第31話

 今のこの状況では、王家の者が帝国に赴いて、弁明をする必要があるだろう。

 皇帝の姪が誘拐されて、その誘拐犯の一部は、公爵家に潜り込んでいた教会派の人間だったのだ。

 我が国は帝国と同じ光の神レイヴィスカを信奉しているのだが、我が国の教会組織はものすごーーーーーく腐敗しており、教会内での誘拐や人身売買なんていうのは当たり前、金と欲に塗れた教会の上位職の連中が幅を利かせていたわけだけど、こいつらほとんどが帝国から派遣された、帝国の上位貴族出身の奴らなのだ。


 我が国は帝国と比べたら規模も小さいし、国力は比較にならないほどだし、帝国のお情けなしでは独立国家としての立場も維持できない。なんて言われても仕方がない状態なので、腐った教会幹部どもが、帝国で要らぬことを言い出してしまえば、我が国に非があったという形で処分される可能性も大きい。


 スヴェン皇子は、僕の婚約者であるイスヤラを愛している。つまりは、婚約者である僕は皇子にとって殺したいほど邪魔ってこと。

 隣国アテネウム侯国はうちの港湾が喉から手が出るほど欲しいし、アテネウム侯国が我が国を侵攻したとしても、それについては帝国は黙認するという密約が結ばれているのは間違いのない事実。


 唯一の王子である僕がのこのこ帝国まで行っている間に、アテネウム侯国と帝国で挟み撃ちにする形で我が国を征服する可能性は高く、帝国で囚われた僕が非難の声をあげたとしても、誰も耳など貸しはしないだろう。


 12歳で僕は今までの過去を思い出したけれど、これがいつも通り18歳を過ぎた時点で思い出す事になっていたとしたら、僕はイスヤラをギロチン刑に処する前に死んでいたかもしれない。

 打つべき策を持たない僕はただのアホだ。

 だけど今の僕の中には、過去6度の挫折と絶望の経験が残されている。


「イスヤラ、イスヤラ」


 窓を叩きながら声をかけると、寝衣姿のイスヤラが、窓の方へと駆け寄ってきた。

 ヴィルカラ領から戻ってきたイスヤラは、公爵邸には帰らずに、王宮に住まいを移している。

 公爵邸には裏切り者がまだ居るかもしれないため、安全を確保してから戻る予定だったのだが、情勢が変わり、未だにイスヤラは公爵邸に戻れていない。


「殿下、ここ2階ですよ?」


 イスヤラが窓を開けてくれたので、滑り込むようにして部屋に入る。

 すでにランプが消された室内には、銀色の月明かりだけが差し込んでいた。


「テンペリアウキオからお戻りになったんですね?」

 イスヤラはホッとため息を吐き出すと、

「紅茶を入れますので、殿下もおすわりになったらいかがですか?」

と、ソファに移動するように促してくれる。

「いや、時間がないんだ」

 僕は傍に抱えていた包紙をイスヤラに手渡した。

「北方では織物が盛んなんだけど、君の膝掛けにちょうど良いかと思って買ってきたんだよ」

「膝掛けですか?」

金色の瞳を見開くと、包紙を丁寧に剥がして。真紅に染められた鮮やかな刺繍が施されている膝掛けを広げて見せる。

「まあ!女神イスバラの紋が刺繍されているのですね!」

「あ?知っていた?」


 鮮やかな幾何学模様は女神の印とされていて、女性に加護と安寧を与えるとされている。

 遊牧民族であるテンペリアウキオの民は、我が国のように一つの神を信奉するのではなく、自然に宿る数多の神を敬い、奉る。女神イスバラは山の神とされていて、御身に様々な命を芽吹かせるとも言われ、子供を出産する源である女性の守り神ともされている。


