第8話 もう、戻れない。

「——とりあえず、その正体を暴く所から始めようか。」


そう言った西宮先生は、ゆっくりと僕に近付いてくる。

その足音が、頭の中にまで響いていく。

「花踏くん……!花踏くん!銃を彼に向けなさい!」

ラビリの声に反応するように、僕は手にしていたモデルガンを西宮先生に向ける。

『そ、それ以上近付けば打ちますよ……!?』

「——構わない。これでも生徒想いな教師でね。生徒を傷付けさせはしないよ。」

決して揺るがない心。それを表すように、西宮先生は真っ直ぐ僕に近づいてくる。

銃を持つ手が、小刻みに震える。

その銃を彼に向け、引き金を引く勇気なんて僕には無い。


西宮先生と僕との距離は、徐々に縮まっていく。

残り、数センチメートル。

必死に思考を回転させる。どうすればこの窮地を抜け出せる!?

このままじゃ、二人に正体がバレる!そうなればゲーム所じゃない……!

僕だけが犠牲になるならいざ知らず、このままじゃ、ラビリにも被害が……どうすれば……!

手に大量の汗を握りしめた刹那、僕はラビリの言葉を思い出す。


「収集がつかないようなら、それを天井に向けて一発、打つといいわよ。」


それだ!と、僕は銃口を西宮先生から天井へ切り替える。

その場しのぎでもいい。——だから、どうにかなれ……っ!!

ぎゅっと目を固く結んで、僕はそのまま直感的に行動する。


——パン!


僕はそのまま天井に向かって、引き金を引いた。

それを合図にするように、二つの発砲音が重なって部屋全体に響き渡る。

でも、僕が打ったのは、一発。……一発だけだった。

なら、もう一発は……?


