第十四章 ココーネのめざめ③

 竜は土くれと化し、原型をとどめていなかったものの、アネスに向かって飛び出ていた土の集まりが細長くなっていき、山が竜から尖槍へと変貌を遂げた。

 ゆうにそこらの山々を越える大きさだ。

 メゾムは手を振り回し続けることで槍を操作しているようだ。巨大な槍が目にも止まらぬ速さでアネスに迫った。

 アネスは飛翔してきた槍の方へブレイガイオンを差し向けた。

 すうっと静かに、メゾムの渾身の一手がブレイガイオンの剣先で二手に分かれていった。

 見上げても収まらないほどの山影と同じくらいの大槍が、強かなメゾムの思いも、あるはずの歴然たる力の差も馬鹿にするくらいにいともたやすく、小さな剣によって、二分割にされ――、

 やがて霧散した。

 メゾムは唖然として、宙に浮いたままだ。

 しかし、まだこいつらに仕打ちができる。微かに残っていた希望を胸に、首からかけていた赤い光沢のペンダントをもぎ取り、握り潰そうとした。

 瞬間、紺色のアネスがメゾムからそれを取り上げ、片手にあったブレイガイオンで、メゾムの胸の中央を刺した。

 力が抜けていく……。

 視界が霞んでいく……。

 最期にダイガンの声が、遠のくメゾムの意識に打ち響いた。

「さらばだ、私の唯一の汚点よ……」


 山が消えたと思ったら、元の状態になっている……。

 これまでアネスが日常的に見てきたヘキサート以上の出来事が矢継ぎ早に起こり、アネスの思考は混乱しかけた。

 どういう仕掛けかもわからない。授業で習うこと以上の現象が今後起こりうると知れたのは、予習になるとも言えるかもしれない。

 ダイガンはブレイガイオンから人の姿に戻っていた。

 幸いココーネの体を傷つけることもなく、メゾムを倒したアネスたちは、付近の山の一角でココーネを横たわせ、元通りにする段取りを進めていた。

 ジスードは離れた場所で膝を抱いて座り、虚を見つめている。

 ダイガンは笑みを見せながら、

「メゾムがペンダントをもぎ取っていたな。やはり君の言うとおり……」

「はい、このミミユユの実の中にココーネのヘキサ・シン体が入っているんだと思います。この戦いの前に学校の図書館で、ミミユユの実のことを調べていたんです。そしたら、アルテワーキとの関連性と、ヘキサ・シン体を封じ込める力を持つ実であるという記述がありました」

「その封じる力を解くには、アルテワーキが必要というわけだね? それで、その力を解くには?」

 それは……、とアネスは言い淀んだ。

「せ、接吻に近いことを……」

 恥ずかしげにそう述べ、ココーネの口元に目をやった。

 ダイガンは感心したように、

「そうか。慈しむ力も持つアルテワーキは、癒しや回復の力も持ち合わせているということか」

 アネスは、はい、と首肯し、

「アルテワーキを持った人間が、ヘキサ・シン体を納めたこの実に触れることで、体内へと注入されるという仕組みのようです。調べていた時はまだ僕にアルテワーキがあることはわかりませんでしたから、正直諦めかけていました……。ヘキサ・シンという人の意思を持った肉体は、その形を維持し成長しようとします。ヘキサ・シンを失った肉体は、自然の摂理で形を維持できなくなるので……」

 なるほど、とダイガンは顎先に手をやり、

「肉体とヘキサ・シンが紐づいているのは、そうした自然的な現象からともいえるのか……。だからこそ、ヘキサ・シン体を欲する……。アルテワーキはその肉体の要求を満たす力があり、肉体を本来の状態に戻すということになるのか」

「た、ただの接吻というわけではないんです。唇と唇の間に実を挟む形になるんです」

 なので、正確には恋人同士のような愛の印とは違う気がしなくもない。

 アネスは頬から耳まで赤く染め、深呼吸を二、三度行った。

 そして、よし、と小声で言い、赤く光るミミユユの実を、ココーネの唇の上に置き、すぐさま実の上から唇を重ねた。

 仄かな光が、辺りを包んだ。

 暗闇ではあるものの、心なしか月光でココーネの頬が赤みをつけたように見えた。

 そして、ココーネはゆっくりと瞼を開けた。

 大きな碧い瞳が、一刹那、夜空を見つめたように映ったが、それが傍らに佇むアネスに向けられ、

「アネス……」

 ココーネはそう囁いた。そして、瞳をぎゅっと閉じ小粒の雫を目尻に溜めたあと、それがとめどなく滑り落ちていった。

「ココーネ……」

 アネスも名を呟いた。そして目を潤わせ、ひたすらに涙にむせった。

「ようやくあなたにお礼が言える……」

 ココーネが力なき声で言った。

「ずっとあなたに守ってもらっていた。あなたに声をかけて、苦しむあなたを安心させてあげたかった……。ダイガン先生……」

 ココーネはダイガンの名を呼んだ。微笑んだまま何も言わないダイガンに、ココーネは一言、

「ありがとうございました」

 ココーネの謝礼に、アネスはダイガンが自分を欺けるような鍛え方をしていた過去を振り返った。

 ダイガンの訓導としての厳格さは、アネスの心奥にずっと存在し続けたココーネを伝えることなく、結果、アネスは苦悩した。

 その間、ココーネはずっとアネスの胸奥でアネスを憂いていた……。

 だからといってダイガンを責めることはできない。ダイガンの虚偽により、今がある。ココーネとの再会と、真の力の覚醒、そしてダイガン自らが打ち明けてくれた、その正体――。

 決して嘘言だったのではない。

 すべてアネスを正道へと導くためのものだったのだ。

「ありがとうございました。先生……」

 アネスの深謝にダイガンはにこやかに頷いていた。

 ココーネがアネスの手を握った。アネスも合掌するように手で握り返し、ココーネを見つめ、

「僕は君に謝りたい。君に気づかずずっと自分を責めていた。いや、元は僕の油断が招いたことだ……。本当にごめん……」

「いいのよ。誰が悪いだなんて、わたしには言う資格ないもの……。ただわたしは、あなたとまた会えて嬉しい……」

「僕もだよ、ココーネ……」

 アネスはそっとココーネを抱き上げた。ココーネもアネスの背に腕を回し、アネスの胸に顔を埋めた。

 絶望と思っていたのに、ずっとそこにあった。

 希望はずっと自分の中にあったのだ。

 煌々と月の光が、二人を照らした。

 天からのささやかな祝福のようだった。

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