俊介は朝飯を食って巣穴を出た。新たな気持ちで周囲を見渡す。

外界は広かった。

あっけにとられた。

「こんなに広いとは…」

今まで、ほとんど意識しなかった。

こんなに広いとは、考えたこともない。食料確保の働き蟻であり、同じように巣穴から出ていたが、ほとんど意識せずにいた。そこで、初めて外界の広さに目を見張った。

今までとは違う。そして、己の行動を意識することにした。

毎日行なっていることを、意識してやってみようとした。

先のことは分からない。とにかく始める。何時ものように触角で、帰り来る仲間に聞いて進むことは何の不安もない。順次行く方向を教えてくれる。その通りに行けば、必ず目的地に着けるのだ。だから考える必要などなかった。何があるかは、戻ってくる仲間が運んでくる物を見れば分かる。それ故、聞く必要もなかった。けれど目的地にどれだけあるのか、具体的に教えて貰うことはしなかった。

ただ多少の手間はかかったが、これも判断のつく程度に触角を合わ聞けば理解できた。どちらにしても獲物を探しに行く手段として、今までと同様にすればそれでこと足りるのだ。

要するに何も考えず、己に与えられた役割を守れば分かる範囲だ。改めて意識し、繰り返し尋ねてみたが同じだった。何も持たず帰り来る者らに問うても、在り処だけは解かるが、量やまだ残っているかは知ることが出来なかった。

数度実行しも同じだった。己の役割に改めて疑問が湧くと同時に、壁に突き当たるような思いになる。

こんなことをしていて、いいのだろうか?ただ役目だけを何も考えず携わっていたのでは、何の進歩もないではないか。でも…、一体どのようにすれば、我が巣穴社会で互いに意識し合うことに気づき、仲間同士での協力関係を築けるのだろうか?

思い悩んた。自分がいざ進めようと行動してみると、現実はあまりにもかけ離れていた。

たったこれだけのことで、壁にあたるとは。果たしてこれから如何すれば、進められるのだろうか…。

殻を打ち破り、前代未聞の領域に一歩踏み出してみたものの、あまりにも大きな壁が目の前に立ち塞がっていた。

それでも懲りず続けてみる。

ジレンマだった。何度繰り返しても反応は同じなのだ。時雄や将隆以外の仲間にも試みた。すれ違う仲間と触角で情報を受け、その際何がどれだけあるのかを尋ねる。

「俺はさっきすれ違い様に教えて貰ったことしか知らない。だから聞いたことだけ伝える。獲物の在り処は、この先の池のほとりにある。それだけだ」

いずれも、こんな返事しか戻らなかった。すれ違う者、皆紋切りの返事である。勇んで行動したものの、あまりの無反応さに衝撃を受けていた。

俺がやろうとしていることが、そんなに唐突なんだろうか。それとも悠久の時代から築いてきた聖域なのか。俺のような一介の働き蟻が考えることではないのか?結局、雲を掴むようなことであって無理な妄言なんだろうか…。

俊介は、僅かに灯る明かりが障壁に遮られるほど迷い始めた。

このまま、何時ものように過ごす方がいいのか?

思い悩んだ。じくじくと考えながら時が経って行く。それでも挫けそうになるのを堪え、自らを奮い立たせ続けた。

ある日、持ち帰った獲物が時雄より勝っているのを見て、誇らしげに告げた。

「おい時雄、お前が捕ってきた獲物より俺の方が多いじゃないか。如何だお前より優れているぞ。悔しくないか?」

自慢気に言い放った。ところが、不可解そうに平然と応じる。

「へえ、それが如何した?」

そんな時雄に俺はむっとしたが、続けて言ってやったんだ。

「俺に負けて悔しくないのか!」

時雄が戸惑い返す。

「如何してそんなことを、今さら言うんだ。如何でもいいじゃないか。今まで、お前の方が多いからといって、そんなことを言われたことがないじゃないか。それなのに、急に言われても答えようがない。それに、俺は決められたやり方で捕ってきているだけだ。別にそれでいいじゃないか」