ゆっくりと瞼を開ける。

ぼやけた視界の先にいたのは、西宮先生だった。

その腹部には、小さな穴が空いている。

蛇口から水が溢れるように、その小さな穴から赤い水がポタリと落ちていく。

『……え?』

目の前に立っていた男は、ゆっくりと地面にくずおれていく。

ばたりと、崩れ落ちるように倒れた先生の周りには赤い水たまりが広がっていた。


「——西宮先生!!!!」


祐介の悲痛な声。

女の子の叫び声。

参加者達の阿鼻叫喚。

何が起きたのか、僕は理解が出来なかった。

肩を震わせていると背後から何かの匂いが鼻を擽る。

振り返ると、スクリーンの真横から小さな大砲のようなものが現れていた。

さっきまで、そこには何も無かったのに。


「西宮先生!!西宮先生!!」


祐介は泣きながら、先生に駆け寄る。

「しっかりしてください!西宮先生!!」

「あ……らた、に……。い……き……っ」

祐介に伸ばしていた弱々しい手が、力なく地面に落ちる。


「うっ…………うわあああ!!!!」


祐介の痛々しい叫び声に、僕はただ立ち尽くす事しか出来なかった。

本当は今すぐにでも、駆け寄りたい。すぐに助けを呼んで、治療を受けさせたい。

けれど足が竦んで、動かなかった。


「花踏くん。忘れては駄目。これはゲームなのよ。貴方の役目を忘れないで。」

ラビリの声が耳元から響く。

真っ白な頭の中に、彼女の声と祐介の泣き叫ぶ声だけが残る。


——殺した。殺した。僕が……西宮先生を殺した。


「花踏くん、落ち着きなさい。このままじゃ、ゲームが進行出来ないわ。自分よやるべき事を思い出して。」

僕の——やるべき事。

そうだ。僕は……このゲームの案内人。

壊れて、狂った、イカレ野郎の案内人だ。

僕は手から銃を放り投げた。

そして——そして、高らかに笑って見せた。


『は……ははっ……あははははははは!!!』


それはもう、涙が出るくらいに、腸を引き裂かれるくらいに。

笑って笑って、喉が潰れるくらいに笑ってやった。

『ほら!人なんて簡単に死ぬんです!!私に逆らうから、死んだんだ!!自業自得ですよ!!!!』

ああ、僕はなんて最低な男なのだろう。

なんで僕は、こんな時に笑っているのだろう。

何が楽しくて……何がおかしくて、僕は泣いているのだろう。


その時、自分の中で何かが壊れる音がした。



それはきっと、心と呼ぶべきものなのだろう。

大切な事を教えてくれた人を。背中を押してくれた恩師を、僕は今殺したんだ。

謝る事も、償う事をする勇気も無い。

バリン、とガラスが砕けるような音。

それを聞いた瞬間、僕は直感的に理解した。

悟ってしまった。


——ああ、僕はもう、戻れない。


ならあのピエロと同じように、道化師を演じよう。

あの男が望む通りの狂った怪物になってやろう。

ひとしきり笑い飛ばした後、僕はゆっくりと息を整える。


『皆さんもこうなりたくなければ、頑張ってゲームに勝ってくださいねぇ?それでは——健闘を祈ってますよ』


そう言って、僕はステージを降りる。

指紋認証で開いた鉄の扉をくぐって、僕はその場を後にした。

「お前は……お前だけは絶対に許さないっ!!!!」

そう、僕に向けた親友の言葉が、扉が閉まる直前の最後の言葉だった。



——バタン。


扉は締まり、僕はその場に立ち尽くす。

「花踏くん。」

そんな僕に近づいてくるのは、全身を黒で包んだ少女。

こんな時だって、その瞳は真っ直ぐで凛々しかった。

「ら、びり……」

ラビリは僕の目の前に立つと、そっと被り物に触れる。

ゆっくりと、被り物を僕の頭から取るとラビリは目を丸くさせていた。僕の顔は、そんなにおかしかったのだろうか。

ラビリは、眉間にシワを寄せて僕に向かって腰を折る。

「ごめんなさい。まさかあんな事になるだなんて想像していなかったの。」

「……なんでラビリが謝るの?あの人を……西宮先生を殺したのは僕なのに。」

「——っ!それは、……それは違うわ!貴方はただ……」

僕はただ、天井に向かってモデルガンの引き金を引いただけ。

でも、そうしたから。僕がそう行動したから西宮先生は死んだ。

だから、ラビリ。


「——先生を殺したのは、僕だ。僕なんだよ、ラビリ。」


それは言い逃れる事の出来ない事実。

それは揺るぐことの無い真実。

「僕は、恩師をこの手で殺した。僕の意思で。僕の決断で。ねぇ、ラビリ。——なのにどうして僕は、今泣けないんだろうね?」

ラビリはそっと、僕を抱きしめる。

彼女の髪からは、花のように甘い匂いがした。

その絹のように美しい髪が僕の鼻を擽る。

僕の全身を、彼女の温もりが包み込む。


「——貴方が彼を殺したのなら、私もまた彼を殺した共犯者だわ。」


それは違う。違うよ、ラビリ。

そう言いたかったのに、喉が枯れたせいか声が出ない。

ラビリは何も言わない僕に向かって、耳元で囁く。


「たとえ、貴方の事を誰も許さなくても。世界中の誰もが貴方の敵になったとしても。私は、……私だけは傍にいる。貴方のパートナーとして——貴方の共犯者として。」


