第48話
「本当に後悔はされませんか?」
「後悔なんてするわけがありません、私は妻や娘を金欲しさに売った事など一度としてないのです。娘を探しきれなかった私に非はあるでしょうが、不当な嘘の話で恨まれる筋合いは一つもないのですから」
サガルマータ山脈はまだ雪に覆われており、青空を下から突き刺すような山々の景観が素晴らしい。春を迎え、森林限界にもほど近いこの場所にも、薄水色やピンク色の鮮やかな花が咲き乱れている。
勾配の厳しい坂の中腹に建つ丸太小屋へと、イスヤラ姫の叔父であり、アリサの父となる男が入っていく姿を見送ると、私はため息を吐き出しながら草原に腰をかけた。
強大な力を持つ私、大魔道士ファレス・マットソンは、遥か昔に、魔の王を勇者と聖女と共に倒す事に成功した大魔法使いの末裔である。
高位貴族の身分であったご先祖さまは、主人の意向に添う形で、勇者と聖女を別れさせた。邪魔となった勇者をサガルマータに封印したのもご先祖さまだし、聖女を売るようにアテネウム侯爵に手配させたのもご先祖さまだ。
わがまま姫様が原因の事だったとしても、共に戦った仲間に対する扱いが酷すぎる。後に女王となった姫様を暗殺したのもご先祖さまらしいけど、ここにきて、ご先祖さまの尻拭いをする事になろうとは思いもしなかった。
「帰ってよ!帰って!さっさと帰ってよ!」
アリサに木製の食器を投げつけられながらツォーマス・エーデルフェルト(今は平民となったのでただのツォーマスとなるのか)が、丸太小屋から飛び出して来たけれど、外から戻ってきたイロンシス(勇者の子孫)が、何かを言いながら、ツォーマスを促して、丸太小屋へと戻っていく。
雪の中にアリサを投げ捨ててきた私だけれど、勇者の子孫に丸投げするのもどうなんだろうと思い、後からイロンシスに対して説明に戻ることにした。
アリサが聖女の末裔であり、彼女の父が(母娘を売り払ってなどいない、母親が嘘をついていただけ)彼女の近くで暮らしたい、つまりはサガルマータで暮らしたいと言っているという事を説明したら、
「丁度、空き家もあるんだし、いいんじゃないですか?人が増えることは良い事ですよ」
と、言ってくれたので連れてきた。
アリサがこの世を恨んでいるという事や、彼女を殺すような事があれば、旱魃、疫病、洪水、地震、噴火、ありとあらゆる厄災がおとずれるという事を説明すると、
「だから追放なんですかねぇ」
と、イロンシスは呟き、
「まあ、捨てられた猫みたいな奴ですけど、どうにかなるでしょう」
と、勇者の末裔はあっさりと答えた。
アリサの母もまた、相当な美人だったようなのだが、ツォーマスを誑かし、兄を殺して自分こそが公爵位に就くようにと、何度も、何度も強要してくるため、ツォーマスは妊娠した妻を連れて、公爵家から離れる事を選んだそうだ。
そうして妻は娘を連れて、自分の元から離れて行ったのだが、
「どうせアリサが移動できないという事なら、私は監視役の意味もかねて側に残りたい」
と、申し出てくれたのだった。
アリサがこの世を呪ったまま、聖女の怒りと憎しみを引きずったままでいれば、この世に呪いが残り続ける事になるのだろう。
アルヴァ王子やイスヤラ姫がすでに何度も同じ生を繰り返しているのは、まさしく聖女の呪いゆえの事だろう。
ご先祖さまの悪行ゆえに、今現在、こんな事になっているのならば、私も責任を取ってこの地に住み暮らし、アリサの行く末を見届けるのも良いのかもしれない。
ごろりと寝転びながら、真っ青な空の下を移動する白い雲を目で追っていく。
ヴァルカウス王国の防衛戦に参加したスヴェン皇子は2枚も3枚も皮が剥けたような状態で帝国へと帰って来た。第二王子がどうのこうのと言っていたが、今の彼であれば、他人がどう言ったところで問題ない、立派な皇帝となるだろう。
大魔道士の後見など、今の彼には必要はない。
ならば私自身が・・・この地に残ったとしても・・・
心地よい風に吹かれながら、私は目をつぶった。
◇◇◇
「イスヤラ・・イスヤラ・・・」
「なあに?あなた?」
「アリサが亡くなったそうだよ」
「まあ・・アリサが?」
「ああ、ひ孫と散歩をしている時に、丁度落石があったようでね、庇ったときに打ちどころが悪かったみたいで、最後には家族に看取られて安らかに眠ったそうだよ」
「まあ・・そうだったのね・・・」
白髪のイスヤラは、私に手伝われながら何とか背に枕をあてて起き上がるとつぶやいた。
「イロンシスが亡くなって丁度一年かしら」
「確かに・・それくらいになるかもしれないね」
お互いに随分と歳をとったものだ。
皺々の私の手を握ったイスヤラは自分の頬に私の手を当てると、
「今回も私の方が先に逝きそうね」
と、言い出した。
「まだまだ君には生きていてもらわないと」
「精一杯頑張るわ、でも、あなたもすぐに追いかけてくるわよ」
「まあね、お互い歳をとったものだ」
思わず互いに笑みが漏れてしまう。
過去に何度もループを重ねて、年月だけは幾重にも重ねていったけれど、お互いに白髪となり、皺くちゃとなるまで歳をとるのは始めてのことだ。
「結婚して五人の子供に囲まれ、孫は十二人、ひ孫は三人か、素晴らしい人生だったよね」
「アリサは幸せだったかしら?」
「家族に囲まれて幸せだったと思うよ?」
素晴らしい自然に囲まれながら、時には大きな苦労もあっただろうけれど、最後まで夫に添い遂げていた事は知っている。
「君は幸せかい?」
「私?」
イスヤラは悪戯っぽい瞳で私を見る。
「今世の貴方は私を選んでくれたのですもの、とてつもなく幸せだわ」
「私も、過去では考えられないくらい幸せだよ」
「もうループはないわよね」
「アリサが死んでも呪いは起こっていない、何も起こらないと私は思うがね」
「でも、ループしたら、また貴方に会えるわ」
「私がもしも今までの事を覚えていなかったら、叩いてでもいいから思い出させておくれ」
「ええ、ええ、叩いてでも思い出せてあげる」
私は彼女に笑顔を向けた。
「ああ・・眠いわ・・」
「おやすみ、イスヤラ」
背中の枕を外してイスヤラを横にさせると、イスヤラは私の手を握りながら、
「おやすみ、アルヴァ様」
小さな声でつぶやいた。
それからしばらくして、イスヤラは息を引き取った。
七十四歳のイスヤラの魂は、何処へ向かっているのだろうか。
また婚約したばかりの私たちの元へかな、それとも、もっと別の世界へと旅立って行ったのだろうか。
「ああ、イスヤラ、待っていて」
私は彼女の額にキスをした。
どこへ行ったとしても、私は君を追いかけていくから。
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