第14話 第1ステージphase6


♢


——僕は、人を殺した。


なんて事は無い、ただその引き金を引いたのが僕だったというだけ。

恩師だった。背中を押してくれたかけがえのないものを、失った。

僕が壊した。


『なんて顔してるんだ、花踏ー!そんな死人みたいに湿気た顔してたら、先生の方が驚くわ!心臓止まるわ!』


たまに、放課後や昼休みにたわいの無い話をする。

そこまで頻度は高くなかったけれど、この先生のド直球な言葉が、僕は好きだった。

『死人って……何、西宮先生は僕をゾンビか何かだと思ってんの?』

『ゾンビ……そりゃあいいな!よし、今度からはゾンビ花踏と名付ける事にしよう!』

『教育委員会に報告してやろか?給料減らしてやろうか?』

『冗談に決まってるじゃないかー……!や、やだなーもう、花踏くんてば、本気にしちゃって可愛い……や、やめて!そのスマホで何を調べようとしてるんだ!?』

『教育委員会の電話番号だけど?』

教師なのに、いつもどこか気が緩むオーラを纏って、こんな影みたいな僕にも声をかけてくれる。


——でも、もうそんな日は永遠に訪れない。


ああ、息が苦しい。

心臓がぎゅって重たい石に潰されていくみたいだ。

このままいっそ、死んでしまおうか。どうせ生きる意味なんて、最初から無かったんだ。それも悪くない。

苦しいのも、痛いのも、辛いのも、全部全部嫌なんだ。

だから……



「……くん。——踏くん。——花踏くん。」


鉛のように重たい瞼をゆっくりと開ける。

僕を呼ぶ、女の子の声。

ボヤけた視界の先にいたのは、真っ黒な闇を全身に纏ったような、黒い少女だった。

「……ら、びり……?」

彼女の美しい瞳が、きらりと光る。

意識が朦朧とする中身体を起こし、辺りを見渡した。


簡易的なベットとソファー。

殺風景なここは、恐らく仮眠室のような場所なのだろう。

自分が寝ていたベットは、ピエールに案内された自室よりも硬く、寝心地はさほど良いとは言えなかった。

だからあんな、懐かしい夢を見たのかもしれない。

カーテンで窓は閉ざされ、オレンジ色の淡いライトがラビリの頬を照らす。

「疲れは取れた……わけ無いわね。それでも少しは休めたかしら。」

「あ、うん……。」

ラビリはベットに座り、僕の横で背中を向ける。

彼女の小さくて、華奢な背中はとても弱々しく感じた。

「……ごめんなさい、花踏くん。」

「……え?」

ラビリは背を向けたまま、呟くようにそう告げた。

「貴方をサポートするのが私の役目だったのに、私は……貴方に辛い記憶を植え付けてしまった。」

いつも気高く、強く、凛々しい彼女が暗い声で、誰よりも苦しむような声で、そう話した。

僕は、恩師を殺した。

僕は、親友を騙した。

僕は、僕を壊した。

その全ての責任は、どう考えても僕にあって、彼女が悔いる事では無い。

それに、サポート役と言っても、ゲームの進行をサポートするのが仕事であって、何も僕の事をそこまで気にかける必要は無いはず。

だと言うのに、彼女はか細い声で僕に謝罪した。


——ああ、優しいんだなあ、ラビリは。


こんなどうしようも無い僕を、こんなに心配してくれて、慰めてくれて。

「僕、さ。ずっと一人ぼっちだったんだ。学校に友達なんて居ないし、親友の祐介だって、きっと心の底から友達だと思った事は一度も無い。疑い深い僕は、どんな人だって誰だって疑って、警戒して、拒絶する。そんな僕に、心の底から大切だって思える人は居なかったんだ。」

