引きこもりの私が幼馴染の君と自転車で多摩湖まで行く理由

佐倉涼@10/30もふペコ料理人発売

第1話

「なぁ、サイクリングしようよ」

「……何、唐突に」


 隣の家の幼馴染が自転車を転がしながら我が家にやって来た。

 私は彼を、半開きになっている玄関の扉からジト目で見た。


「嫌に決まってるでしょ」

「なんで」

「私がインドア派なの知ってるでしょ」

「知ってる」

「サッカー部のエースで、日頃から足腰鍛えてる君とは違うんだよ」

「知ってる」

「じゃ、何で……」

「いいから」


 彼は扉を押さえている私の手首を掴むと、力強い瞳で見据えてきた。


「行こうぜ、サイクリング。いい天気だし。今日部活休みだし。……たまにはお前と、一緒に出かけたいんだよ」


 見つめてくる黒目があまりにも綺麗で、彼の言葉がまっすぐ過ぎて。


「……うん」


 気がついたら頷いてしまっている自分がいた。

 通学用の自転車を引っ張り出してきて、跨る。


「よーし、行くぞ」

「あ、待って」


 意気揚々と自転車を漕ぎ出した彼の後をついて行った。

 自宅のある武蔵境の住宅街を抜けて道路沿いをしばし走る。

 いくつかの角を曲がるととすぐに、一つの道に入るのだ。

 多摩湖自転車歩行者道。

 この歩道は文字通り自転車と歩行者専用で車が通らない。

 両端に桜の木がたくさん植えられている歩道は、春になると満開の桜が美しく、秋には赤や黄色に色づいた木々が目に心地よい。

 まっすぐ伸びる道には公園が点在していて、子供を遊ばせる母親や犬の散歩をする人などがいた。

 秋の澄んだ空気が肌を撫で、気持ちの良い秋風に髪の毛がふわりと舞った。

 本日は快晴、気温は二十五度。

 絶好のサイクリング日和である。

 それにしてもなぜ急にサイクリングなどと言い出したのだろうか。というか何故私を誘ったんだろうか。運動音痴で帰宅部で、万年引きこもっている自分など誘わず、サッカー部の仲間やキラキラしいクラスの女子などを誘えば良いのに。

 私が彼の隣に並んでどこかに行くなど、おこがましいにも程がある。

 爽やかな気候とは裏腹にそんな風に落ちてゆく気分でいるのを察したのかどうなのか、彼は速度を落として私の隣に並んでから、話しかけてきた。


「なー、知ってるか? 通学に使ってるこの多摩湖自転車歩行者道、まっすぐ行くと多摩湖まで行けんだぜ」

「え、そうなんだ。知らなかった……でもよく考えると、名前に『多摩湖』ってついてるんだからそうだよね」

「そうそう。意外に気づかないもんだよな」

「うん。ていうか並走、迷惑じゃない?」

「良いんだよ、今他にあんまチャリ通ってないし」


 シャーっと自転車を走らせながらそんな話をする。

 ちらりと見た彼は、私と同じように風圧で黒髪が揺れている。前髪が後ろに流されて、彼の整った顔立ちが露わになっていた。思わずどきりとして視線を前へと戻す。

 幼馴染の彼は、いつの間にか私より背がうんと高くなっていた。

 並んで立つと頭一つ分は高いから見上げないといけないし、見上げた先にあるのはあどけない少年の顔ではなくて凛々しく整った青年のそれだった。

 細かった体が程よく筋肉のついた体つきになって、学校で見かける彼は女子に憧れの眼差しで見つめられている。

 よく知っているはずの人物が、成長するにつれて知らない人になってゆくのに戸惑いを隠せない。

 だから距離を置いた。

 一緒に通学するのを止めて、学校ではなるべく話さないようにして。

 なのにこうして並んで自転車を走らせていると、距離感が昔に戻ったような気持ちになる。

 私は気持ちを誤魔化すように、彼に問いかけてみた。


「ねえ、多摩湖までどのくらいあるの?」

「うーん……30キロくらい?」

「えっ!?」

「や、正確には多摩湖までは11キロくらいなんだけどさ。せっかくなら湖の周りを一周したいじゃん? そしたら30キロくらいなんだよ」 

「むっ……無理無理! 死んじゃうよ!!」


 想像以上の距離に私が絶望の声を上げると、彼の方は楽しそうに声を上げて笑った。


「ま、良いじゃん。とりあえず行けるところまで行ってみようぜ」

「無理だよーっ!!」


 私の悲痛な声は、秋の空へと吸い込まれていった。


+++


「……死ぬよ……死んじゃう」


 結論から言おう。

 多摩湖には着いた。けど、とてもじゃないけど多摩湖一周は出来なかった。

 自転車から降りてぐったりと、湖面を見下ろす堤防にもたれかかる。


「お疲れさん。頑張ったじゃん」 

 

