五
あれこれ考え、構想を練りながら俊介は巣穴へと戻っていった。その途中、一つ気がかりなことを思い出す。それは、自ら意思を持ち行動し初めた菊地のことだ。同じ巣穴で暮らすためには、避けて通れない解決すべき問題を抱えていたのである。
さて如何する。そうだ、彼に会ってみようか。この前から、このままでいいのかと考えていたところだ。
菊地を含め、その仲間の行動が気になっていた。
彼らは彼らなりに考えがある。この巣穴の中で共存してゆくには、互いに協力し合うことが大切なんだ。しかし、如何もそこにしっくりしないことが起きているようだ。早めに話し合い互いの考えを確認し、更に共存するための意見交換をすべきではないか?
思いを巡らせる。
今はそれをすることが大切だ。ある程度仲間が増えれば、水面に落とした滴の如く幾重にも広がって行く。まずは、菊地だ。とにかく彼を探し、じっくり話し合おう…。
久美子と会った翌日から菊地を探した。ただ探すのではない。獲物を取りに出れば、必ず触角で仲間と話をする。その際に、菊地の居場所を聞くことにした。それは久美子が行っていることと同じだ。ここがポイントになる。具体的に尋ねることと、次に会った時に如何であったか、必ずその結果を聞くというものだ。この方法は幾人にも続けた。
ただ、今までほとんど無反応だった者が、最近は違いが出てきた。ほんの少しだが変わりつつある。まさしく、時雄や将隆がいい例であった。
それに、あの幼い吉田の時も面白かった。当初はまったく反応せず、何度伝えたことか。その度聞き及ぶが、まったく無反応だった。彼にしてみれば当然である。産まれた時から、定めに従って行動するよう躾けられていたのだから。そう考えると最もだと思う。だがしかし幼い心は弾力性がある。一度火が点くと好奇心が芽生えるのも早く、あっという間に行動に現れるようになった。それは本能に潜むものかもしれない。元々覆い隠されていたことであって、何かの刺激を受けることにより、本人が意識せぬまに芽生えてきたのではなかろうか。
持ち帰った獲物を何時もの保管場所へと持ち込まず、別の場所に保管し始めたのだ。俺の言い続けたことを如何理解したのか、彼なりに解釈し始めたことに相違ない。本来獲物は保管場所へ運ぶ。そこで保管係に渡せば役目は終わる。そしてまた獲物を探しに出る。
それを己が決めた場所に持って行き、そこに保管し始めた。その後如何するかはまだ分からないが、我らの社会では画期的なことだ。結局彼が保管する心算で置いたものは、出掛けている間に保管係りが見つけ片付けられた。なくなったことは一切気にせず、せっせと捕ってきてはその場所に置いていた。
ないことに対する疑問は、まだその時は起きなかったのだ。最初はそれでいい。やがて疑問が生じるだろう。その時に次のことを考えるし、失わない手立てを講ずると思われる。
また菊地も、偶然に同じ経験をしていた。好奇心が芽生え、自分なりに試行錯誤を繰り返していたのだ。
ただ俊介らとの違いは、自身への回帰を中心に進んでいたことだ。ひたすら己の欲を満たすことに重点が置かれた。初めは吉田と同様に獲物を別の所に保管し始めるが、それも食料保管係に発見され持ち去られた。保管係は別に悪気があったわけではない。本来運ばれるべきものが、違った場所に置き去りにされていると解釈しただけである。何の詮索もなく保管場所に運んだにすぎない。
この菊地の行動も吉田と同様に画期的なことだ。ただ違いは、己の獲物に対する執着心である。
結局、菊地が保管の心算で置いた獲物は、出掛けている間に保管係に運び去られた。そうとは知らず、なくなった獲物を懸命に探すが見つからなかった。
苦労して捕ってきた獲物がなくなっている。おかしいではないか、俺の命がかかっている大切なものだ。それを断りもなく奪う奴がいる。待てよ、置いた場所が違ったかな。いやそんなことはない。確かここに置いた。もしかしたら誰かが盗んだのか?
