第3話 決断の朝焼け(前)

あの後、僕は同じ建物内にある花踏直人の部屋に案内された。

その道中、ピエールは僕にゲームに関する新しい話をしてくれた。

それはゲーム自体に関係する話では無く、僕の役所……つまり案内役の話。


「確かに花踏くんは、公平なくじ引きによってデスゲームの案内役として選ばれた。それは幸運な事……と言うよりも、君自身にとっては不幸な事だろう。でもね、花踏直人くん。この話自体は、君にとっても悪い話と言う訳では無いんだ。」

そうして、ピエールが教えてくれた事を簡潔におさらいすると。


このデスゲームを管理、運営しているのは国内でも有数の大手企業組織グループで、僕がこの『案内人』と言う役職を完遂できた場合。僕のこの先の人生で、ありとあらゆる優遇が約束される。つまりは報酬だ。

優遇というのは、僕の学力じゃ到底受からないような大企業への就職や、婚約相手の確保、その後の子供の養育費の免除などなど。

ギブアンドテイク。ハイリスクハイリターン。なんて言葉が頭の中で出てきたけれど、つまりはそういう事。

と、ここまで説明を受けて僕が疑問に思った事を尋ねてみることにした。


「あの、このデスゲームって言わば殺人じゃないですか。民事訴訟とか、その辺って……。いや、学歴に傷がつくとかじゃなくて、単純に気になったというか……。」

そう。もし、高学歴を手にしてもこのデスゲームか明るみになればそれは全部水の泡。

というか、マスコミが僕の家の前にこぞって押し寄せる事間違いなしな訳で。

そんな僕の心配にも似た疑問を、ピエールは豪快に笑いながら一掃した。


「はっはっ、その年で、そんな事を気にしているのかい花踏くんは。大丈夫だ。言ったろ、このゲームを運営してるのは大手企業だって。警察への手回しは既に行われている。だからこのゲームの全貌が明るみに出る事は絶対に有り得ない。それに……」


僕の先を行くピエールは、不意にピタリと立ち止まった。

くるりと背中を回すと、にたりと目を細めて含みのある声で言った。


「このゲームを覚えているプレイヤーなんて、一人もいないからね。」


背筋がゾッと凍る。

それはつまり。誰もこのゲームをクリアしていないと言う事なのか?

勝ちの無い試合。初めから負けが確定しているゲームって事……なんて、僕が変に深読みをしているとピエールはそんな僕の顔を見て豪快に笑った。

こちとら本当に恐怖を感じていたっていうのに、こうも呑気に笑われると呆気に取られるというものだ。


「誤解しないでくれよ、花踏くん。いやぁ、何。別に皆殺しにしてる訳じゃないさ!実は、秘密裏にあるシステムを開発しているのだけれどね。それを使うと、何とも不思議!記憶を消す事が出来るのさ!」