 死に体の私とは異なりまだまだ余裕のありそうな彼は、自販機で買ったスポーツドリンクを私へと差し出してくれた。ありがとう、と言って受け取る。


「やぁーもうさ、何なの? 坂、凄くなかった?」


 スポーツドリンクのキャップを開けながら私はそんな風に愚痴を言う。

 最初は良かった。どこまでも続くまっすぐな道、隣を走る黄色い西武新宿線の電車や赤い西武多摩湖線の電車と並走しながら秋の景色を楽しみ、あぁ外に出るのも結構良いかもな、なんて思う余裕があった。

 けど、東大和駅を過ぎたあたりから様子が変わった。

 緩やかに続く坂道。

 終わりの見えない上り坂に私の心は折れそうになった。

 少し先で坂を登り切った彼がこちらを見て待ってくれていた。

「頑張れ」という声に励まされ、根性で登り切った。


「でも登れたじゃん。凄い凄い」

「何なのよ、もうー」


 隣でスポーツドリンクを煽る彼からは疲れが微塵も感じられなくて、悔しい。

 これが地力の差というやつか。いつも部活で鍛えている人間と、学校が終わるなり家に直行してダラダラしている私との差か。くそう。

 などと心の中で悔しがってみる。

 気持ちを落ち着かせようと眼下に広がる多摩湖の光景を眺めてみた。

 広大な湖の先には森が広がり、水面は穏やかだ。


「あれなんだろう。丸い青い屋根の塔みたいな建物」

「貯水塔じゃね?」

「あれは?」

「んー……わからん」

「私、あれはわかるよ。西武遊園地の観覧車」

「昔、一緒に乗ったよな。お前めちゃくちゃ怖がってた」

「だって風で揺れるんだもん」


 赤い観覧車を指差しながらそんな会話をする。


「なぁ、この多摩湖の周りの自転車道さ。タンデム自転車OKなんだってよ」

「タンデムって二人乗りのやつ?」

「そう。今日はもうへばって無理なら、今度一緒に乗りに来ようぜ」

「なんで?」

「なんでって、乗りたいから」

「……私じゃなくて、もっと可愛い子と一緒に来て乗ったら? サッカー部のマネージャーとか」


 お似合いだよ、君と彼女。何せ陰で「あの二人、付き合えば良いのに」って言われているからね。

 

「なんでだよ。お前じゃなきゃ意味ないんだよ」


 言われて私は、隣に並んだ彼を思わず見てしまった。

 頭ひとつ分背が高くて、キリリとした顔立ちの彼は今、少し頬を赤く染めながらも私の方をムッとした顔で見つめていた。

 スポーツドリンクをたくさん飲んだはずなのに、何故か喉がカラカラに乾いた。心臓の音がやけにうるさくて、耳に熱が集まるのを感じる。


「……な、なん、で」


 ようやく絞り出した言葉は、またしても「なんで」だ。

 彼は耳の後ろをポリポリとかき、視線を少し彷徨わせた後に、意を決したように言う。


「……好きだから」


 時間が止まった気がした。


「え……」

「好きだから。ずっと。ガキの時から」

「ちょっと待って」

「お前は?」


 急かすように重ねられる言葉に、私の思考はぐるぐるする。

 えぇ? 好きって? お前はって?

 そんなの答えは決まっている。ずっと胸に隠していた思いは、誰にも悟られないように蓋をして、このまま炎が消えるのを待っているつもりだったのに。

 こんな場所まで連れてきて、そんな風に言われたら、もう抑えきれなくなるではないか。

 

「……好き」


 ものすごく小さな声で呟いたふた文字を、彼は聞き逃さなかった。


「そっか」

「うん」

「俺も好きだよ」

「うん……」


 好きという言葉が、何度も降ってくる。

 気恥ずかしさに俯いていると、不意に距離が縮まって手を握られた。


「なぁ。また来ような」

「うん。でも今度は、電車がいい」

「いいぜ。電車で来て、タンデム自転車借りて多摩湖の周り一周しよう」

「それは楽しそうかも」


 楽しそう。君といればどこで何をしていても。


「あぁ、やっと言えた。肩の力抜けたわー。よし。……帰るか」


 満足したのは、彼は笑ってそう言った。

 私は一つ頷いて、そのまま二人で並んで自転車に乗る。

 帰りの距離は行きより近くて、その縮まった距離感にむず痒い気持ちになった。

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