第15話

 殿下のために食べやすい白パンをわざわざ王都から送ってもらって用意しているというのに、その白パンには見向きもせずに殿下が言い出した。

「その白パンはわざわざここまで飯炊きに来てくれている女性たちにプレゼントしてね」

「殿下の柔な歯じゃ、黒パンと干し肉は耐えられないでしょう?」

 部下の一人が半分バカにするようにして言うと、

「腐った芋を生のままで食べるよかよっぽど美味い食い物じゃないか」

と、心の底からそう思っているみたいな調子で殿下は言い出した。


 岩のように硬い黒パンは食べるのにコツがいるのだが、部下の中に埋もれるようにして座っていた殿下は、いやに慣れきった様子で口の中でとかしながら黒パンを食べている。

「貴殿、まさか戦のためにと王城で殿下にこのような食べ物を食べさせていたのか?」

 殿下の護衛としてやってきた近衛兵団長に問いかけると、

「いや!まさか!私だってこういった兵糧を食べるのは始めてだと言うのに、殿下がお口になさる事などあるわけがない!」

と、硬い黒パンを全く齧りとる事が出来ない様子で近衛兵団長は言い出した。


「明朝、暁三つにヨトゥンヘイム平原で我が軍の歩兵大隊を正面からぶつけるから、今日の夜のうちに移動してね。絶対に松明はつけない事、敵の斥候が我が軍の動きに気付くとは思うけど無視して、明日は敵の真正面に魚鱗の陣を組む。だけどこの部隊は囮だから、我が国の虎の子である『黒龍騎士団』にはきっちり頑張ってもらわないとまずい事になる」


 殿下はパンを齧りながら地図に丸と線を書き入れていく。


「明日は本隊の先陣には僕がキンキンのキラキラした鎧をつけて参加する。僕らはいわゆる囮で、黒龍騎士団こそが大本命なんだから、今こそ一騎当千の実力を世界に知らしめて欲しいと僕は思うわけ」

 囮となった殿下は殿について、敵の本陣を前方に引っ張れるだけ引っ張り出すと宣言し、

「近衛兵団長はどうする?怖かったら輜重隊警備として後方で待っていてくれても良いんだよ?」

と、わざと近衛兵団長の怒りを煽るという感じでもなく、本気で実力を心配された故の配慮という感じで声をかけられたのだった。


 殿下はこの戦が初陣のはずなのに、今まで何十回、何百回と戦の最前線に身を置いているような達観した様子となって、

「今日で敵国との決着をつける!歩兵部隊のみんなは合図があったら、とにかく全速力で逃げ出してねえ!」

と、子供らしく言い出した。

「それから黒龍騎士団の皆さん!あなたたちが本気を出してくれないと僕は死にます!僕はこの国唯一の王子だからね!大丈夫だとは思うけど、信じているから宜しくねぇ!」

この時の気持ちをなんと言えば良いのだろう、今でもなんと表現したら良いのかわからない。


 夜通し移動の行軍の中、全く疲れた様子を見せない殿下は宣言通り、暁3つにはヨトゥンヘイム平原に到着し、一万の歩兵部隊を敵陣の正面に並べた。

 敵の歩兵部隊はおよそ六千、ただし騎兵部隊の数はこちらの何倍もの数を持っている。


 朝日が昇る頃には敵陣も戦の準備は出来ており、銅鑼と太鼓の鼓舞する音と同時にまずは弓矢が互いの頭上を飛んで、前線の部隊が盾で雨のような矢の攻撃を防いでいく。

 お互いの矢の攻撃が終わるのと同時に、ジリジリと前に出てきていた歩兵同士のぶつかり合いが始まる。


 左右から攻撃に出てきた敵の騎馬隊を殿下率いる騎馬隊が迎え撃つ。両者ぶつかり合いの中、戦いが均衡を保っていた状態の中で、自軍中央の魚鱗が崩れて悲鳴が上がる。

 撤退の太鼓の音と共に、今まで戦っていた目の前の敵など見向きもせずに、回れ右をした歩兵部隊が全速力で後方に向かって走り出す。

 後退する歩兵部隊と敵の歩兵部隊との間に隙間が出来て、その隙間に入り込むようにして殿下率いる騎馬兵団が殿につく。


 この時、殿下の騎馬兵団は全員が槍を持っていたのだが、敵の足を貫き、馬で蹴散らしながら必死で敵の勢いを削いでいく。

「あの黄金の鎧はヴァルカウス王国のアルヴァ王子だ!」

「あの黄金の鎧を狙え!」

 猛然と後方へと走っていくヴァルカウス歩兵団、その殿を守る殿下の小さな体は眩しいほどに目立ちまくっていた。

 敵の歩兵は王子の首を取るために無我夢中で追いかけていくし、敵の騎馬兵団も自国の歩兵を蹴散らしながら、王子に向かって近づいていこうとする。

 敵の戦線は伸び切り、敵の騎兵部隊でさえも、殿下を倒して己の栄誉とするために秩序を忘れた。


「うわあああああああああ!」

「黒龍騎兵団だぁああああああああ!」 


 殿下がここまで尊い御身を戦上に晒し続けたのだから、一騎当千と名高い我らが殿下以上に戦わずしてなんとする。

 敵の後方へと回り込んだ黒龍騎士団が敵の蹂躙を始めるのと同時に、全力で逃げていた歩兵部隊が二つに割れて、伸び切った敵の側面を突く形で襲いかかる。

 その僅かな隙間を縫って飛び出した金色の鎧は、あれよあれよと言う間に単騎で輜重隊が並ぶ後方支援の拠点へ向けて、恐ろしい勢いで駆けて逃げて行ってしまったのだった。


 主君が仲間を見殺しにして逃走したとも見える状況かもしれないが、歩兵部隊の殿について、最大限、敵を誘い出して持ち堪えていたのは、まだ十二歳にしかならない殿下だったのだ。

