「太陽の惑星の如く要を置き、手足となって活動する者が絶対に必要です。そのために、中心点にあなたがいることで磐石な基盤が出来るのです。それがなくして小さな仲間の輪を大きくし、種族全体の大いなる繁栄作りの活動など出来ませんよ」

野口は懸命に訴えた。

聞き入る俊介が拒む。

「君の言うことは分かる。だけどその役割が、俺と決まったわけではない。確かに火点け役になったのは事実だ。これから仲間が増えることで、その中から適任者が現れるかもしれないし、そんな時に俺如きをカリマス化しないでくれ。何故ならその最適な人物が、もしかしたらお前、野口かもしれないじゃないか」

「いいや、そうではない。誰が適任者かは仲間が決めることです。この考え方は何時もあなたが説いてたことです。その仲間全員が望んでいるのです。それを止めることは出来ません。それが俊介さんであったなら降りるわけにはいかないのです」

「それが指導者の定めであり、与えられた役割なのですから!」

心から望むように告げた。

「うむ…」

俊介は思い余ったまま次の言葉が出なかった。今しがたまで久美子のことが頭の中を占拠し、苦しさのあまり逃げ出そうと弱腰でいたことに、むしろ恥ずかしさを覚えた。

こんな意気地ない俺を、野口ら仲間がこれほど頼っているとは。

思わず己の至らなさを恥じ、彼の真剣な眼差しに押されるように視線を落とす。一瞬とはいえ、顔向けが出来なかった。

恥ずかしい。己自身が恥ずかしい…。本来逆ではないか。少なくとも以前はそうだった。俺が野口に対し、熱く語っていたことではなかったのか…。それが今、彼の顔を見られないほど、一途に立ち向かわず弱腰になっているなんて。

「…」

返す言葉がなかった。いや、返すことが出来なかったのだ。そうかといって、己の今の気持ちなど話せない。熱き胸の内を、真顔で話す野口に対して、「異性のことで悩み、改革のことが疎かになっている」などと、口が裂けても言えることではなかった。

顔を背ける俊介に、怪訝そうに問いかける。

「俊介さん、如何なさったのですか?」

「いいや、何でもない。気にしないでくれ…」

苦笑いを返えすが、それで途切れてしまった。

「俊介さん、何時ものあなたと違う。何かあったのですか?確かに、我が種族の将来のことを考えると、そりゃ難しいことが多々あると思う。けれどあなたのことだ。何らかの解決策を考え、一歩つづ着実に前進しているのではないですか。俺みたいなうすのろには難問でも、実行力のあるあなたなら必ず解決策を見出す。今までそうだったじゃないですか。そうか、やはり身体の具合が悪いんですね。皆が俊介さんを頼り過ぎているから、具合の悪いのを隠し弱音を吐かず頑張っているのか…」

推測し案じた。

「俊介さん、無理をしないで下さい。ここで倒れられたら皆が困る。今が一番大切な時なんですから。そんなことになったら、今迄築いてきたものが崩れてしまうではありませんか。そうなったら俺らは如何なるんだ。それに俺自身、今置かれている状況は決してよくない」

そこで、

…あの菊地に脅かされ、身動きが取れなくなっている時に…。むしろ俺自身が抱えている難題を解決するのに、相談しようと探していたところなんだ。さっきあなたを見つけた時、すがる思いでやってきたのに。何故か真剣な顔で思案しているから、ちょっと気兼ねしてしまった…。

野口は腹の中で呟いた。

「俊介さん、本当に大丈夫ですか?」

再度、顔色を覗い尋ねた。

「ああ、何ともない。ちょっと考えごとをしていただけで、ほらこの通り元気だ」

また作り笑いを浮かべた。それで安心したのか、真剣な目で告げる。

「俊介さん、実は…。今、俺…悩んでいるんです。昨日ひょんなことから池田と私が菊地に暴力を振るわれ、自分はともかく池田が瀕死の重傷を負いました。更に『命が欲しければ、明日までに獲物を大量に持って来い』と驚かされています。その場で断れば、おそらく私は殺されていたと思います。抵抗する機会を失い、恐怖心から止む無く要求を呑み、やっとのことで解放され命からがら逃げ帰ってきたのですが、保管係しかやったことがない俺には、狩をする知恵など持たず途方にくれていたところなんです。何とか巣穴に戻り、同僚の保管係の国分たちに相談し保存分から分けて貰い、菊地の新居へ持っていく予定になっているんですが、これで済むとは思っていません。これに飽きたらず、更に過酷な要求をしてくるに決まっています。こんなことをしていたら、間違いなく自分が駄目になり、皆に多大な迷惑をかけることになります」