そう。どうやら、このゲームをバックアップしているスポンサーの中には、怪しげな研究をしている輩も多いらしく。

そんな人達の手によって、人間の記憶を抹消する装置を作り上げたそうだ。

何ともまあ、都合のいい機械だとも思ったけれど、そういえばさっきまでモニターの中にも変な奴が住み着いていたっけと思い出す。

なるほど、自分の目で見てしまったからには「馬鹿馬鹿しい」と否定する事も出来ない。

話を聞く限り、僕にはメリットが多い役職の様だった。


案内役と言うとは、言葉の通り勝ち残ったプレイヤーを次の舞台に案内するだけ。

それだけなら、確かに誰にだって出来る。勿論僕にも。

そんな役目を遂行しただけで、僕の人生はおつりがくる程に裕福なものになる。

こんなにも美味い話が本当にあるのだろかと、疑いたくなるほどに。


「……っと。ここが花踏くんの部屋だよ。この部屋の中のものなら、自由に使って貰って構わないからね。」


そんな話をしているうちに、いつの間には自分の個室に着いたようだ。

歩いている時からホテルのような造りだと思ってはいたけれど、案内された部屋の中は広々とした空間だった。

ベッドはふかふかのダブルベッド。お風呂、トイレ付き。

大きなテレビと、大容量の冷蔵庫。

この部屋の中だけで生活が出来そうほど、家具や家電は揃っている。

ただ一つ気になるのは、この部屋の中に窓という概念が無いということだけ。

正直、自分の部屋よりも広いし、居心地が良さそうだ。


「こっ.....ここ、使っていいんですか!?」

「勿論だとも!花踏くんの自由にしてくれたまえ。ああ、冷蔵庫の中に入っているドリンク類も適当に飲んでくれて構わないよ。」

そう言いながら、ピエールは部屋の中にあるクローゼットを開けた。

「ここには花踏くんの着替えが用意されている。どれでも好きな服を着るといい!」

クローゼットの中には、ビニールに包まれた洋服達が所狭しと並んでいた。

まるで洋服屋の品物を丸々持ってきた、みたいな品ぞろえに圧巻しながら一着手に取る。

「こんなにいいんです.....がっ!?!?」

ぴろり、と裾から見えたのは洋服のタグ。そこに書かれていた値段は、軽く四桁は超えていた。

ええ。僕の一ヶ月のお小遣いじゃ足りないくらいの額でしたとも。

「ぴ、ピエールさん、これ本当に僕が着ていいやつなんですかね.....値段が凡そ男子高校生が着れるものでは無いんですが.....。」

「花踏くんは一々細かい事を気にするねぇ。大丈夫!大人には魔法の呪文『経費で落として♡』があるからね!」

「うわ、ダメな大人だ。」


第一、経費ってそんなに都合のいい言葉じゃな無かった気もするが.....。

まぁ、ほぼ拉致監禁状態の身だ。使えるものは使って置かなくては。

「後は質問あるかい?」

「いえ、特には。少し僕には不釣り合いな部屋な気もしますけど.....。」

「なぁに、不釣り合いなくらいが丁度良いのさ。何せ、初めからお似合いな物程退屈なものもないからね。」

「はぁ.....そういうものですかね。」

「そういうものさ!さぁ、もう疲れただろう。今日は早めに寝ると良い。時間になったら、そこのテレビからミリューが起こしに来てくれるから。」


時間、か。

そういえば今は一体何時なのだろう。

下校最中に拉致られてから、目を覚ますまでどのくらい掛かっているのかも分からない。

もしかしたら、もう既に朝日が登りきった後だったり。

時間が分からないというのは、以外にも恐ろしい事で。

僕が拉致されてからどれくらい経ったのか、もしかして一週間以上寝たままだったのかも。なんてぐるぐると考えていると、手に汗が滲んでくる。

そんな僕を見たピエールさんが、部屋から出る前にある言葉を残してくれた。


「ああ、そうそう。この建物の中は基本自由に行動できるんだ。確か.....屋上にも行けたはず。

花踏くんも、気が向いたら行ってみるといい。」


これが出来る男のやり方か、と納得しつつ、そのさり気ない気遣いに少しだけ心を縛っていた糸が緩む。

「.....はい。気が向いたら。」

そうしてやっと、僕は一人の時間を手に入れた。

