Act.6 Herd ―群れ―(1)




 ダイバーシティから車で2時間ほどの場所にある廃れた岩場を、生まれたばかりのガルガはたった一匹で歩いていた。

 最初は群れで行動していたのだが、ならず者が寄せ集まった山賊の奇襲に遭いはぐれてしまったのだ。

 一人では狩りができず、まだ人型にもなれない。このまま岩場を彷徨さまよえば餓死することは必然だった。


 そしてとうとう、何日も飲まず食わずで歩き続けた小さなオオカミは、その身を横たえてしまった。

 このまま動けずにいれば岩場を縄張りとするヒクイドリのえさになるか、山賊に毛皮を剥がれマフラーにされてしまうかもしれない。立ち上がらなければと思うのだが、やせ細った身体はどうにも言う事を聞いてくれない。


 どうしようもないほど重たいまぶたが閉じようとしたその時、ひょろっこい影が自分を覗き込んだのを見た。死ぬ前の最後の光景にしては素っ気ないなと思ったのだが、この影こそ、たまたまフィールドワークで岩場を訪れていたキサラギ博士だったのだ。



 次にガルガが目を開けると、生まれ故郷の森のような深い緑が広がっていた。

 それが大きな瞳だと気づくまで数秒。子ども特有の甲高い声で「おとうさん、おきたよぉー!」と叫んだ。

 大きな足音で忙しなくやってきた男は優しそうな目尻をよりいっそう下げ、ガルガの下顎を撫でる。

 清潔なクッションに温かな部屋、枕元に添えられた白い花の香り、そしてお人よしな親子。ガルガの第二の人生は、とても優しい記憶から始まる――。












 誰かが眠るガルガの頭に触れた。

 細い指が耳の付け根を心地良い力加減で撫でるので、大きな耳がへにゃりと垂れる。

 ひとしきりふわふわな頭を堪能した指は頬へすべり、隈が浮かぶ目尻を優しくなぞった。

 そこでようやくガルガがうっすらと目を開けるが、やけに眩しい。

 街をたった3時間だけ照らす太陽の光が降り注いでいたのだ。朝焼けとも夕焼けとも言い難いオレンジ色に目を細める。


 そして光の影になった人物に気づき、ベッドの端に頭をうずめ床で寝ていたガルガの意識が急速に覚醒していく。

 無防備な表情を見せる彼に、ガーゼだらけの顔が柔和に微笑ほほえんだ。



「そんなところで寝てたら、風邪ひいちゃうよ」


 

 全身骨折と外傷性ショックで病院に担ぎ込まれたマホロの声を三日ぶりに聞いて、ガルガは喉の奥を震わせた。




* * * * *




「小妖精に助けられるなんて悪運の強ぇ野郎だぜ、まったく」


 軽口を叩くスネークの泣き腫らした目元を見たマホロは「デメキンみたいだね」と正直な感想を述べる。「お前マジでいっぺん泣かす! 退院したら覚えてろよ!」とリザードマンの地団太が病院に響き渡った。


 目撃者が言うには、ハーピー部隊の一人がターゲットを取り逃がした腹いせにマホロへ向けて風を煽ったらしい。はりから着地する前にバイクはバランスを崩し、放り出され肢体は地面へ叩きつけられた。

 胸ポケットにかくまっていた小妖精が咄嗟とっさに治癒魔法を発動させなければ即死だっただろうと、現場に駆け付けた救急隊員はガルガに説明した。



「ヒューマンの身体は脆い。あまり無茶はするな」


 未だ包帯だらけでベッドから起き上がれずにいる怪我人を諭すよう、スピアライトが言う。

 そもそもヒューマンの寿命は短い。だからこそ何かを成すために命を燃やし尽くそうと躍起になる。恐怖心を持たないマホロはそれに輪をかけて危なっかしいのだ。

 だが本人はあまり理解していないのか「気をつけるよ」と軽く笑うだけ。

 少しの風で搔き消える蝋燭ろうそくの火のように、いつか突然その儚い命を散らしそうだ。スピアライトにはガルガの心労が手に取るようにわかった。


「……ミラが言うには、誰彼たそがれ吶喊とっかんはキサラギ博士が研究していた平行世界に潜伏している可能性が高いらしい」


 スネークとスピアライトが情報局で監視カメラの映像を確認していた時、あることに気づいた。

 行方不明者は姿を消す直前に何かしらの建物に入って行く映像が残っているのに、出てきた映像は一つもない。

 つまり、屋内から別の場所に移動している。


 そしてガルガがタクシーから押収した車載カメラには、頭上に作り出した魔法陣に吸い込まれるミノタウロスの姿が残っていた。


 魔法陣の解析の末にたどり着いたのが、キサラギ博士が生前に研究していた平行世界の論文。博士が誰彼たそがれ吶喊とっかんから命がけで守った研究が、15年の時を経てとうとう悪の手に落ちたのだ。


「ミラが保安局の解析班と缶詰めになって鍵を作っている。おそらく今日中には出来上がるだろう」

「そしたら明日には突入だね」


 淡々と告げる瞳の奥に緑樹を燃やす炎の片鱗を見たガルガは、まだ起き上がることができないマホロの肩を掴んだ。


「お前は留守番だ」

「どうして? もう1週間も再生ポッドに入れられてるんだ。明日には動けるようになるって先生も言ってたよ」

「蘇生したばかりの骨は脆いってことも言ってただろうが。まだお前の無茶に耐えられるような身体じゃない。下手したら死ぬかもしれないんだぞ」

「父さんのかたきが討てるなら、死んだってかまわない」


 自暴自棄な物言いになってしまったが、今さら取り消すことはできない。

 父親を殺し、その研究を横取りして悪事を企てる相手に怒りで身を焦がすマホロは、自分を安全な場所に置いて行こうとするガルガに苛立ちを募らせた。


 普段の彼なら、「仕方ないな」という顔をしながらマホロの無茶や我儘を叶えてくれる。

 今回も同じように思っていたマホロの期待は、意外な形で裏切られた。



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