第20話

 父上が王都に早く帰ってこいとすっごくうるさい。ヴィルカラ侯爵がアテネウム侯国の手先となっていたのは大問題だし、イスヤラの誘拐には教会派の人間が絡んでいたわけだから、僕から直接説明を聞きたいのだろう。


 だけど、正直に言ってどうでもいいよ。

 仕事を丸ごと放棄したまま、金をかけて丹精込めて作り上げた立派な庭園へと逃げ出していた僕は、東家の冷たい椅子の上に座り込んで、頭を抱えながらため息をついた。

 すると、目の前がチカチカとするほどの衝撃が頭上に落下して、あまりの痛みで椅子から転げ落ちそうになる。


「イッタ!痛い!」


痛みで頭を押さえながら後ろを振り返ると、顔を真っ赤にしたイスヤラが僕を見下ろして、

「陵辱なんて受けていないわよ―――――――っ!」

と叫び声を上げた。


「なんで私が辱めを受けた設定になっているのよ!そんな嘘の情報が漏れたら、私は貴族令嬢として生きていけないわよ!」

 え?なんだって?

「なんで殿下はそう思ったわけ?意味がわからないんだけど!屈辱だわ!そんな勘違いするだなんて失礼すぎるわよ!」

「だ・・だって、君は僕の大嫌いなアリサの名前まで持ち出して、他の令嬢にしろとか言って来たじゃないか!だから!純潔を失ったものだからそんな事を言い出したのかと思って」


「バカ――――――――!」


 鼓膜が破れるかというほどの大声をイスヤラはあげた。

「アリサが誘拐されたのを思い出した殿下が、何かやらかして私の救出が遅くなったなんて言うから!私は殿下がまた性懲りも無くアリサを思い出して、愛おしくなって、私よりもアリサを助けに行っちゃったんだって思ったのよ!だったらさっさと婚約破棄してアリサとくっ付いたらいいでしょって思ったの!」


「バカ―――〜―――!」

 僕は叫んだ。


「バカを言うのも大概にしてくれよ!相手は精神を操作するんだぞ!自分の意思がなくなるんだぞ!そんな人間の近くへ誰が好きこのんで行くって言うんだよ!また王国を破滅に導くことになるんだからな!そういう勘違いだけは2度としないでくれ!」


 ハッとした表情を浮かべると、イスヤラは疲れ果てた様子で僕の隣の席に座り込んだ。

「殿下はもう2度とループはしたくない、私ももう2度とループはしたくない。ループの根源となるのはアリサなのかもしれないんだから、迂闊に近づくようなことは、いくらアリサの事が大好きな殿下でもしないか」

「大好きっていうのはやめてくれないかな」

 本当の本当に腹が立ってきた。


「今回の僕は、過去の僕とは違うんだよ」

 僕がどれだけの地獄を味わってきたと思っているんだろう。

「何度も、何度も、苦しんで、多分僕の心は壊れてしまっているんだと思う。人を愛することが全くわからないし、アリサに対しては憎悪と恐怖しか感じない」

「だけど・・」

「だけどじゃない!過去の僕じゃなくて今の僕を見てよ!」


 僕の頬を涙がこぼれ落ちた。

 いっつも君は、首が切られた状態で薄汚い籠の中に転がっていた。

 だけど今の君は、きちんと生きているじゃないか。


「結婚とかそんなの、正直に言ってどうでもいい。本当の事を言えば、国の事だってどうでもいい。王位なんて求めていない、何かあればミカエル叔父さんに丸ごと全て任せちゃえばいいって思ってる。君が生きているのなら、僕は何にもいらないんだよ」

 僕は涙をこぼしながら彼女の手を握りしめた。

 手が温かい、鼓動は脈打ち、可愛らしい唇からは呼吸が漏れ出ている。

「僕はね、もう、自分の事はどうでもいいよ。だけど、君には生きていて欲しいの、生きていて欲しいんだよ」


 切断面から見える白い骨、溢れ出る真っ赤な血、うねるような銀色の髪が籠の中に沈み、粗末な衣服を身に纏った痩せた体が運ばれていく。


「もうあんな未来は嫌だ、本当なら僕は君の婚約者じゃない方がいいんだろう。だけど、婚約者じゃないと君を守りきれない。君は我が国の公爵令嬢であり、皇帝の姪でもあるんだよ。婚約者じゃなかったら、僕は君を守れない」

「今度は守ってくれるの?」

 君が半信半疑なのは仕方がないよ、過去の僕が酷すぎた。

「絶対に、自分が死んでも守るよ」

「殿下、死なないでよ。殿下が死んだらまた私、ひとりぼっちになっちゃう」

「ひとりぼっちにしない!一緒にこのループから抜けよう」

 僕らはお互いに抱きしめ合って、わあわあ子供みたいに泣いていた。

 誘拐から助け出した時にも泣いたけど、今も変わらず泣いている。


 僕らを遠くから見守っていた大人たちが、ホッとしたような顔をしていたなんて事には気がつかない。今回の生で、僕らは本当にいっぱいいっぱいの状態だったから、言いたい奴らには言わせておけっていう感じで、僕らは全てを丸っと無視する事にしたのだった。

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