尤もらしく言い放ち、至極当然の如く、「話はそれだけか?」とつれなく返した。

そんな態度に俊介は拍子抜けし、隣に座る将隆に振った。

「お前は如何思う?」

他人のことを関知しない将隆にとりそう言われたところで、望む答えなど用意出来ず、ただ唖然とするだけだ。そして困惑気味に呟く。

「何のことだか分からないや…」

将隆の反応は、それだけだった。それより話が終わってないのに、また巣穴の外に立ち去ろうとした。

時雄も将隆にしても、要は他人の話すことに関心を持ち、意見を述べるという教育を受けていないのだ。それが巣穴社会での習慣であり、他人の行動に感心を持つことなど不要なのだ。他人が如何行動しようが、どのように考えようと関知しないのが、この社会での常識となっていた。

それでも俊介は諦めず仲間とすれ違う度、時雄らと同じ質問した。結果は期待とは程遠いものばかりである。いくら問いかけても反応がないどころか、その気配すら覗えないのだ。 

一抹の迷いが胸の内に広がる。

如何して、俺の言うことが分からないのか。何故、己の捕ってくる獲物をもっと増やそうとしないのか。皆、無関心じゃないか。果たしてこんなことでいいのか。いや、俺の考え方が違っているのか。もしそうであるなら、やはり時雄らと同様な生き方をしなければならないのか。以前のように何も考えず、定められたことのみやればそれでいいのだろうか…。

俊介は、己の考えが誤りではと悩み始めた。

もしそうならば、これ以上進めることは難しい。何千年も、そして何十万年もの間変えることなく守り続けてきた方法が、我ら一族にとって不変なものであり、永きに亘り生きながらえてこられたのも、この方法が絶対的な生き方であるが故なのだろうか。もし、そうであるなら…。

熟考の末、半ば諦めるように頓挫する。

やっぱり駄目か。これ以上進めても無駄か。それならもう背伸びは止めよう。俺の思いを遮断し、今まで通りの生き方で行くしかない…。

そう思った。

やがて断ち切れぬ思いは影を潜め、また変わらぬ元の生活に戻った俊介は、以前のように何も考えず決められた役割をこなす日々が続いた。

もうそこには変革意欲など失せ、その精神すら摘み取っていたのである。

我ら社会では、皆そのようにしている。己の行動は勿論、他人の行動とて無関心でいる。それがルールであり定めなのだ。誰もその掟を破る者はいない。いな、破ろうと考える者がいないのだ。だから俺一人そんなことをしても何の変化ももたらさないし、自身がこれから生きて行く上で何の糧にもならないのだ。ましてや彼らにとって、自らの行動を意識したり、感心を持つこと自体余計なことだし喚起することが無駄なのだ。

自ら放棄し、勝手な答えを導く。

もう、こんなことを考えるのは止めよう。考えても無駄なことだ。

そして結論づけた。

ひと時の心の変化に酔いしれ余計なことを考え、出来もしないことに胸躍らせてみたものの、単なる自己中心の欺瞞ではなかったのか。阿呆らしい…。

なかば諦めの気持ちが満る中、悔し紛れに捨て台詞を吐いた。

「俺も時雄も将隆にしても、同じ働き蟻だ。そうであれば、生まれた時から役割が決まっている。教育を受けた通り懸命に働き、寿命が尽きた時に一生を終えればそれでいいんだ。皆、そうしているじゃないか。そのことに何の不満もない。それが当たり前であり、俺がちょっとした気の迷いから取った行動そのものが、我が蟻一族の営みにそぐうものではなかったと言うことか。俺も幾年か経てば命は尽きる。その時は、新しく生まれた働き蟻が俺と同じように、授けられた役割を全うするだろうからな」

そうして俊介は、取り組み始めた改革の精神と行動を、心の隅から消し去っていた。

そして数ヶ月が瞬く間に経つ。表向きには元の働き蟻として、朝決まった時間に起き、定められた仕事を黙々と続けていた。

だがしかし、解せなかった。忘れようとすればするほど、胸の奥で何かが疼いてくる。すっきりしない心持ちの中で、如何しても現状の行ないが棘となり引っ掛かった。

けれど己の考えたことが、仲間に伝わらないなら如何にもならない。そうであるなら、諦めるしかない。それが、すでに出した結論だ。

不完全燃焼のまま粛々と俊介は、己に与えられた役割をこなしていたのである。




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