Act.6 Herd ―群れ―(2)




「じゃあもう、この群れは解散だ」

「え……」

「お前のワガママに振り回されるのは、もうウンザリなんだよ」


 ガルガはすがりつくように伸ばされた細い腕を振り払うと、大股で病室から去ってしまった。

 急に人が変わったようなエースを心配して、スネークがその後ろ姿を慌てて追う。

 病室に残されたマホロは、行き場を失った手の平から感じ取った拒絶に言葉を失った。


「なんで……」


 ガルガに突き放された、初めての出来事だった。

 理由がわからず呆然とするマホロを見かねて、スピアライトが諭すように言う。


「ガルガには、怖いものがあるんだ」

「怖いもの……?」


 子どものように純粋無垢な瞳は、その正体にまるで見当がついていないようだ。

 それが無性に悲しく思えて、スピアライトは奥歯を噛みしめる。


「ガルガは、お前を失うことが何より怖いんだ」


 幼い子どもを死へ向かわせていた恐怖や悲しみという感傷をガルガは取り除いたが、そのぽっかり空いた心の空白が今のマホロを生き急がせる。平気で危険を冒し、自分の命を安売りしようとする危うさが、ガルガを苦しめるのだ。


 なんて愚かな二人だろうとエルフは嘆く。

 お互いが何よりも大切なくせに、自分のことは手の平を返したようにどうでもいいと思っている。他人の恐怖にすら鈍感になっているマホロへ、いっそのこと心を返してやればいいのに。そんな感傷を抱かずにはいれなかった。


 マホロはスピアライトの言葉を心の中で反復して、わからないなりに考えた。

 考えて考えて考え抜いて、最終的に出てきた答えは――。



「……ガルガに謝らなきゃ」



 反射的にベッドから飛び出そうとする怪我人を制して、スピアライトは車椅子を広げる。


「お前が怪我をしたら、私があいつに怒られるんだ」


 そう笑ってマホロを車椅子に乗せると、ガルガの後を追ったスネークへ連絡を取った。




* * * * *




 東棟の連絡通路で外を眺めていたガルガの元までマホロを送り届けると、スピアライトとスネークは仕事に戻って行った。

 妙にぎこちない空気を漂わせたまま「少し歩こう」というマホロの提案で、二人は院内を進む。

 言葉数が少ないまま辿り着いたのは、閑静な中庭。

 月明かりで咲く珍しい植物が埋め尽くす小さな庭園を、ガルガは車椅子を押しながら歩く。

 中央の大きな花壇には月光が淡く透けた白い花が咲き誇っていた。


「この花を摘みに父さんは岩場に出かけたんだ。そしたらなぜかオオカミを摘んで帰って来たんだよね」


 昔を懐かしむ声色はどこまでも柔らかい。

 死の淵から目覚めた時、傍らに添えられていた白い花をガルガは今でも覚えている。


「僕がカッターの刃を飲んで死のうとした時も、ガルガが持ってた花瓶にツキミソウが挿してあった」

「覚えてんのかよ」

「覚えてるよ」


 ナースステーションからカッターナイフを盗んだこと。

 手首を切っても死にきれなかったから、刃を砕いて飲み込んだこと。

 赤い血の海に、ガルガの手を滑り落ちた花瓶から白い花が零れたこと。


「忘れたと思ってたけど、ぜんぶ覚えてる」


 今は何も感じないとしても、経験したものまでなくなるわけじゃない。

 全身の血が抜かれたように寒くて、息苦しくて、身体の先端がどうしようもなく震える、あの感情。

 マホロはちゃんと恐怖を知っている。


「バイクから放り出されて地面に叩きつけられた時、すっごく痛かった。息はできないし、血は止まらないし。……死ぬかもって本気で思った」


 背後で車椅子のグリップを掴む手が強張るのを感じた。

 だから振り向かず、包帯だらけの自分の手をそっと重ねる。


「お前が命を粗末にするなら、恐怖心なんて食わなければよかった。クソマズかったし」

「おいしい心なんてあるのかなぁ。でもガルガが食べてくれなかったら、僕は生きることを諦めてた。ガルガが生かしてくれたんだよ。だから……さっきは、ごめん」


 マホロが車いすから背後のガルガを見上げる。

 一緒に街を歩いているとたくさんの女性に振り向かれる端正な顔が、いまにも泣き出しそうなほどくしゃくしゃになっていた。

 あまりに悲壮な顔をするものだから、マホロまで胸が痛む。自分の言葉がどれだけこの心優しい獣を傷つけたのか、ようやく理解できた。


「もう怖いものなんて何もないと思ってたのに、ガルガが隣にいないって思ったら、すごく怖かった。……ガルガも、同じなんだね」


 マホロがガルガを想うように、ガルガもマホロを想っている。

 仇討あだうちで見失いかけていた当たり前のことを、やっと取り戻せた。


「もう死んでもいいなんて言わない。ガルガを泣かせたくないしね」

「誰が泣くかよ、調子に乗んな」

「……ねぇ、あの名前で呼んでもいい?」


 痩せこけた土地に栄えた大都市が焦がれてやまない郷愁の色をした瞳で、ガルガをじっと見つめる。

 いつもは許可なんて一切求めないくせに、随分としおらしい態度だ。ずるい、とガルガは思った。

 気恥ずかしそうなシルバーアイズが暗い空を向いたので、マホロはこっちを見てほしくてその名を紡ぐ。


「……ガルディアガロン」


 マホロがその名を呼ぶ時は、いつも自信たっぷりな暴君のようだった。

 無茶苦茶なことばかり言うし、自分勝手で。ガルガを振り回すこと楽しんで、上手にできたらとろけるまで褒めるのがルーティンワーク。

 だが今は、ただ自分を見てほしいだけの甘ったれた子どものような声で呼ぶ。


 この群れは、マホロとガルガの二人だけ。

 一人で死ぬだけだったガルガが絶対に失いたくない家族のために作った、最初で最後の群れだ。



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