第46話

「アリサ、私たち、お父様に売られてしまったのよ」

 お母様の悲壮な顔が忘れられない。

「アリサ、逃げ出さないと行けないの。今すぐ起きて」

 お母様はいつでも私の手を引いて導いてくれる。

「聖女様の血を引く私たちには役目があるの」

 ええ、お母様、わかっています。

「この世界を破滅に導くの、貴女になら絶対にできる、絶対に出来るわ」


 ハロネン男爵家は魔王を倒したと言われる聖女の血を引く末裔で、むかしむかし、世界に魔の王が現れた時に、世界を救うために立ち上がった聖女様は、仲間と一緒に魔の王を倒すための旅に出た。

 旅の道連れは勇者と魔法使いで、聖女は勇者と恋仲となり、魔の王を倒した後には、結婚をして幸せになると誓い合った仲だった。


 魔の王を無事に倒した勇者を待っていたのは、大国の美しい姫君であり、勇者はあっさりと聖女を捨てて、美しい姫君と結婚して王配となった。

 捨てられた聖女が傷心のまま国に帰ると、待ち構えていたのは四十以上も歳上となる金持ちの平民で、その平民は聖女を娶る事で男爵の位をいただき、無数の愛人を抱えながらも、男は聖女を自分のアクセサリーの一つに加える事にしたのだった。


 全ては勇者の伴侶となる姫君の差配によるもので、裏切られ、傷つけられた聖女はこの世を滅ぼす事を神に誓った。聖女の子孫となる女たちには、聖女の恨みと憎しみ、そして魅了の力が継承される。


 ハルカラ山で母が狼に襲われて、噛みつかれて死んだ時、絶対に自分の代で全てを終わらせようと決意した。

 勇者と結婚した姫君の国は、今は帝国となって大きな力を持っている。姫君から頼まれて聖女を男爵に売り渡したアテネウム侯爵の子孫は、侯国の主人として豊かな生活を送っている。聖女を保護せずに見捨てたヴァルカウス王国も安定した治世を送っており、到底許すことなど出来るわけがない。


 どうして、聖女の子孫だけが未だに苦しみの中に居るのか。

 どうして、他の者たちは何代も代を変えた後も幸せで居られるのか。

 憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い。

 ああ、こんな世界など、滅びればいい、みんな死んでしまえ。


「ああ、熱が下がらないな、雪の中に居たのだから仕方がない事なんだが」

「憎い・・憎い・・ああ・・憎いの・・・」

「憎いのか?」

 大きな手が額に触れて、その冷たい感触が熱を吸い上げるようで気持ちがいい。

「憎しみなんて、大して長くは続かない。そのうちにどうでも良くなってしまうものだ」

「そんな事ない・・私は憎いの・・本当に・・許せなくて・・・」

「憎くても・・許せなくても・・生きるために働かなくちゃ始まらない」


 あんたにはわからない・・私の気持ちなんて・・あんたにはわからないわよ・・・


 私はアリサ・ハロネン、13歳、母が死んでから二年が経過した。

 一時期は美しいハルカラの山脈で暮らしていたんだけど、私はどうしたって、周りを滅ぼしたくて仕方がなくなってしまう。

 あの蛮族と言われながらも、善良で素朴な人たちも、破滅へと導いた。

 わざと雪崩を起こして、貴重な水源に毒を流し込んで、幼い子供たちの命さえも、躊躇なく消していった。


 ああ、憎い、憎くて仕方がない。

 全て壊れてしまえばいい、全て破滅すればいい。

「う・・ううううん・・・」

 目を覚ましてみると、そこは丸太小屋の中のようで、小さな暖炉の中の火が赤々と燃えている。

 布団の上には防寒のためか狼の毛皮がかぶさっていて、小さな窓からは雪が舞い散る姿が見えた。

「あ!起きたのか!」

 小さな桶を抱えてきた男、16歳くらいだろうか、枕元までやってくると、

「雪の中で倒れていたんだよ、高熱が続いて一時は危なかったんだ」

と言って、コップの水を私に渡してくれた。


 テンペリアウキオ系の民族とも違う、肌の色は白くて、動物の毛皮で作った分厚い上着と、綿入れをしたズボンを履いている。

 白金の髪に紺碧の瞳をしたお兄さんは、私の顔をまじまじと見ると、

「何処かで会ったような気がするんだけど、君、パブロダウ人じゃないよね?」

と、眉間に皺を刻みこみ、思い悩むような顔をする。

「な・・なに?パブロダウ?」

「サガルマータ山脈の麓に住み暮らすパブロダウの民だよ」

「サガルマータですって!」


 サガルマータ山脈は帝国を更に東に進んだ先にある、世界の果てとも言われる場所である。つい先ほどまで、ヴァルカウス王国の王城広場に居たと思っていたのに、サガルマータ?嘘でしょう!


