赤の神殿

無我夢中で走った後、少女が歩を緩め立ち止まる。


「はあ……はあ……」


「はあ……な、なんなんだよ」


コウは酸素を求めて喘いだ。

他の二人も同じ様子で柱に身体を預けて荒く呼吸する。

誰にもわからないこの状況。

そう、きっと目の前の少女以外。


「あんた……説明してくれ」


やっと息ができるようになり、置き去りにしていた疑問を少女に投げかけた。

コウの問いかけに少女は大きな目を向けた。


「……いきなりごめんなさい。でもね。あそこにいたら、みんな食べられていたわ」


「ここは、どこなんだ」


「ええと……よくわからないの」


「え? よくわからない? どゆこと? さっきのバケモノなに? 俺、食われそうだったんだけど」


「うーん……たぶん、悪魔の使いだと思う」


「悪魔? なに? ファンタジー展開?」


「私以外にも、いっぱい人がいたの」


心なしか、少女の顔が憂いに翳る。


「みんなあれに食べられてしまったわ」


その言葉に三人は息をのむ。


「マジかよ……」


ソラが呟く。

コウは辺りを見渡した。

そこは教室でも廊下でもなかった。

世界は真っ赤。

果てしなく広がる真っ赤。

裸になった樹々。

それに絡まる蔦。

枝になる果実。

ギリシャの宮殿のような柱。

それに垂れ下がるどっしりとしたカーテン。

立ち並ぶ彫刻や花瓶。

剥き出しのアーチを描く鉄骨、地面。

全てが真っ赤であった。

頭上は広大な黄金色の空に覆われていた。

時間の感覚がない、まるで絵の中ような空間。


確かにここは現実ではない。


「ねえ、ウチも聞いていい?」


さっきから黙っていたレンが口を開いた。


「なにかしら?」


「まず、名前は?」


「アヤ」


「どうして君だけ生き残ってるの?」


「それは……悪魔に気に入られたからかな」


「気に入られた?」


「うん」


「どういうこと?」


「私も、食べられそうになったの。みんなみたいに。でもね、あのバケモノは私を食べなかったの」


アヤは何かを戒めているように唇を嚙んだ。


「それで悪魔は……お前だけは食べない、って。頭に直接囁きかけてきたの」


「…………なにそれ。わっけわかんない」


「おいレン、言い方」


コウが口をはさむ。

普段のレンらしくない物言いであった。

アヤの長く美しい髪と白い肌が、なんとも言えない彩りを見せつけていた。


「悪魔は言ってたの。私たちは生贄なんだって」


「生贄?」


「うん。この世界に連れてきたのは、悪魔の生贄に選ばれたからだって」


「ウソだろ?!」


ソラは頭を抱えている。


「生贄とか、マジありえねえっ! じゃあ、ここから出るにはどうしたらいいんだよっ?!」


ソラの問いには答えずコウは、アヤに向き直った。


「なあ、アヤさん」


「アヤでいいわ」


「アヤ、悪魔と交渉できないかな? 俺たちをもとの世界に戻してくれないか、って」


「そんなことできるわけないじゃん。悪魔に気にられてるっていうけどさあ……」


「うん。わかった。私ならできるかもしれない」


「はあっ? 自分は特別だって言いたいの?」


レンは舌打ちして近くの樹になっている果実をむしり、スカートをはためかせ、遠くの柱に投げつけた。

潰れた果実をこれまた赤い鹿のような生き物がやってきて啄んだ。


「気持ちわりい鹿……俺たち以外、みんな赤いのかよ……」


次の瞬間。


「――――うわっ」


崩れかけている柱からドスンと大きな音をたて飛び降たバケモノが、鹿の頭に牙を立てて食い散らかした。

鹿の身体だけが、何かの彫刻のように佇んでいた。


「ヒイィィッ」


ソラは悲鳴をあげた。

その声に、遠くのバケモノがこちらを向く。

おおきな口からは、ボトリボトリと血肉が地面に落ちていく。

逃げようと後退るも、目は縫い付けられたように動かせない。

この場から逃げたいのに、このまま逃げては追いかけられるかもしれない。

絶対的な恐怖が場を支配していた。


緊張の中、アヤが静かに前に進み出る。

甘い匂いが華開く。


「な……っ」


コウは止めようとするが、凛とした佇まいに呆気にとられてしまう。

目の前のバケモノは、じぃとアヤを見据えると、静かになった。


「マジ……?」


三人は、目の前で繰り広げられる出来事にただ目を見開くばかりであった。