とは言っても、スマートフォンは没収されているし、この部屋自体が盗撮されている可能性が高い。

そう易々と下手な動きは出来ないのが現状だ。

それでも一息つける時間というのはやっぱり安心出来るもので。

明かりも付けず、僕は一目散にベッドにダイブする。

ふかふかの羽毛が、体全身を優しく包み込む。その心地良さたるや。

「.....はぁ。」

深いため息が、思わず零れた。


本当。今でもまだ夢の中にいるような気分だ。さっきまで当たり前だった日常の中に居たのに、今はこうしてわけも分からない人達に囲まれている。

デスゲームの案内人になれ、なんて言われてすぐに飲み込めるほどの許容は無い。

漫画の中のヒーローならば、きっとすぐに受け入れられるのかもしれないけど。

「.....僕はそんなに器用じゃ無いや。」

明日からどうなるのだろう。僕は生きて、自分の家に帰れるのだろうか。

ぐるぐると、嫌な方向にばかり思考が傾く。

目を瞑っても、脳みそがぐるりと回転していく感覚。

真っ暗な視界が歪んで、思考が鈍っていく。

「あ.....やば、これ.....」

そう言ってみた口は、段々と重くなっていた。遠のいていく意識の中僕が最後に考えたのは、ああそう言えばお腹すいてたな、なんて事だった。




高校は、いつも息が詰まる。

クラスの話し声は、雑音で。周りの景色はいつも灰色だった。

たかが高校生活。人生の中のたった三年。でも、皆はその三年が自分の人生の主役みたいに、キラキラ輝こうとする。

無意味だと、それはただの錯覚だとも知らずに。

そんな馬鹿げた奴らと同じ箱の中で生活を強いられるのは、正直反吐が出る程嫌だった。


「——よっ、直人。なぁ、今日お前ん家行って良い〜?」


埃被った、詰まらない僕に話しかける阿呆もいた。

単に小中高一緒の腐れ縁だったけれど、高校に入って、色んな奴が新しいネットワークを構築していく中で、そいつだけは僕を見捨てなかった。

新谷祐介。校則破りのオレンジ色の髪に、大きな瞳。俗に言うイケメンの類に入る顔立ちだ。

「いい、けど.....祐介お前今日補習あるって言ってなかった?」

「んげっ!忘れてた.....」

顔良し、性格良し。頭.....は、まぁまぁ。それが僕の唯一の友達、祐介だった。

「.....うし!秒で補習終わらせる!直人は先に帰っててもいいぞ!」

「いや、お前未だに僕の家行けないでしょ?」

「そうだった.....。だってお前ん家迷路みたいなんだもん。」

幼なじみのくせに未だに家の場所を覚えられないそのおツムもどうかと思うが。

他の事は大抵そつなくこなすくせに、方向音痴だけは治らないんだよな、こいつ。

「ただの住宅街だっての。まあ、いいや。僕掃除当番だから、待っててやるよ。」

「サンキュー!んじゃ、俺行ってくるわ!

多分、どこにでも居る関係。何の変哲もない、ただの友達。

強いて言うなら、僕は灰被りの詰まらない男で、あいつは誰からも好かれる男ってだけ。


——そう、たったそれだけ。



掃除当番も終わり、夕焼けに彩られた教室で一人スマートフォンをいじる。

他の奴らは部活やら遊びやらで、すぐに教室を出ていった。

校庭から、サッカー部の掛け声が窓越しに聞こえてくる。

三階の音楽室からは、吹奏楽部の楽器をチューニングしている音が響いていた。

そんな騒がしい世界の中で、この教室だけが眠っているように静かだった。


「——おや、まだ教室に残ってたのか花踏。」


空いていたドアから声が聞こえてくる。

スマートフォンの光を消して顔を上げると、そこにいた人物は制服を着ていなかった。

すらっとした細身の体型に、くっきりと見える喉仏。

男にしては少し長いくせっ毛の赤髪。

「西宮、せんせい。」

西宮幸太郎。四月から赴任してきた数学教師。その甘いマスクと、人懐っこい性格で生徒の中でも人気が高い。

女子なんかは、西宮先生に恋心を抱いている人も少なくないとか。

「どうした.....んですか、こんなところに」

「おいおい、こんな所なんて寂しい事言うなよ花踏。いや、なに。実は三年の女子達に『車通なら駅まで送ってって』なんて無理難題を言われてね。そんな訳でちょーっぴり隠れているわけだ。」

