第28話
「娘のイスヤラと殿下の婚約を解消?」
私は帝国の皇帝の妹姫であり、現在は隣国に嫁いだイングリッド公爵夫人。
思わず驚きを隠せず、扇で隠れた口元をあんぐりと開けながら、目の前に座るヴァルカウス王国の王、ステラン三世と、王弟であるミカエル殿下を凝視したのだった。
王は困り果てた様子で小さくため息を吐き出しながら言い出した。
「我が息子はイスヤラの事を気に入っているし、二人の仲が良いことは報告も受けている。私も二人にはこのまま結婚をしてもらいたいと思ってはいるのだが、帝国はそれを良しとはしていないようなのでな」
「帝国がですか?」
「隣国アテナウムが、我が国を侵攻するための前段階として数多の麻薬を国内に広め始めていたのは記憶にも新しいと思うのだが、その麻薬を推し進めるきっかけとなったのがスヴェン皇子のようなのだ」
目の前に差し出されたのは、アテネウムに潜入している間者からの報告書の一部であり、『黒の祝福』と呼ばれる麻薬には特に注意が必要だと示されている。
この麻薬の製法は帝国からもたらされたものであり、狂戦士の作り方、アテネウム侯国がヴァルカウス王国に侵攻した際には、帝国は傍観に徹する事、王国の港湾はアテネウムの物としても良い代わりに、国土は二分して半分は帝国の物とすること、などを条件として盟約が結ばれているという事実が述べられていた。
「スヴェン王子が長年、イスヤラに恋慕の情を抱いているという話は私も聞いているし、その為に、彼は今でも婚約者を持っていないという事も知っている。しかし、皇帝はスヴェン皇子の伴侶としてイスヤラを考えてはいないという事も我々は知っている。なにせ、イスヤラを皇妃として迎えても、帝国には何のうまみもないのは事実だからな」
「我が国は帝国にとって、取るに足らない弱小国でしかないのも事実です。本来なら貴女のような身分の姫君が、我が国の公爵家に嫁いでくるというのも普通では有り得ないこと。お二人の真実の愛があったからこそ、先代の皇帝もお許しになったのだと判断しております」
王弟ミカエルは王の異母弟となるのだけれど、顔立ちは二人とも非常に良く似ている。
普段は研究一筋で社交にも顔を出さない殿下が、今、ここに顔を出しているという事は、それだけこの国に危機が訪れている事を意味しているのだろう。
「イングリッド公爵夫人、貴女はどのように考えられますか?スヴェン皇子はただ、イスヤラ嬢を求めて我が国を滅ぼそうと考えているのか?それとも単純に、我が国を領土として加えたいが為に、このような暴挙に出ているのか?」
「もし、皇子がイスヤラだけを純粋に求めているというのなら、我が国はアルヴァとイスヤラの婚約を解消とし、イスヤラが皇子に嫁ぐ事となっても否はない」
王は私の顔をじっと見つめると、隣に座る夫にも視線を送りながら言い出した。
「そしてもし、皇子が純粋にイスヤラを求めて行動を起こしたわけではなく、我が国を領土に加えんと動いたとするのなら、貴女は帝国に帰られた方が良いと考える」
夫が私の手を握りしめた。
「帝国との戦となった場合、我が国はただでは済まない。貴女の立場が悪くなる前に、さっさと帝国へ戻った方が良いとこちらは判断する」
「私を人質に取ることは考えないのですか?」
「そんな事は考えない、私と公爵はこれでも親友同士なのだよ」
陛下に一つ頷いた夫は、私の方を見ると、私の両手を包み込むようにしながら優しく声をかけてきた。
「スヴェン皇子が主だって動いているようだけど、これが帝国全体の意思なのか、それとも年若い皇子の暴走なのか、そこの所がまだ我々には分からない。とにかく、皇帝の姪であるイスヤラが教会派の人間に誘拐されたという事で、我が国の教会幹部を全員拘束していることも問題になってきている。アルヴァ殿下が帝国の枢機卿との話し合いに行き、今後の教会の方針を決めるのと同時に、今回のイスヤラ誘拐について、イスヤラの伯父となる皇帝に対して殿下ご自身が説明をしにいく事になった」
「なんですって?」
ヴァルカウス王国にはたった一人しか王子がいない。
たった一人の後継を、敵地のど真ん中に送り込むその精神が、私には理解できない。
「イングリッド、君はどう思う?皇帝は妹である君の事をとても可愛がっているのは僕も知っている。君が嫁いで来てから、我が国と帝国の関係は安定したものだったと僕は思う。だけど、彼らが心変わりしたような、僕らに牙を向くような、そんな感覚を、君は肌で感じ取ってはいなかったのかい?」
「この前、お兄様から手紙が届けられたけど、誘拐されたイスヤラを心配するような内容しか記されていなかったわ。まさかヴァルカウス王国を手中に収めようだなんて、そんな考えは欠片も感じとる事はできなかったけど」
「公爵夫人に国を出ろとか、帝国に帰れとか、そんな文面も見当たらなかったかな?」
全くそんな事は書かれていなかった。
「それでどうする?公爵夫人は国に残るのか、それとも帝国に帰るのか?」
「我々としては、令嬢と夫人が二人で帝国に渡る事になっても阻止などはしない」
「ただ、我々は自国を守るために戦うだけですからね」
王と王弟の覚悟を決めた表情を見つめた後に、隣に座る夫の姿を見つめると、夫は無言のまま大きく一つ頷いた。
彼は私と一緒には来ない。
王国に残って最後まで戦うつもりなのだ。
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