行き交う蟻たちと触角を合わせ、何処に運び去られたか探るが、失った獲物の在り処は分からなかった。そこで新しい獲物を探す際に、すれ違う仲間と今までとは違う、少しばかり多くのことを尋ねる。それによって正確な在り処を知ることが出来、多く獲得出来るようになった。そのことは失ったものへの恨みとは別に、驚くべきものである。それと同時に、「今までの仕事は何だったのか」と、矛盾が湧いてきた。
俺が集めたものを、如何して他の奴にやらにゃならんのだ…と。これからだって探すのは大変だ。今まで危険な目にどれだけ遭ってきたか。この巣穴では、命がけで捕って来ても、何の見返りもないじゃないか。現に俺と一緒にいた村松なんか、「蟻食い」に狙われ命からがら逃げたが、片足を食われやっと巣穴に戻るが手当てをして貰えず、傷口が悪化し命を落としたんだ。それに命落とした時も、誰も悲しむ者もなくそのまま放置され、挙句の果てごみ屑のように捨てられた。
それを見てきた菊地は言明する。
俊介に話を聞かされるまでは、そのようなこと自体何とも思わなかった。今まで当然のように行われていたからだ。現に、関心も持つ奴すらいない。俺みたいに考える者が、この巣穴にどれだけいるだろうか?
多分と推測する。
俺を導いてくれた俊介を除いては、皆無ではなかろうか。そう思うから、己の命は自ら守らねば誰も守ってくれない。確かに集めた獲物は、皆で分け与えられる。けど本来であれば危険を伴う仕事なれば、それに見合う食料を貰っていいはずだ。受け持つ仕事により公平さを期する。それが当然ではないか。ところが如何だ。現実は違っている。一歩、巣穴の外に出れば危険がいっぱい待ち構えており、一時の油断が命取りになるのだ。村松の例ではないが、一兵卒として生死をかけ取ってきた獲物を平等にと言われても命を失えば元も子もなくなるではないか。
更に深く考える。
そのためには外敵に負けない体力をつけねば、うかうか巣穴の外へなど行けない。そうであるなら、それなりの食料を与えられなければならない。それがまったくなく無関心だ。それも大昔から。そんな理不尽があっていいのか。何と馬鹿なことを続けてきたものだ。だから俺は考えた末、自分で採ってきたものを自分で貯えようと決めたんだ。誰にも文句を言われたくない。それで実行し始めた。不平等に扱われるなら、自らを防衛しなければならん。そうすることに、文句があるか!
これが菊地の出した結論だった。何故彼が自分勝手に保管し始めたか、俊介は知ることが出来た。それにしてもと思う。
己の命は自分で守る…。
しかし、そこまで俊介は考えていなかった。ぽつりと漏らす。
「菊地がそこまで…」
思っても見なかったことだ。俊介は改めて己の考えや、やってきたことを反芻する。
確かに、基本は自由にやることだ。今までの固定概念を打ち破り、自ら考え行動する。それが必要だと痛感したからこそ、目覚めることが出来たと自負している。ただ、この自由というものが利己主義に走ってはいけないというルール、すなわち決めごとを俺は持ち込んだ。それにより仲間との相互理解を醸成し、豊かさの共存できる社会を作ることにある。自分としては、そうして行きたいとの己の中での決めごとであり、共鳴する仲間を増やしていくことに情熱を傾けたのだ。果たして菊地の行動が、その理念に叶うものなのか。今、判断すべきでないと考えた。奇妙な行動に出ているが、奴の信条が果たして問題かと考えた時、幾つかの疑問が湧くし、自分が考えている理念に反するようにも思える。
そして逆の立場で憶測する。
俺がもし、奴の立場なら…。それは、一歩巣穴から出れば危険なことが多く、主張していることは間違っていない。俺だって、油断すれば外敵に襲われ命を落とすかもしれないのだ。今までだって幾度危険な目に遭い、命からがら逃げ戻ったことか。
過去に遡る。
その当時は深く考えなかった。外敵に襲われることを想定した考えもなく、如何対処すればいいかも教えられなかった。勿論俺だけでなく、皆そうだ。そのような防衛教育は我ら社会にはないのだ。従って、恐怖心を持たない。ただ本能として逃げるだけであり、敵の罠に嵌まればそのまま命を落とす。手足を食われ、そのうち腸まで食われて命の鼓動が止まる。そのこと自体何の疑問も持たない。いわば定められた通りに行動するのみだ。
だが今は違うが現に俺自身そのように教育され、つい最近まで同様に行動してきたではないか。それで菊地の取り始めた行動の是非を、判断しろと言うのか。
矛盾が頭を突く。
しかし昔の俺とは違う。これまで物の善悪を、己の思考の中で醸成してきた。そして仲間との輪を広げようとひたすら説いてきて、菊地のような行動を取る者が出てきたことに、是非の判断を下さなければならないのか…。
