Act.1 Howling ―遠吠え―(2)




「よしよし、よくやったねガルガ」


 膝をついて作業していたおかげで珍しく自分よりも低い位置にある相棒の頭を、マホロはここぞとばかりに愛で撫でる。


「やめろって。俺は犬じゃない。触るな、撫でるな、猫なで声で呼ぶな」


 少々がさつな物言いからは意外なほど整えられた黒髪を、細い指が遠慮なしにガシガシと撫でる。

 するとどうしたことか。愛情たっぷりの手をどけると、髪の毛の隙間から「ぴょこん!」と大きな三角の耳が二つ現れたのだ。


「ふふっ、そうだねぇ、褒められて嬉しいねぇ」

「だぁぁあッ! その慈しみのにやけ面をやめろ! 撫でるなって! 毛並みが乱れる!」

「なら僕がブラッシングしてあげる。あ、一緒にシャンプーもしようか? 頑張っていい子にしてたら大好きなケーキをあげるよ」


 次々と提示される魅惑的な提案。ケーキ、という単語を聞いたらもうだめだった。ショート丈のブルゾンの下からもそりと現れた黒い尻尾がぶんぶんと左右に揺れる。

 本音と建て前の両方が必要な街で生きるのに、この身体は素直すぎる。


 そんなたわむれを繰り広げていたところに、マホロとガルガの無線機がグループ回線の通信を受信した。


『ガルガ、今どこ!?』

「ミラージュか。ちょうどマホロと合流したところだ」

『はぁ!? さっきまで事務所でデザート食べてたくせに! 忠犬かっ!』

「犬じゃねぇっつーの!」

『って、そんなことより! 急いでイブニングスクエアに向かってくれる!?』


 ついさっきマホロと通信した時と違い、ミラージュはまくし立てるように語気を強める。

 何かイレギュラーなことが起きたのだろうか。

 通信を聞いていた二人は顔を見合わせた。


『酔っぱらった竜人族がドラゴン化して暴れてるの! ついさっき保安局が御触おふれを出したわ。なんと、鎮圧報酬1,000万ルピ! これは行くっきゃない!』

「……他を当たってくれ」


 金に目がくらんだミラージュの暴挙に、ガルガは深い溜息を吐く。

 地上最強種族と言われるドラゴン相手に自分の強さを過信するほど、ガルガはおごってはいない。妥当な判断をしただけだ、怖気づいたわけではない。


 こういう無茶な依頼は民間警察大手のバラード社やクニミ警備保障に投げればいいのだ。

 自分たちのような零細企業が意気揚々と出て行ってもドラゴンの炎で炭にされるか、最新鋭の武器弾薬魔法兵器を持つ大企業に手柄を掻っ攫われるだけだろうに。


『それがね、スネちゃまが我先にって現場に向かっちゃったの』

「何……!?」

「あはは! さすがスネーク、向こう見ずだなぁ」

『船上レースで破産したからって、何も命まで投げ出さなくてもいいのにねぇ~』


 マホロとミラージュが呑気な会話をしているところに、『そのあだ名で呼ぶなっつってんだろうが、ババア!』と怒声が飛んできた。

 リザードマンのスネークだ。「スネちゃま」と呼ばれることを大変嫌っている。

 一方ミラージュはミラージュで『まだ200年しか生きてないわよ!』と応戦した。


『だいたいテメェの応援なんざいらねぇよワンコ野郎! 1,000万ルピのボーナスは俺様のモノ――うぎゃああ尻尾食われたぁあ!』

『急げガルガ。相手はドワーフの酒蔵を空にしてご機嫌に暴れてるぞ。スネークの尻尾もつまみにされた。マリオネットも来ているが、こちらも長くはもたない』

『がるが、こい、はやく』


 新たに通信に入って来たのはエルフの女戦士、スピアライトだった。

 歌や踊りが好きで陽気な森のエルフであるミラージュと違い、スピアライトは百年戦争以前から戦いに身を投じてきた猛者もさだ。

 いつもは泰然たいぜんと構えている彼女の声に焦りが滲んでいる。


 そして幼児のような高音の片言でガルガを呼ぶのは、パペット族のマリオネット。

 結局全員出動してるじゃないかと、ガルガは頭を抱えた。


「どうやらヒューマンの出番はなさそうだ。マホロは先に帰ってパイでも焼いてろ」

「そうさせてもらうよ。でも、その前に……」


 仲間の危機へ駆け出そうとするガルガの表情の強張りを見たマホロが、一歩踏み出した。


「ガルガ、してあげる」

「あ? いらねぇって、さっさと行けよ」

「ガルディアガロン――」


 それは、マホロがガルガへ与えた真名。

 その名で呼ばれると、ガルガは堪らなく胸が焦がれるのだ。

 嫌とか腹立たしいという感情ではなく、気恥ずかしいという感覚が近い。ムズムズする。

 全てはガルガの種としての本能なのだから、仕方ないのだけれど。


 主の前に立つ従者のように、ガルガはしずしずと片膝をついた。

 マホロは満足そうに微笑む。ぞっとするほど美しく、凶悪に。



 言いながら、細い指がガルガの下顎したあごを愛おし気に撫でた。

 眠れない子どもに聞かせる御伽噺おとぎばなしのように、マホロは言葉を紡ぐ。


「ガルディアガロン。僕の心を食べてしまったいけない子。お前に祝福をあげよう」


 白い産毛うぶげが生え揃う大きな耳へ唇を寄せ、彼は甘美な声で祝詞のりとささやいた。


「暴れん坊な小蛇の首を僕のところに持ってこい。他の奴らに先を越されるなよ? いいね?」


 群れの長からの命令まじないは、獣の本能を呼び起こす。

 氷山の夜のようだったシルバーアイズは黄金色こがねいろに変わり、しなやかな筋肉が隆起していた身体が漆黒の体毛に包まれた。


 ダイバーシティに遠吠えがとどろく。どこまでも遠くまで、唸りを上げて――。



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