「は、はははっ……アヤちゃんがいれば無敵ってことじゃん。ははっすげえ……」


ソラはひきつった笑いを浮かべた。

レンは立ち尽くしている。


「おい、レン、だいじょうぶか?」


「う、うん」


「なんだよ、レン。ビビっての? お前いつも危ないバイトとかしてんだろ? 高収入の……爆弾処理だっけ? こんな感じじゃねえの?」


「そんなバイトしてないよ。でもこんな緊張感、はじめてかも……」


レンは、長い溜息をつく。

しばらく動かなかったアヤが、静かに睫毛を伏せた。

どうやらバケモノと対話しているようだ。


「お願いしますっ!アヤちゃんっ!!」


「これでうまくいといいけどな」


「なんだよそれ。お前って悲観的だよなあ」


「ソラ、お前が楽観的なんだよ」


「いや、コウってさ、結局なんでもできるクセに、いっつもやる前からグチグチ考えてさあ……この前も……」


「ちょっと、やめなよ」


「なんだよ、レン。なんでお前そうやって……」


「そんな、どうしてっ?」


アヤの硝子のような声が響いた。


「どうした?」

コウはアヤに近づいた。

アヤは唇を震わしてした。


「悪魔はなんて?」


「もとの世界に戻してくれるって……」


「ほんとかっ?! やったぜっ! さっすがアヤちゃん、愛してるう!」


ソラは手を叩き跳び跳ねた。

しかしアヤは俯き、表情が曇ったままだ。


「でも……二人だけだって。そういってる。二人だけでさっきの教室に来いって」


「二人って……この中の二人、ってことか?」


状況が掴めない。

コウの言葉にアヤは、目を見つめ返してうなずいた。


「――マジかよっ?! ありえねえっなんだよそれっ! どうすんだよっ?! しかも逃げてきたってのに、また戻んのかよっ?! 戻るなんて、ありえねえっ!!」


「ソラ、落ち着けって」


「はあ? 落ち着け? この状況でいえる事か? 俺はさっき食われそうになったんだぜっ?! やっぱりお前ってそういう奴だよな! 肝心なことは人任せで逃げてばっか。俺はいっつもそれの尻拭いだよっ!!」


「どうしたんだよ、ソラ」


「それにさっき、お前は俺を見捨てようとしたよなあっ?」


「ねえソラ、ちょっと、やめなって!」


「なんだよレンっ! 悪いのは俺か?! ……ああ、そうだよなあ。お前はいつもこいつの味方だよなあ! だって」


「おいソラ、いい加減にしろ!」


「うるせえっ! 俺に指図すんなっ!!」


ソラは腕を振り回し、近くに立ち並んでいる花瓶に手があたる。

花瓶が割れ、破片が地面に散らばる。


「もういやだ、こんなところ……俺は、俺、絶対に…………ねえ、アヤちゃん」


ソラは顔を上げて、目でアヤを捕らえた。

さっきの花瓶で切れたのか、ソラの手から血が滴っている。

その手をアヤに伸ばした。


「アヤちゃんは俺の味方だよな? さっきも助けてくれたしな? なあ、一緒に逃げよう? こんな奴らほっといてさあ」


「おいお前」


「うるさいだまれッッ!!! ……お二人さんはそっちで仲良くやってろよ。コウはさ、そうやっていつも俺のこと笑ってるんだろ?」


「何いってんだよっ?!」


「俺はアヤちゃんと一緒に逃げるからよ! それまでお前ら、生きていられるか、分かったもんじゃねえがなあ! 仲良くバケモンの腹の中っ!! ぶあっはっはっはっはっはっ!!」


ソラは身体をのけ反らせ、狂ったように笑い出し、アヤは竦みあとずさる。

ソラが逃すまいとアヤに迫っていく。


「あ」


アヤの背後の影が蠢く。

先ほどのバケモノが突然動き出した。

アヤが長い髪を揺らして振り返る。

ソラの背中が硬直する。

助けなければ。

考えるより先にコウの身体が反応した。

しかしそれは物凄い力に阻まれて、体勢を崩し引きずられていく。


「なっ?!!」


力のほうに目を向けると、レンが彼の腕を引っ張り駆け出していた。


「おいっ、なにすんだよっ。二人を、助け――」


「駄目ッ。逃げるのッッ!」


レンが鋭い声でコウの言葉を制した。

そして耳の裏に、ソラとアヤの叫び。

肉と骨が擦れ、液体が弾ける音が赤い世界に木霊した。

生ぬるい液体が背中に降り注いだ。

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