第13話 第1ステージ phase5

「ダメだ、希さん!!!」


俺は咄嗟に、希さんの手を掴んだ。

ガシッと、力強く握ったその手のひらの中には華奢で細い手首が収まっている。

「離して、祐介くん。」

「ダメです、だって離したら……希さんは、自分から死ぬつもりでしょう?」

後ろを振り向かない希さんに、俺は必死の説得を続ける。

「そんな事絶対にさせません。させたらダメだって、俺の心が言ってます。」

「なら、この状況をどうやって打破するの?膠着状態の中、タイムリミットはもう迫っているわ。」

確かに、スクリーンに映し出された残り時間は、あと十分も無い。

こんな中で、あと二人の犯罪者を見つけ出さなてはいけないなんて、どう考えても時間が足りない。

だから今ここで、希さんが自らその罪を告白してくれるのは他の参加者にとっては有難い話なのだろう。

それでも……俺は……!


「——俺はそれでも、希さんに生きていて欲しいです。」


こんな在り来りなセリフしか出てこないなんて。

もっとかっこいいヒーローなら、苦しんでいる彼女を救う事が出来たのかもしれない。

でも俺はヒーローじゃない。正義の味方でも無い。

きっと、今俺がしている事は間違いで、他の人から後ろ指を刺されるかもしれない。

それでも今は。今だけは……俺はこの我儘を貫き通す!

「希さん、言ってましたよね?弟が居るって。残された弟さんはどうなるんですか?」

「さぁ……あの子ももう高校生だし、一人で生きられるだけの遺産は残してあるし。きっと何とか生きていけるでしょ。」

「でも……でもそれは、弟さんの望みじゃないでしょう?」

「望みじゃない?そんなはずないわ。だって私、姉らしい事なんて何一つもして上げられなかった。」


幸せな家庭は、ずっと昔に塵となって消えていった。

残ったのは、二人の姉弟だけ。姉は弟の為に必死に働いた。身体を売って、心を売って、そうして汚いお金を手にした。

その代わりに失ったのは、弟との絆。

弟が困っている時、受験で行き詰まって居る時。姉はそれに気付いてあげられなかった。

弟はボロボロになって、傷だらけになって、その時にやっと自分がどれだけ最低な人間なのかを思い知らされた。

弟は息を殺すように泣いていた。泣き叫ぶ事すら出来ず、ただ啜り泣くだけだった。

助けてとも、辛いとも言わず、ただ泣いているだけだった。


——ああ私、何のために生きてるんだろ。


弟を守れず、残ったのは有り余る金だけ。

ドロドロに汚れた、汚いお金だけ。

「私はね、お金さえあったら幸せになれるって、そう思ってた。そう信じてた。でも……違ったの。そうじゃなかったの。私はもう、本当の幸せを手にする資格すら無い。」

化粧をした。整形をした。少しでも客を取る為に。

沢山笑った。何を言われても、何をされても、必死に口角を吊り上げて笑った。

自分の人生で、楽しかった記憶なんてもう遠くの彼方へと消えていった。

何度も何度も、この苦しみから解放されたかった。


——何度も死にたいって思った。


「ねぇ、私もう十分に頑張ったの。疲れて、涙が出なくなるまで頑張った。だからもう……楽になりたいのよ、祐介くん。」

希さんはくるりと振り返る。

その笑顔は、俺の胸をずさっと刺すくらいに痛々しい笑みだった。

思わず、掴んでいた手首を離してしまいそうになる。

俺が、希さんに生きて欲しいと思うのは、エゴだと分かっている。

自分よがりの、願望だと。

それでも、やっぱり自分の中の願いは変えられない。

希さんは弟を救えなかったと悔いていた。

なら、と俺は顔を上げる。

何だって良かった。今、この瞬間に彼女の望みを止められるなら、何だって。

俺は希さんの目を真っ直ぐ見詰めて、告げた。


「——なら、今は俺の為に生きてください。」


その言葉に、希さんは目を丸くさせる。

「……え?」

「希さんが俺を助けて下さい。そのかわり、何があっても俺は絶対に希さんを助けます。だから今は俺の為に生きてください。」

こんな言葉は紛い物だ。嘘と偽りで出来た、虚言だ。

俺はヒーローじゃない。漫画の主人公みたいな正義の味方ですらない。

それでも俺が希さんに生きる意味を作ってあげられるのなら。

こんなセリフ幾らだって吐いてやる。

希さんの手首を掴むその手に力が入る。俺は目を逸らす事なく、希さんを見つめ続けた。

「それは……祐介くんの望み?」

「いえ——これは契約です。俺と、希さんの。」

真面目に答えたつもりだった。

けれどその答えを聞いて、望みさんはくすりと笑う。

先程の質問は、どうやら俺を試していたらしいと気付いたのは、その後の希さんの言葉を聞いた直後だった。


「そこまで言われたら、仕方ないわね。——でも。そのうち後悔するわよ?」


彼女は妖艶に微笑む。まるで、悪魔と契約を交わしたような感覚だ。

確かに、いずれこの契約を後悔する日が来るのかもしれない。

「——今は、これが一番正しいって、そう思います。」

だからそれでいい。それで十分だ。

彼女に吊られて、俺も微笑む。

ゆっくりと彼女の手首を握っていた手を緩める。

そして希さんは、そのまま真っ直ぐアリアの方へと歩いて行った。

「希さん!?」

「安心して、祐介くん。ここはお姉さんに任せなさい。」


アリアの元へと、希さんは近付く。

「ちょっと、いいかしら。」

希さんはゆっくりと手を挙げて、参加者の中に割り込んでいく。

アリアも希さんの姿を見つけられたのか、「何でしょう?」と尋ねた。


「私の働くキャバクラは会員制でね?そこそこに偉い人も沢山来るの。愚痴を吐いたり、自分の欲望を押し付けたり……まあ殆どがストレス発散の為に来るお客ばかりなんだけどね。そのせいか、私の元に来るお客も私に愚痴を話したりするのよ。」