凍りついていた心が、彼女の熱に溶かされていく。

暖かな温もりに、僕は彼女の背中に手を回した。

「だから花踏くん。私の前でだけは……貴方の、花踏くんのままでいいのよ。貴方の心が泣きたいと言っているのなら、それに従っていいのよ。」

その甘い声に、僕の目頭は熱くなる。

自然と瞳が潤んで雫が溢れていく。

彼女の前でだけは、自分の心を殺さなくてもいいんだ。

それだけで、肩の荷が軽くなったような気がする。


——ねぇ、ラビリ。


僕も君に誓うよ。

僕がこの先どれほど穢れた山を登ったとしても、君が僕を見捨てないというなら。

君が地獄に堕ちる時は、僕も共に堕ちると誓おう。

だって僕達は——たった二人だけの共犯者なのだから。



♢


いつだって、人の世は穢れている。

それは、私が一番良く知っている事。


花踏くんは泣き疲れたのか、そのまま赤子のように眠ってしまった。

けれどまた二十分もしないうちに、彼は案内人として再びステージに上がらなくてはならない。

私は花踏くんを置いて、一人階段を登った。

地上二階、そこはシステム管理を担う運営室。

無数のモニターに囲まれた薄暗い部屋で、その男は立っていた。

「言われた通り、死体は片付けたわ。——ピエール。」

「それはご苦労様。まさかあんなイレギュラーが起きるなんて、全く僕も驚いたよ。」

くるりと振り返る道化師は、ニコリと不吉な笑みを浮かべている。

それが余計に、腹が立つ。

「イレギュラー?貴方はゲーム開始前に私とミリューに指示を出した。花踏くんに近付く者がいたら、迷わず打てと。貴方はこうなる事が分かっていたのでしょう?」

「はははっ、買い被りすぎだよラビリ。僕はそこまで有能じゃあ無い。」

今すぐにでも、この男の首を絞めて殺したい。

腸が煮えくり返りそうになるのを抑えながら、私は彼に近付いた。

そのまま力のままに、ピエールの胸ぐらを掴む。


「貴方は花踏くんに何をさせるつもりなの!?」


思えば、花踏くんを選んだのはピエールだった。案内人役の最終決定権はピエールにあったから。

「おやおやラビリ、君がこんなに感情を顕にするなんて珍しいねぇ。」

「とぼけないで!貴方が花踏くんに何をさせようとしているのかと、聞いているのよ!」

「何もさせないさ!確かに花踏くんに案内人を務めて欲しかったのは本当だけれど、他には何も望んでいない。」

嘘だ。

直感的にそう感じた。

何故ならあの時。恩師を殺され、私の元に戻ってきた時。


「——先生を殺したのは、僕だ。僕なんだよ、ラビリ。」


そう言った彼は——笑っていた。


あれは本当に花踏くんだったのだろうか。

否。この男が、花踏くんの心を壊したせいだ。

そうなる事を、この男は望んでいた。


だってこの男は、他の誰よりもこのゲームを楽しんでいる。

人が死ぬ姿を見て、愉しげに笑っている。

『あの時』だって、そうだったように……。


「兎に角。花踏くんを、貴方の思い通りにはさせないわ。彼は貴方の遊び道具じゃない。」

「それは残念だ。ところでラビリ。ゲームに置いて、一番大切なものは何だと思う?」

「興味無いわね。貴方とそんな談笑をする暇なんてないわ。」

そう答えると、ピエールは嬉しそうに私に告げた。


「——それはね、面白い事。エンターテインメントは、面白く、愉快なものでなくてはいけない。そうでないと、客は満足しないからね。」


くだらない。

こんな話に耳を傾ける暇なんて無い。

私はくるりとピエールに背を向けた。

「ラビリ、僕はね。花踏くんならこのゲーム最高のエンターテインメントにしてくれると、そう思っているんだよ。今の所、その予想は当たっているようだ。」

握りこぶしに力が入る。

この男に飛びかかって、殴り殺したいところだけれど、今は抑えるより他にない。

感情的になって、今ここで行動するのは、それこそ愚策だ。

私の『計画』の為にも、今はまだ——殺さない。

私は歩き出す。

間もなく、第一ステージの幕が降りる時間だ。

花踏くんを起こさなくては。

彼の元を去る前に、私はピエールに伝える事がある。


「ならないわ。貴方の予想通りになんて、絶対にならない。……私が絶対に、そんな事させない。」


そうして私は、その場を後にした。

ピエールの腹の中なんて知りたくも無いけれど、彼が生粋の狂人だという事は分かった。

いや、人間かどうかも怪しいところね。

どうしてあの男が私に、あの日あんな事を言ったのか。


「ラビリ。何があっても、花踏くんを案内役にしなさい。彼はきっと、面白いものを見せてくれる。今迄のゲームには無かった『不確定要素』は、君の世界すらも変えてくれるだろう。」


その魂胆は分からないし、知りたくもない。

それでも——私は、絶対に貴方を守る。


もうこれ以上、花踏くんが傷つかないように。私は私の出来る事を全力で行うのみ。

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