ははっ、と笑いながら状況を説明してくれた。

成程、イケメン教師も大変だと言う事だ。


「それはまぁ、ご愁傷さまですね。」

「そうだろうとも。もっと労わってくれてもいいんだぞー?ああ、それと。わざわざ無理に敬語じゃ無くてもいいよ。」

「それって教師の言う事じゃないと思いますけど.....。」

「うーん、今は俺と花踏だけだからご愛嬌って事で。」

こう話していると、この先生がどうして人気なのか分かる気がする。

教師特有の堅苦しさとか、息苦しさが無くて、自然体で話したくなる感覚。

「じゃあ.....お言葉に甘えて。んで、先生はいつまでここにいんの?」

「うわぁ、心にグサリと刺さるセリフぅ。まぁ、確かに女子からは逃げられたからもうここに居なくても良いんだけど.....」

にこっと笑った西宮先生は、そのまま僕の前の席に座った。

僕の机に肘をつくと、赤みがかった髪が、炎に溶けるみたいに光り出す。

「俺、花踏ともっと話したいわ。」

こうして、裏表の無い笑顔を見せられるとどっちが大人なのか分からなくなる。

というかサラッと僕と話したいって.....。クラスの奴らですら煙たがっているというのに。

中々に物珍しい先生だと、そう思いながら「なんで?」と尋ねる。


「いや、実は俺花踏って全然喋らん生徒だと思ってたんだけどさ。こうして話してると、意外と口数多いのな。普通お前みたいなクラスの端っこに居るやつって、話しかけても反応してくれないじゃん?」

おい、なんゅう偏見だ。生徒差別だぞ。

と、喉ら辺まででかかった所でぐっと抑える。それに先生の言っている事もあながち間違いとは言えない。

「まぁ、確かにクラスの奴らと話すのは苦手だけど.....。」

「あー、やっぱそうなんだ。なんで?」

「それは.....簡単に言えば自己嫌悪、かな。」

その言葉を口にして、僕は少し俯いた。先生は不思議そうな声で「自己嫌悪?」と疑問を覚える。

「なんて言うか、さ。他の奴らと話すとそれだけで自分の醜い部分がむき出しになるんだ。ああ、あいつはこんな風に思った事を言えるのにとか。なんでこいつみたいに、周りを立ててやれないんだろう、とか。」

その原因が、自分に自信が無いせいだと分かっている。

だから殻に閉じこもって、周りとのコミュニティを作らないようにして。全てを遮断した閉鎖空間の中で生きてきた。

そうする事でしか、自分を保てないから。

なんで先生にこんな話をしてしまったのかは分からない。

ただ、ふっと静かに笑った西宮先生はゆっくりと僕の頭を撫でてくれた。


「それはきっと、君自身がまだ自分の魅力に気付けていないからさ。」

「.....み、りょく。」

「そう。今に君の魅力が多くの人の目に留まる日がくる。君にしか出来ない事を成す時が、君の役割を果たす時がいずれきっと来る。その時に初めて君は、自分の魅力に気付けるだろう。」

その言葉は、妙に説得力があった。

真っ直ぐ僕に伸ばされた腕が、淡く光る。

今まで煩かった色んな声が、この時だけは何も聞こえなくて。まるで、魔法の言葉のように僕を包み込んだ。

いずれ、とかきっと、とか。そういうの曖昧な言葉に惑わされないように生きていたはずなのに。今だけはその不確定な単語に身を委ねる。

ずっと肩に背負っていた重荷が、少しずつ落ちていくような感覚。


「.....そう、かな。」

「ああ。絶対そうだね。なんてったって、俺が保証する。」

「その保証は当てにならないかもね。」

「.....おいおい、いくらイケメンの俺でもグサッとくるぞ、それ。」

「でも.....その、あ.....あり、がとう、先生。」


こんなひねくれた僕にそんな言葉をかけてくれて。

若気の至りだとか、考えすぎだとか、そんな言葉で片付けないでくれて。

真っ直ぐ僕の話を受け止めてくれて。


いつか本当に、僕が必要とされる日が来たら。僕は少しでも役に立てるかな。立てるといいな。

他の誰でもない、僕だけの役目。一直線に走り切る事は出来ないかもしれない。歪な道になるかもしれない。


それでも僕は.....全力で頑張りたいんだ。



「.....ん.....んん」

途切れていた意識がゆっくりと戻っていく。

重たい瞼をこじ開けると、そこは知らない天井だった。

「.....なんか、でじゃぶ。」

薄明るい照明が、部屋の中を照らす。ふかふかのベッドから身体を離し、ぐっと背伸びをした。

なんだろう。そんなに昔の話でも無いはずなのに、随分と懐かしい夢に感じた。


あの日、先生に言われた事を思い出す。

今更夢に出てくるなんて。まるで背中を叩かれた気分だ。

でも、不思議と背中は痛くない。むしろ寝る前よりも軽かった。

「.....少し、外の空気でも吸ってこようかな。」

まだ起きたばかりの、鉛みたいな身体を動かして僕は部屋を後にした。

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