希さんは手首に嵌められているブレスレットから、液晶画面を映し出す。

それは、各自の様々なデータが記載されているブレスレット。

「そのお客の中で一人、常連の客が零していた愚痴を思い出してね。確かその人は、『奥さんが子供に体罰を続けていて、早く離婚したい』って、そんな感じの話をしていたわ。面倒くさそうな話だったし、それ以上は聞かなかったけど。……で。データを見たらびっくり!その常連客の会員証と同じ名前が、夫の欄に書かれている人がいたのよ。」

にたり、と希さんは笑う。

その目線の先には、みるみる顔色が青ざめていく一人の女性がいた。


「——ねぇ?藤來紀子さん?」



ボサボサで、チリチリの黒い髪を一つに束ねた三十代くらいの女性。

前髪は無く、その顔は荒れ、クマもくっきりと見えた。

カタカタと歯を震わせる藤來さんは、目を泳がせながら「そ、その……」と見るからに動揺している。

「普通自分の子供殴る人とかいる?何が気に食わなかったのか知らないけど、我が子に手を挙げるなんて、最低だと思わない?」

「なっ、……!あ、アンタが何を知ってるのよ!?」

「さあ?私は客である貴方の旦那さんから愚痴を聞いてただけ。帰る時間が早いと、痣だらけの子供に会うのが怖いから、わざとキャバクラで時間を潰してるんだって、そう言ってたよ?」

「あ……あの男……!!!!」

ぎりっと歯ぎしりを立て、顔を顰める藤來さん。

どうやら、希さんの言っている事は事実のようだ。

「まあ、私からしてみれば自分の妻と子供を怖がって逃げる旦那さんも大概だけどね。本当に大切にしてるなら、離婚するなり家出するなりして、助けてあげればいいのにさ。」

希さんはそう言って、藤來さんの前まで歩く。

胸を張って、堂々とするその後ろ姿は先程まで悩んでいたあの希さんとは思えないくらいに凛々しい。

「折角だし、教えてよ。なんで子供に手を挙げたの?」

にたりと希さんは悪魔のような微笑みを向ける。

挑発ともとれるその質問に、藤來さんは顔を真っ赤にさせて憤怒した。

荒々しく声を上げて、憎しみと憎悪が混ざった声で俺たちに聞こえるように。


「そんなの、あのガキが大っ嫌いだからに決まってるでしょ!?私の子でも無い、不出来なガキを躾ける為に手を挙げて何が悪いの!?いっつも私の事『ママ』だなんて……思い出しただけでも腹が立つ!金があるから結婚してやったのに、その後は子供を私に押し付けてあの男は毎日キャバクラ三昧!!こっちはストレスで肌も荒れて髪も抜けてボロボロだって言うのに!!私はベビーシッターでも家政婦でもねぇっつーの!!!」



それはきっと、これまでの間に溜まっていた鬱憤や怒りだったのだろう。

その怒鳴り声に、しんと静まり返る参加者達。

これまでの二人とは違って、自分の罪を隠す気は無いようだ。

「アンタがあのクソ男が通ってたキャバ嬢?別に対して可愛くも無いのに、よく貢いで貰ったね。どうせその金でホストとか整形とか贅沢三昧だったんでしょ?どう?楽しかった?」

藤來さんは、希さんをぎろっと睨みつけた。

嫌悪と憎悪と、怒りと憎しみと。

そんな包丁の様な鋭い目付きに、希さんはその場で立ち尽くした。

「そうね。貴方の旦那さんには良くして貰ったわ。でもだからって、私を恨むのはお門違いってものでしょ?貴方が旦那に愛されなかったのは、貴方のせい。自業自得よ。」

希さんは、吐き捨てるように藤來さんに告げる。

その言葉に、何かを自制していた糸がぷつりと切れたのか、藤來さんは一層顔を赤くさせて希さんに襲いかかる。


「この……クソ女があああああああ!!!!」


藤來さんの手が、真っ直ぐに希さんの首目掛けて伸ばされる。

「希さん!」

ダメだ、ここから走っても間に合わない。

希さんは逃げる素振りも怯える素振りもせず、ただ堂々とその場に立っていた。

——何で逃げないんだ……!

「いけない!ダメです、藤來さん!!」

アリアの焦り声が響き渡る。それでも止められない。

伸ばされた藤來さんの両手の爪が、希さんの首に触れたその刹那。


——ブー。


緊迫していた空間に、ブザーの音が鳴り響く。

その大きな音に、藤來さんを含めた全員がピタリと止まった。

何が起きたのかと辺りを見渡すと、スクリーンに映し出されていたタイムリミットは、残りゼロ秒を指している。

「う、そ……。」

アリアのそんな、動揺する呟き声と共に、鉄の扉がゆっくりと開いた。

そこから現れたのは、あのうさぎの被り物を被った案内人。

ゆっくりとその足をステージに伸ばし、歩いていく。

硬い靴を蹴る音が、コツコツと反響する。

ステージ中央に登った案内人は、嬉しそうに声を弾ませて、俺達全員に告げた。


「——タイムオーバーです、皆さん。」

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