「羊毛を織り込んだ生地だから暖かいし、これから冬を迎えるからちょうど良いと思ったんだ」

「まあ!殿下!素晴らしいプレゼントありがとうございます!」

 膝掛けを頬に当てるイスヤラはまるで女神の様に美しい。

 月光を浴びて、銀色の髪の毛がキラキラと輝いているように見えた。

 ああ、彼女に会うのもこれが最後かもしれない。

 そう思うと、胸の中がいっぱいになってしまう。


 僕はほっそりとした彼女を引き寄せると、優しく抱きしめた。

「今から帝国に行かなくちゃいけないんだ。もしも君が皇子の伴侶になりたいというのなら、帝国でガンガン君の事をお勧めしてくるけど・・・」

「やめてください!私はスヴェン皇子なんて大嫌い!」

「そうだね、僕もあんまりスヴェン皇子はお勧めしないかな」

 彼は確かに、イスヤラの事を愛していたのだろうし、過去のループでは、その復讐のために我が国を簡単に滅ぼした。

 だけど、イスヤラを愛しているという割には、いつでも彼の隣には違う女が侍っていた。

 本当に、女癖が悪い人だったんだよなーー〜。


「浮気でイスヤラが苦しむのも見たくないし、この世の中にはもっと良い男もいると思うしなぁ〜」

「スヴェン皇子って浮気するタイプなんですか?ますます嫌い!」

「過去では英雄色を好むを地でいっている感じだったな〜」

「殿下は本当に帝国に行くんですか?」

「行くよ、帝国に行く人材が僕しか居ないんだから仕方がない」

「帝国にはギロチンがあるんですよ?」

「嫌なこと言わないでよーー〜」

 僕はギロチン以外では死なないけど、ギロチンだったら死ぬんだからさ〜。

「私、伯父様に、ギロチンだけはやめてくれって書いて手紙で送りました」

 伯父様って皇帝のことだよね〜。

「だから!ギロチンにはなりません!」

 キラキラした瞳でギロチンにはなりません!って言いだすイスヤラ、めちゃくちゃかわいいなあ〜。

「だから絶対に帰ってきて!」

 イスヤラはそう言って震えながら抱きついてきたので、僕もぎゅっと抱きしめ返した。

 

一人でループはしたくない。

 もう、一人で死ぬなんて事はしたくない。

 だから、本当は、片時だって離れていたくはないのに。


「うん、絶対に帰るよ。絶対にイスヤラの元に帰ってくるために、わざわざテンペリアウキオまで行ってきたんだからね」

下準備は全て整えた。今回の生では天才軍師のジナイダも、悪夢の傭兵アメフトジャンだって僕の味方についてくれている。


「僕は死なないけど、君の方こそ僕は心配だよ〜」

 僕はイスヤラの肩に自分の顔を埋めた。

「とにかく、何があっても君は東方面、つまりは帝国方面に向かったらだめだ。また盗賊とかに殺される事になっても、僕にはどうしようも出来ないからね?」

「はい、わかりました」

「僕に何かあっても王宮に居て、そして、もしもアリサ・ハロネンが王宮内に姿をあらわすような事があったら、即座に逃げるんだよ?」

「デビュッタントの舞踏会なんて行われる予定はないですよ?」

「ハルカラ山に現れたのはアリサだった」

「はい?」

「カピア族が滅びるように動いていたのがアリサ・ハロネンだ。今は多分、アテネウム侯国で身を隠しているのだと思うんだけど、油断は出来ない」

「こんな時にアリサ・ハロネンまで出てくるの?まだ一年以上、猶予はあったと思うんですけど!」

「心配すると思って今まで言わなかったけど、カピア族が彼女と遭遇して滅ぼされかけた」

 さすが傾国の美女(または魔女)だよなーー〜。


 イスヤラはポロポロと涙を流した。

「イスヤラ、泣かないで、お願いだから」

 もう、本当にイスヤラったらなんて可愛いんだろう。

 額にキスをした僕は、ハンカチで彼女の顔を拭い始めた。


「君が誘拐されたことを理由に、教会の関係者は王宮内には入れないようにしている。君に害をなすものは何者もここには近づけないようにしている。だけど、万が一ってこともあるとは思うから、僕が帰るまで十分に気をつけながら生活をするようにして」

「む・・無理ですーーー〜―」


 僕はイスヤラを抱き上げると、ソファに移動して膝の上に彼女を乗せた。そのまま、髪の毛を撫でたり、ほっぺたに軽いキスを落としたりと好き放題やっていた。

おかげで戻るのが遅れて、グスタフ黒龍騎兵団長にしこたま怒られる事になるのだった。


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