俊介は迷った。
勿論、その前に菊地と腹を割って話し合わなければならないし、巣穴社会の共存共栄を導かなければならない。それにこれからも菊地以外で異なる行動を取る奴も出てこよう…。
そう思ったが、また深く考え込む。
当の俺だって、捕ってきた獲物がなくなることに疑問を持てば、如何反応するだろうか。行動の根底に、己の命を守るという考えがあれば、当然なくなった原因を調べることに気づき、即行動に移すだろう。規定の保管場所外にあった獲物を、単に運ぶだけの食料保管係にしても、まさか菊地がそんな考えで行動しているなど理解しないし、違う場所にあったから運んだ。それ以外の考えはないのだ。要は決められた役割を、忠実に全うしているに過ぎない。それに対し菊地は、己の考えることを妨害されたと解釈し、運んだ者を奪い取ったと決め、敵と看做しているに違いない。
思考が結論に向かう。
…そのように判断すれば、今度はそうされまいと考え、他のところに保管するだろう。それで何事もなければ解決したことになる。だが、もしそれさえ発見され運び去られたら、防御するために彼は攻撃するであろう。もしくは新天地を求めるかもしれない。巣穴で敵と認識すれば、この巣穴以外の場所にその獲物の保管場所を求め、そこに備蓄してゆく。そして終いには、我々の住むこの巣穴そのものを敵と看做すことになる。その時は…」
事態の悪化を懸念する。
そんなことが起きれば、混乱の種を蒔くようなものだ。平穏に営まれる中で生じれば如何なる。皆、無関心でいられるのか。それが定められたルールであってもだ。果たして今、判断せず傍観していていいのか。それともそうならぬよう菊地を説得すべきか?
俊介は判断しあぐねていた。
もし、説得を拒絶されたら如何する。この俺が奴の敵になる。逆に説得に応じれば、この巣穴社会は混乱せずにすむ。奴はどちらに転ぶか…。最悪のシナリオとして、菊地が拒絶し争いになり、万が一俺が負ける事態になれば、果たして如何なるのか」
俊介には分からなかった。ただこのままじっとしていて、収まる問題ではないことを肌で感じていた。
如何すべきか…。とにかく彼と会って話し合おう。いろいろ詮索しても仕方がない。会って本心は如何なのか、まず問うて見なければ先へは進まぬ。
そのように考えた。
さてっ、菊地は何処にいるのかな?そうか、奴が獲物を巣穴の何処に置いていたか保管係に聞けば分かるはずだ。そこで待てば、必ず現れる…。と推測する。
「早速、巣穴に戻って尋ねてみしよう」
決意し先ほど捕獲した獲物を銜え、もと来た道を戻り始めた。
それにしても随分遠くへ来たもんだ。これだけの獲物が獲れたのも、具体的に何処にあるかをきちんと聞いたおかげだぞ。そのことから考えれば、獲得効率が数段よくなっている。他の者と比べれば、このやり方がが勝っていることは事実だ。だからといって、今の我が巣穴では、特に評価されるわけではない。多く持って帰ったところで、何の見返りもないのだ。それを思うと、確かにやるせない気持ちになる。そう考えると、菊地の行動も分からぬわけではないが…。
つらつら道すがら考えていた。
それだからといって、今進めていることを止めようと思わないし、昔に戻ろうなどと考えない。
そこまで思考した時、はたと足を止める。
外敵との遭遇という菊地の気持ちは、ある程度理解できるが、しかし意見の相違からいがみ合ってはいけないということだ。仲間内で争いが起きれば、巣穴全体が混乱し収拾つかなくなるし、外敵から格好の攻撃対象となるのが必定だ。そうなれば、いずれ我ら巣穴が崩壊へと進むことになる。それだけは何としても防がねばならない。では、如何すればいいのか…。ただ強行に菊地を押さえ込んでも、何の解決にもならない。いや、むしろそうすれば逆に反発し収集つかなくなる。
結論が見えてくる。
如何だろう。解決策というか妥協案として、獲得した獲物全部は無理だが、一部私有権を認めるという案は。あるいは仕事の危険度によって、食料の分配に差をつけるのは如何か?この後、菊地に次ぐ者が出てこないとも限らない。この提案を巣穴社会全体を司る長老会で決議して貰うというのは?俺だけで勝手に決められるものではない。皆の合意が必要だ。我ら一族の総意がなければ成り立たない。そうだ、このように巣穴社会全体の変革を、同時に成し遂げていけばいいんだ。
考えが纏まった。俊介は獲物を銜え直し、再び巣穴に向け歩み始めた。
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