「私はヴァルカウス王国の人間よ!」

「ヴァルカウス?スカルスガルド帝国の更に西にある国だよな?」

「そうよ!」

「なんでそんな遠くの王国の人間が、雪山で遭難していたんだ?」

「私が知りたいわ!」

 なんでなの!なんでなの!なんでなの!全然理解できない!


 私は、アテネウム侯国とヴァルカウス王国とをぶつけて国力を減らしあい、そこへ帝国をぶつけてグチャグチャにしようと思っていたというのに!

「ああー〜、そんなに幼いのに、そっち系の人間だったかぁー〜―」

「何よ!そっち系って!」

「ここは勇者が追放された最期の地とも言われているんだ」

「はあ?勇者?」

「知らない?むかしむかし、魔の王が世界を滅ぼそうと動き始めた時に・・・」


 お兄さん曰く、魔王を倒した勇者は、大国の姫君と結婚する事になったのだけれども、姫君が勇者と結婚して満足するのはいっときの事であり、すぐに飽きられて捨てる事になったのは良いのだけれど、

「聖女の元へだけは貴方を行かせないわ」

という姫君の一言により、世界の最果てと言われるサガルマータへ放逐される事になってしまった。

 しかも大魔法使いの結界によって山を降りる事が勇者には出来なくて、愛しい聖女の姿を思い描きながら、氷の山の中へと閉ざされた。


「聖女は自分ではなく、真実愛する魔法使いと一緒になったと聞いているけれど、最期に一目だけその姿を見たいと願っていた。まあ、そんな虚しい願いも叶えられる事などなかったんだけどね?」

「ばーーーっかみたい!本当の本当にばーーーっかみたい!聖女はねえ、魔法使いなんかと結婚なんかしていやしないわよ!勇者が結婚するのを見届けてから、国に帰ってヒヒ爺みたいな色ボケ男爵に売り飛ばされて、世の中も恨んだし、自分を捨てた勇者を心底恨みながら死んでいったのよ!」

「ええええええ!そうだったのかあああ?」

 お兄さんは驚いた様子で涼しげな目を見開くと、

「そうか、ヴァルカウス王国は聖女の出身地だったものな。そういう詳しい情報も知っているってわけなのか」

と、つくづく感心した様子で言い出した。


「まあ、昔話なんて色々な脚色がついて、年を経過するうちに変化していくものだからさ」

「時を経過して変化したんじゃないでしょ!クソみたいなワガママ姫様の所為で、勇者と聖女は引き離されたんでしょう!悔しいとは思わないの!」

「いやあああ、何代前のご先祖さまの話だと思うわけ?自分と関係なくない?」

「という事は、貴方は勇者の末裔ってこと?」

「そう、この白金の髪と、紺碧の瞳は勇者の直系にしか現れないんだってさ」


 いやーーーーーーん!このふわふわのピンクローズの髪の毛とエメラルドの瞳も聖女の直系にしか現れないものなのよぉおおおお!


「それじゃあ、貴方は勇者の子孫で間違いないのね?」

「直系の最後の一人ってことになるね」

「そうか、そうなのね、本当にどうでもいい話だわ。それじゃあ私、帰る事にするわね」

「何処に帰るの?」

「ヴァルカウスかアテネウムへ帰るのよ」

「無理無理、雪が積もりすぎて山を降りる事なんて出来ないよ」

「嘘でしょう!」

「しかも君、追放者って事だろう?たまに山の中に放置されるんだよね、冬に放置されるのは僕も始めてみたけど、君は明らかに追放者だよ」

「なんで私が追放者なのよ!」

「だってこれ、魔力封じの刻印は印されているし」

 お兄さんは私の手の平を開いて見せた。

 確かに、渦巻き状の古代文字が記されているわ。

 確かに魔力が感じられないわよ。

「ちなみに僕も魔力封じはされているんだよ」

 お兄さんは自分の手に平を開いて、古代文字の刻印が良く見えるように見せてくれた。


「うちは他に家族も居ないし、気を遣う必要もないからいつまで居てくれてもいいけど、体力が回復したら、自分の食事代くらいは働いてもらう事になるからね?」

 働きたくない!今すぐ帰りたい!

「僕の名前はイロンシス、君の名前は?」

「アリサ!でも、そんなに長居する気はないから!」

「ハハッハ!長居しなくちゃいけないんだよ。すでに山は雪に閉ざされたんだからね。まあ、僕の妹分としてまずは編み物から教えてあげるから」

「編み物?」

「貴重な我が部族の収入源なのさ!」

 雪山!勇者の子孫!妹分!編み物!嘘でしょーーーーー!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る