テノール気取りのバス野郎たち

崇期

── 開幕 ──

 街は漆黒の垂れぎぬに覆い隠された。

 いま、私の心に耳を傾けてくれるのは、あの半月だけ。そう、私も彼(半月)も、おとぎの国へと運んでくれる雲のベッドから振り落とされた悲しき仔羊こひつじ。平穏のあるじの呼び声はもう聴こえぬ。


 夜露に濡れる草原を裸足で航海する。まるで少しは楽園のあてがあるとでも言うように。



──この世にはお前の知らぬ

     悲しい事があふれてる。


(W・B・イエイツ『The Stolen Child(盗まれた子供)』井村君江 訳)





ソプラノ 「イエイツの詩が身に染みる夜ね。私はむしろ、悲しみしか知らぬ娘であったのに、それでもなお、新来しんらいの悲しみが次々と押し寄せる」



バスA 「それはもう、この世の変わらぬ姿であると受け止め、嘆きや憎しみを肥料として咲く花に、投資なさい。あなたには将来がある。昔、私は村一番の英雄であり、賢者だった。それなのに、旅の商人が持ってきた世にもめずらしい『心が美しい者にしか見えない外套がいとう』というものが見えなかったために、下着姿のまま野に放りだされた愚かな元王もとおうとなった。だから私に遠慮はいりませんよ」



バスB 「いや、愚王と言えば私のほかにおりますまい。いろいろ訳あって……ほら、ご覧なさい、この耳……ロバの耳なのです。この秘密を打ち明けたのはあなたが初めてです」



バスC 「それくらい、なんだ。私なぞ、空飛ぶ絨毯とごちそうが並ぶテーブルクロス、悪魔を操る魔法の指輪と大地が割れる不思議なつえ以外なに一つ持っていない。れ井戸とはまさに私のこと。まるで洞穴ほらあな髑髏どくろ眼窩がんか!」