 その後ろ姿は、後はお前たちに任せたぞと言っているようにしか見えず、私たちは殿下の希望を叶えるために、敵を蹂躙するだけ蹂躙し尽くしたのだった。


「まあ、倒すのは良いんだけどさ、もうちょっと手加減してあげても良かったんじゃないかなぁ。まあ、戦争だからね、仕方がない事なんだけど」

 敵の将を倒して捕まえて殿下の前へと並べていくと、薄汚れた一人の前で立ち止まったアルヴァ殿下は、

「ああ、あなたはテンペリアウキオ最大の首長、アブドゥルマルクの御子息ジナイダ様ではないですか」

と言って、額を地面に擦り付ける一人の男の手を取った。


「ええ、ええ、何も言わないでもいいんですよ。食糧危機から民を救うためにジナイダ様は剣を取ったのでしょう?ですが、腹が減っては戦は出来ぬ。天下のテンペリアウキオの騎馬隊を相手にしているのに、燃えるような力を感じることが出来ませんでした。あなたたちの苦境は良くわかっています。父とも相談していて、あなた達に対しては十分な支援が出来たらと思っていたのですよ」


この時の気持ちをなんと言えば良いのだろう、今でもなんと表現したら良いのかわからない。


「いやだって、あなたたちは崇高なる騎馬民族ではないですか。国交も大して開いていない我が国を認めてもらうためには、とりあえずは一戦かまえて、我々を認めてもらわなくてはならないと思ったのです」


 殿下は客人を迎えるようにして我々に敗れた敵の将軍たちを迎え入れると、完全に敗北した敵軍に対しても粥を分け与え、輜重として持ってきた兵糧を全て敵に与えてしまったのだった。

しかもその後で、とんでもないことを言い出した。

「それでは戦後処理としての話し合いをしなければなりませんね。何、そちらの方でも、もう、アテネウム侯国の事など信用ならないと憤っている状況でしょう?今回の戦でも援軍一つ送ってきませんでしたものね。ですから、そちらの鉱山から採掘される鉄鉱石を独占販売していただく形で話が進められたらなあっと、もちろん、価格はアテネウムが払っているのと同額で構いませんし、こちらからも大麦を格安の値段で提供しましょう。アテネウムと違って我が国は小麦ではなく大麦を栽培しているのですが、大麦を食料とするのもすぐに慣れますよ。私は美味しいと思いますしね」


 ああ、この方はただの王太子ではない。

 まだ十二歳の子供のはずなのに、数々の戦に自ら参戦していった猛者にしか見えない。敵のプライドを最大限損なわないように配慮しながら戦後処理までしてしまう鮮やかさ。しかも、我が軍の殿を最後まで守り続けた胆力は大人以上のものだった。


「殿下・・何故・・あのような無茶なことを・・・」


 矮小な私は、殿下を褒める前にどうしても、諌めるような言葉を発してしまう。

 勇者だ英雄だと言いながら、こんな小さな子供を囮に使うだなんて、私は何故これほど過酷な作戦に殿下を起用してしまったのか。

「全然無茶じゃないよ!相手が本調子だったらこんな作戦選ばないし、本気でお腹が減っているみたいだったから想像以上に弱かったし」

 殿下は自分を誇るでもなく誇張するでもなく、偉ぶるでもなく、自慢するでもなく、

「これくらいで死なないって知っているし、逃げるのは得意だって言ったでしょ?」

と言い出した。


「それでさ、やっぱり近衛兵団長は引き際がわかんなくて死んじゃったから、新しい近衛の隊長は黒龍騎士団の副官さんになってもらってもいいかな?」

「はい?」

 私の虎の子の副官を近衛兵団長に?

「彼は平民出身ですが?」

「だから、平民出身の副官さんには鬼ほど厳しい訓練を近衛隊に施してもらって、9割くらいは入れ替えしてもらっても良いだろうと思ってるわけ」

 9割ってそれ、もう、ほとんどなんじゃないだろうか。

「今の時代、王家の守りは貴族のみってナンセンス過ぎるでしょ?だから王宮で盗みを働く気が起きないような平民さんの起用を、バンバンしてほしいんだよね」

 自分の剣の師匠が死んだと言うのにドライそのものの殿下を見下ろすと、跪いて、了承するより仕方がない。

 

 ヴィルカラ領では大した働きは出来なかったものの、次は蛮族カピアを相手にすると言うのだから、さすが殿下!英雄の中の英雄とは、きっと殿下の事を言うのでしょうな。


「グスタフ殿、次はハルカラ山へ向かうと殿下は言っておりますが」

影の護衛を任されるルッカが青い顔色でこちらを見上げてきたので、

「まったくもって!楽しみですな!」

と答えてカカカッととりあえず笑っておいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る