今迄の経緯を明かし、救いを求める眼差しを向けた。

俊介は黙って聞いていた。本来なら頼る野口に相槌を打ち聞くところ、そうは出来なかった。

何で、俺は駄目なんだ。こんなに頼っているというのに、腑抜けのようになってしまって…。

己が情けなかった。

野口の相談に助言出来ないことに、不甲斐なさを感じていた。ただ野口にとって、自分の存在がなくてはならぬ状況にあることは分かった。

切羽詰った野口が、すがる思いで相談しに来たに違いない。自分なりに考え瀕死の重傷を負った池田共々、互いにこれからのことを話し合ったのだろう。おそらく一時の辻褄合わせの手当てが出来ても、それ以上のことは如何にもならなくなると思ったのか。そこで俺の力が必要と、頼って来たに違いない。そこまでして頼る。何故自分たちで解決できないとしたのか。それとも対抗策を考えたのか。だが、明日までと期限を区切られては、おそらく結論を出す余裕はなかったのであろう。

そこまで思考し、菊地の行いを推測する。

野口を脅かし骨の髄までしゃぶろうとする相手。一番問題視していた人物。その菊地に脅かされたと彼から聞かされた時、来るべきものが来たか。とうとう、そこまで。我が巣穴を出たのか…。と心の内で思った。       「」

危惧していた俊介にとり、菊地がこんなに早く悪の指触を延ばすとは予想外だった。それも非道なやり方で、我らの行く手を阻もうとしている。一刻も早くその芽を摘み取らねば、我ら仲間が駆逐されてしまう。その手始めとして、今ここに助けを求めている野口ではないか…。

そう思うと、

そんな時に俺は、この訳の分からぬ胸の時めきなどに何時までも戸惑っている場合ではないんだ。うじうじと腑抜けのようになっていて如何する。現に、その間に野口が餌食になりかけているではないか。このまま放っておけば間違いなく犠牲者となる。

危惧した俊介は、一呼吸おき導く。

「野口、明日の菊地との約束は何としても遂行しろ。多分奴は直ぐに次の要求を告げるだろう。逆らっては駄目だ。素直に聞け。逆らえばお前の命が危ない。必ず力ずくで二度と逆らえないよう、恐怖心を叩き込むに違いない。今度は手加減せず徹底的にやるだろう。万が一、行き過ぎれば命を落とす。それとて奴には使い捨てぐらいに考え、臆することなく実行する。それは仲間内に見せしめとし、絶対服従の関係を誇示する道具として使うのだ。それ程狡賢い。だから逆らってはならん。分かったな、野口。多少の暴力には耐えろ。決して己を見失うな。逆らえば必ず負ける。奴はそこまでやる腹だ」

そして念押しした。

「分かったな、野口!」

「はい、俊介さん。私たちもあれこれ考えました。如何すれば最善の方策かと。俊介さんの指示通りの一応の結論を持っていました。でもこれでいいのか、これ以外の策はあるのか考えましたが出ませんでした。そこで相談しようと皆で決めたのです。私ごとで皆に相談に乗って貰い、お忙しい俊介さんにまで厄介をかけることになり、本当に申し訳けなく思っていますが、一時はあまりの怖さで如何にもならなくなり尻尾を巻いて帰り来ました。そんな情けない私ですが、悔しくてなりません」

無念そうに唇を噛み続ける。

「自分に落ち度がないとは申しません。奴が隠し持っていたとは知らずに保管場所へ持って行きました。二度目も同様にし、その後間が差し三度目に過ちを企てたことです。結果痛い目に合い、それでこのような羽目になっているのです。そのことは、重々反省し悔いています。…でも事実なのです。それを思うと奴に仕打ちされたことは致し方ないと思います。けれどこうして振り返ってみると、何かにつけ弱みをネタに脅迫されることは間違いありません」

更に池田のことにも及ぶ。

「それに池田の受けた暴力も、償いとしてはあまりにも度が過ぎています。私も含め池田の人権、更に生命をただの石ころ程度にしか考えない菊地の行いは、これで終息するどころか益々エスカレートするように思われます。私たちはその犠牲になりたくないのです。勿論、犯した過ちは償わなければなりません。でも自ら立ち上がり抵抗することで、奴の暴走を少しでも食い止められれば、我ら仲間への侵略も阻止することが出来るのではと考えているのです」

自らの非を認め、捨石になることも覚悟の上で、菊地の暴略を防ぐため必死に考え行動しようと、熱っぽく訴える野口の瞳は降りかかる苦難に猛然と立ち向かうように、爛々と輝き投げかけていたのだ。

俊介はその視線の矢をあまなく受けた。

「…」

矢継ぎ早に出る熱い訴えを、頷きつつ黙々と聞いた。

近頃俊介の頭の中には、何時の間にか二人の彼が存在する。一つは久美子という異性への想いを応援するもの、そしてもう片方は、今まで押し進めてきた本来の俊介である。

野口が声をかけてくるまでは、彼女のことばかりが支配し、如何にもならなくなるほど迷い立ち尽くす羽目になっていた。そんな中、野口に肩を叩かれうろたえている時に、熱い話に乗せられた。初めは聞き流そうと気もそぞろになっていた。