バスD 「なにを言うか、私こそ笑われるにふさわしい者だ。王は王でも百獣の王、ライオンです。ライオンが人間の言葉をしゃべるだなんて、まるで漫画ですよ」



ソプラノ 「い、一体、あなたたちはなんなの?」



バスA 「もちろん、あなたに見初みそめられたくてさんじたのです」



バスB 「さあ、姫! 我々四名の中から、一人選んでください」



ソプラノ 「そんな……。よりによって、四人ともバスだなんて……」



バスC 「いえ、ベントレーで来ましたが……」



ラフトラック 「ワハハハハ」



バスA 「まさか、かぐや姫方式? 全員振るおつもりで?」



ソプラノ 「私の相手はテノール(王子様)ただ一人。いますぐテノールを呼んできて!」



Siri 「そのお手伝いはできません」



ソプラノ 「なに? 今の声は(きょろきょろ見回す)」



アルト 「私が代わりにお答えします。実はテノールは、流行りやまいの疑いが濃厚とかで、自宅療養中なのでございます」



ソプラノ 「なんとっ!(天を仰ぎ、体をふらつかせる)」



アメリカ人 「Shit!(くそったれ!)」



ソプラノ 「じゃあ、なに? このままずぅーっと待っても、私の王子様は現れないってわけ?」



ラフトラック 「アハハハハ」



ソプラノ 「笑うところじゃないでしょが!」



バスA 「地球上に、もう我々五名しか生き残っていないと考えればよいでしょう。あなたはこの中から一人を選んで夫とし、未来の人類のために子孫を残すのです」



ソプラノ 「な、なななな、なんでふっ……なんですって?」



演出家 「絵里奈えりな、落ち着け。セリフを噛むな。初舞台じゃあるまいし」



ソプラノ 「(立て直す)嫌よ、そんなのあんまりだわ!」



アルト 「お嬢様……(もらい泣き)」



バスB 「我々のなにがご不満か?」



ソプラノ 「そりゃ、声が低すぎるし、とうが立ってるし(王子じゃないし)」



バスC 「愛があれば声域なんて、どうってことないでしょう」



アルト 「いいえ不釣り合いです。伝統に逆らうわけには……」



バスD 「チッ、ばばあがしゃしゃり出やがって。愚かなことにかけちゃ、人間も獣もそう変わりねえな」



バスB 「仕方ない、こうなったら、あれを使うしかあるまい」




 暗転。稲光のように、照明が明滅する。



 月明かりが再び照らす。激しい雷鳴。




悪魔A 「キェーケッケッケッケー!」



ソプラノ 「なに? (驚いて辺りを見回す)」



悪魔B 「フフフフ、ハハハハハ!」



悪魔C 「コーッ、ホッホッホ……」



悪魔D 「ヒャカカカカ、ヒャエカカカカカー!」



コウモリ 「〜〜〜〜〜〜〜(約50kHzの超音波)」



ソプラノ 「か、囲まれた!」



将棋解説者 「名人直伝じきでんの『居飛車いびしゃ穴熊あなぐま』ですねー」



アルト 「一体、なにが起こったの?」



メゾソプラノ 「奥様、私がお答えします。この悪魔らは先ほどの四名の愚王です。実は彼ら、ふところに『悪魔の粉』を忍ばせていたようなのです。もしお嬢様に振られたら、それを我が身に振りかけ、悪魔に身をやつす計画だったのです」



アルト 「なんとまあ!」



八五郎 「てえへんだ、てえへんだぁ」



忍者 「にん、にんにんにん!」



メゾソプラノ 「所詮しょせん、彼らは偽物にせもの。テノール気取りのバス野郎にすぎない。テノールの皮を被ったバケモノ! バスものと言ってもいいかもしれません。どう足掻あがいたところで、テノールになれるわけがないのです」



ソプラノ 「悪魔にはなれるのに? テノールの粉はどこかに売ってないの?」



Siri 「こちらが見つかりました」



ソプラノ 「見つけるな。それにフェイスパウダーじゃないわ!」



ラフトラック 「アハハハハ」



ソプラノ 「もう、こうするしかないのね……(懐からナイフを取りだす)」



ボケ 「カナダから手紙でも届いたか?」



ツッコミ 「ペーパーナイフじゃねえわ」



メゾソプラノ 「お、お嬢様!」



アルト 「おやめくださいっ!」



アメリカ人 「No way!(まさか!)」


 

 

 暗転。



 空にぽっかりと、半月だけが浮びあがる。やがてそこから、一筋の光が伸び、地上へ向かって静かに静かに降りてゆく。姫のナイフの刃先に届くと、四方へ反射し、世界(舞台)全体を鮮やかに染め抜く。


 辺りはすっかり明るくなる。


 悪魔へと変貌を遂げていた四名の者たちも、元の愚王の姿へと戻る。




バスA 「あれ? も、戻った……」



バスB 「本当だ、耳もロバのままだ。わーい、やったー」



バスC 「モブの少年かよ。……喜んでる場合じゃない。姫を止めるんだ」




 姫に駆け寄る四名。腕を押さえにかかる。




ソプラノ 「離して、触らないで! すべてを終わらせるのよ」



バスD 「させるな。小指から、一本ずつ剥がすんだ」



バスC 「姫は傷つけるなよ」



バスB 「ええい、まどろっこしいわ! 無理やり奪っちまえ!」



アルト 「とても救っている者のセリフとは思えない」



ソプラノ 「ああっ……(うなだれ、ナイフを手放す)」



バスB 「よーし、それでいい……いい子だ。もう死ぬなんて考えるなよ?」



ソプラノ 「よく言えたものね。悪魔に身をやつしたくせに」



バスA 「生きていれば、失敗はつきものだよ」



ソプラノ 「それは、たしかに」



バスD 「もうほかに危ないモンは持ってないだろうな。ちょっと、その場でぴょんぴょん跳んでみな」



メゾソプラノ 「そんなことしても体重は変わらないと言われたわ」



バムド(がっかり)トラック 「おぉー……」



ソプラノ 「ねえ、私、いつか王子様(テノール)に会えるかしら?」



バスB 「それも命あればこそ、叶うんじゃないか」



バスC 「まさしく、そのとおり」



アメリカ人 「Fantastic! (すばらしい!)」



バリトン 「あれ? おれの出番は?」



バムドトラック 「おぉー……」








    ── 閉幕 ──





 

 

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テノール気取りのバス野郎たち 崇期 @suuki-shu

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