祐介はいつも僕の傍にいてくれた。親友だと言ってくれた。

その言葉に救われた一方で、ふと思う。

その親友という言葉は、どこまでが本当でどこまでが嘘なのだろう。

心の底から花踏直人を親友だと思っているわけが無い。

だって、自分自身ですら、僕は僕が大嫌いなのだから。


だから、ラビリが僕を信用していないと知った時嬉しかった。

名前の無いこの関係が居心地良くて、ラビリの言葉で勇気が出た。

最初は、花踏直人が案内人で良かったと、そう言わせたいなんて身勝手な願い。

でも、今は違う。

こんなろくでなしを、救いようのない愚かな僕を、きちんと正面から見てくれた。そして、受け入れてくれた。


——共犯者になると、言ってくれた。


そんな君だけは、信じたい。そんな君だけは、守りたい。

だから……。


「ラビリ。僕は君がいる限り、どんな事でも受け入れるよ。君の声が届く間は、どんな悪人にだって、なってやる。」


ラビリが僕の共犯者になってくれたように、僕もまた、君の為にこの手を汚そう。

その言葉に答えるように、ラビリはゆっくりと僕の方を向いて静かに手をとった。

指と指の間から、彼女の熱が伝わってくる。

暖かな温もりが、僕の全身を凍らせていた何かを溶かしていく。

心地よく、暖かく、穏やかなその温もりはアルコールのように僕を夢心地にさせてくれる。

「なら、私も貴方がいる限り貴方の傍にいるわ。どんな事があっても、世界が貴方を敵だと言っても。私だけは、貴方の傍でこうして手を握っているわ。」

彼女の艶やかな髪が、僕の視界を隠す。

闇の中で小さく灯るその火は、僕の世界にある唯一の光。

きっと、僕とラビリは友達になれない。家族にも恋人にも親友にも。

歪な僕らのこの関係を一言で表現するのなら。


「——だって、私達は共犯者だから。」


いつか壊れてしまいそうなくらい、脆くて弱々しい糸を、僕達は結んだ。

その糸が一体、何色なのか僕には分からないけれど。

つなぎ止めたその糸と、目の前でただ僕を見ていてくれる少女を僕はきっと、心の底から愛している。

「うん。僕らは共犯者だ。二人ぼっちの、世界でただ二人だけの共犯者。」

汚れて、穢れて、壊れて、何もかも無くなった僕に唯一残された彼女と言う存在がたとえ悪魔だったとしても、僕はもうこの手を離さない。

そう心に硬く誓う。


ラビリの手をぎゅっと握って、互いに見つめ合う。そこに会話は無く、静寂が二人の時間を奪う。

そうして、多分数分もしないうちに、ベットの横に備え付けられていた棚の上のタイマーが音を立てて振動した。

「花踏くん、時間よ。もうそろそろ第一ゲームは終わるわ。最後にそれを見届けるのが案内人の仕事。……出来る?」

出来る、とそういう問いかけは、少しばかり意地悪だ。

出来るか出来ないかでは無い。これは、僕が決めた道だ。なら、そんな別れ道ははなから存在しない。

ラビリから手をゆっくりと話、僕は立ち上がる。

ソファーに置かれていたうさぎの被り物を手にとって、僕はラビリに告げた。

「やるよ……君の為に、このゲームを続ける為に。それが僕に与えられた役割なら、僕はそれを果たすよ。」

心の迷いが無くなったかと問われれば、僕はノーと答えるだろう。

けれど、覚悟は決まった。

もう戻れないのなら。壊したものが修復できないのなら。

後はただ、進むのみ。その果てに、全てが崩壊したとしても、僕は歩みを止めない。

僕の言葉に、ラビリは「そう」と小さく答えた。

腰を上げたラビリは、スタスタと扉の前に立ち、ドアノブを捻る。

ぎいっとゆっくり扉は開き、眩い光が差し込む。

彼女の頭上を照らし、後光がラビリを包む。


「それじゃあ行きましょう、花踏くん。」


真っ直ぐに差し出されたその手を、僕は躊躇する事無く掴む。

これが僕が選んだ道だ。これが僕が選択した答えだ。

これが、僕の決めた物語だ。

ならきっと、結末はハッピーエンドじゃないのだろう。

だって僕は漫画のヒーローにはなれない。

きっと今の僕は、漫画の序盤に出てきて呆気なく死ぬような、そんな雑魚な敵役だ。

それでもいい。それでいい。

そんな雑魚が、突き進んだ道の果てに残されたものはきっと、砂をかき集めてやっと形になるようなしょうもない物だ。

それでも、ラビリが隣にいてくれるなら、今の僕は死んだって構わない。


心が壊れた僕はもう、普通の感情で生きる事は出来ないのだろう。

陽の当たる生活を、心の底から楽しむ事は出来ないのだろう。

けれど今は、こうして僕の前で手を引いてくれるたった一人の少女が居てくれるだけで僕の胸は満たされる。


僕は、僕の為に。そして君の為に。


——このゲームの道化師になってやる。


そうして再び僕は、親友と相見える。

退路を断たれた僕に残された道を、線をなぞるように、僕は進む。


「——タイムオーバーです、皆さん。」


さあ……再びゲームを始めよう。

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