そのうち熱く語る野口の言葉に、もう片方の俊介が勢力を伸ばしてきた。と言うより、己の信念が蘇ってきたといってよく、危うく見失いかけているところを呼び戻された。己が今、やらなければならないこと。それがつい男の本能により、邪魔されそうになっていたのだ。

俊介は思う。

野口らが、俺自身道を誤るところを救ってくれた。

素直に感謝する。

久美子のことは、暫らく胸の奥に仕舞っておこう。それよりも、野口らの問題を解決することが先だ。

改めて見つめ直す。

「野口、有り難う。俺はお前に礼を言わなければならない。野口自身、己の非を認め突き進もうとしている。俺だってそうしなければならない。そんな時、迷っていてはいけないんだ。今、それが分かった」

そう告げる俊介に、野口はきょとんとしていた。

俊介さんが何故そんなことを言うのか。逆に、俺が相談に乗って貰うのだ。礼を言うのはこちらではないか…?

困惑しつつ、力強く告げる。

「いいえ、俊介さん。礼を言うのはこちらです。むしろ私ごときの話を聞いて頂けただけでも有難いのに、身体を張って己のことのように助けてくれる。こんな有難いことはないのです。このご恩は一生忘れません。もし菊地から逃れられたら、私はあなたの手足となり働きます。それで進める改革に少しでも貢献できるなら、私にとってこんな嬉しいことはありません。勿論、私だけでなく池田や国分、西田も賛同するに決まっています。皆、俊介さんに導かれ開眼した者たちです。推し進める策に労など惜しみません!」

力強く告げる。

「だから礼を言うのは私たちなんです。俊介さんの粘り強い説得があったからこそ、今の私らがあるのです。もし、あなたと出会わなかったら、そして熱く導いてくれなければ現在の自分たちはないのです」

終いには、昔を振り返り涙を溜めていた。その様を見て俊介が止める。

「何を言うんだ、野口。俺はそんな他人の人生を左右するような偉いことを言った心算はない。ただ自分で経験し、よかれと思ったことを皆に味わって貰いたい。また、一歩前進して自ら考え行動することで、その成果が倍増することを知って貰いたい。そう思い皆に説いてきただけなんだ。そりゃ今まで紆余曲折はあったが、皆が己らの社会のためになろうとしている、ここが大切なんだ!」

更に菊地の行いを戒める。

「如何勘違いしたのか分からんが、己の考えで自由に活動することで利己主義に陥ってはいけないのだ。その顕著な例が菊地だ。何故そのようになったのか、彼とじっくり話し合い、本意を確かめ理解して貰い自ら舵を切り直して貰わねばならん。お前らが受けた暴行。そんな卑劣なやり方で改革することは間違っている。決して許されないし、奴も昔はそんなことはなかった。何時の間に変わってしまったのだろうか。噂では最近、とみに激しさを増していると聞く。その犠牲者の一人が野口、お前なのだ」

そこまで言って、言葉が途切れた。

「今のうちに、その悪の芽を摘んでおかねば…」

が、はて如何すればこれ以上犠牲者を出さず菊地を改心させ、巣穴社会の仲間に貢献させることが出来るだろうか…?

難題だった。そこで野口に頼む。

「野口、知恵を貸してくれ。この問題は簡単に解決できる代物ではない。一歩間違えればお前らだって暴走しかねず、全面対決へと発展する恐れがある。そうなればどちらにも多くの犠牲者が出るだろう。遺恨が残り、復讐だの仇だのと泥沼の争いへと進むことになろう。そうなっては、我が種族一丸となった共存共栄の社会など築くことは難しい。それだけは、何としても避けたい。如何だ、君の仲間を入れて解決策を導き出しくれないか。皆の総力で対処しようではないか」

「ええっ。しかし、あの菊地を最終的に仲間にするんですか。奴は我々の説得で改心しますか。如何も、あんな性根の曲がった奴が、言うこと聞くんですかね…」

「いいや分からん。だが、このままでいいはずがない。種族全体のことを考えてみろ。混乱が生じ、多大な犠牲者が出てもいいのか?」

「いいえそれは。やはり避けなければ…」

「そうだろう。お前だってそう思うだろう。しからば如何すればいい。安易な行動であたっても解決しないのだ。理解してくれ」

「うむ…。分かりました。俊介さんがそこまで考えていらっしゃるなら、大変嬉しいです。我らみたいな者まで頼られるなら、懸命に知恵を絞ります。俊介さん、導いて下さい。我らはついて行きますから!」

「そうか、協力してくれるか。こりゃ頼もしい。俺も懸命に知恵を絞る。互いに頑張ろう!」

「はいっ!」

野口は大きく目を開け、意を決するように応じた。

「それに、先ほどの件。くれぐれも慎重に進めよ。決して短気になってはいけない。菊地のことだ、そこを突いてくるやも知れんからな。困った時は皆の顔を思い浮かべろ。何か救いの手が差し伸べられるから」

念を押す。

「俺の言うことが分かるな…」

「はい、分かりました。肝に銘じます!」

そう発し野口は、俊介の差し出す手を固く握り締め、決意すべく口を固く結んだ。




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