第十三章 それぞれの戦い⑤

 ゴンダの鈍い挙動は、他人に暴力を振るうときにだけ素早さを増す。

 オレンジ色をした刺々頭のこの男を手早く片付けるにも、そう時間はかからないと思っていた。

 しかし――、

 オレンジ色の棘頭は、ゴンダの攻撃を一方的に被っていたにもかかわらず、未だ地に沈むこともない。

 大きな音がしたミュールのいるリングの有様を見てやる気にもなれない。

 ゴンダのこめかみを汗が伝った。

「溜まった……」

 ウォルゴは一言そう言った。ゴンダにも聞き取りやすい声だった。

「な、何が溜まったんだ……。さっきから奇妙なことを呟きやがって!」

「千差平等……」

 ゴンダは傷だらけで動けないはずのウォルゴの声が、微塵も疲労の色がないことに体を強張らせた。

 千差平等、と述べたウォルゴは続ける。

「この言葉、知ってるか? 人間様には色々異なりがあれど、等しく千の生命が刻まれている。ま、俺が体得しかけのある流派の教えなんだけどな。生命を数字にするとは、ヘキサ・シンへの冒涜だ、と迫害にあった過去もあった流派でさ」

「お、お前に何か隠し球でもあるのかよ。普通に拳術を習ってただけだろ?」

 ゴンダのみならず、ウォルゴを知る幾人かの関係者には彼が武術に傾倒しているのは周知だった。それはもはやこの学校では当然のことであるはずだった。ゴンダの発汗は止まらない。

「まあ大体、てめえの技一撃一撃は、二〇〇くらい千から徐々に引かれていく感じだったな。要は蓄積した痛みをお返しするっていう技だ。てめえのはなかなかいい技だったぜ? まあ、俺のこの技は迫害されたからこそ、秘奥義にする必要があった。でなきゃ根絶やしにされるくらい、当時の寺院は力があった。だからてめえが知らなくて当然だ」

「お前、まさか……」

「千の生命のあまねく所、痛みの鋭さあり……。調子に乗るのもここまでだぜ、デカマル!」

 ゴンダの脂肪に埋もれた顎が小刻みに震える。ウォルゴの秘技が恐ろしいからではない。その文言を説くことに自然と慄くのだった。

「くっそぉ! 俺にだってまだ技はあるんだ!」

 ゴンダは左右の肘を奥に引いた。ウォルゴは片腕を後方へ下げ、投擲するような構えをし、

「〝ペイントリガー〟……。痛みに潰えろ……」

「ダギョウズモウ、奥義、〝どっぱり〟!」

 ゴンダの両の手が抑揚ある動きで突き出された。同時に、ウォルゴは球を投げるような所作で突進した。

昇天逆転吼しょうてんぎゃくてんく!」

 ウォルゴの叫び声に伴った拳固の一撃はゴンダにカウンターを決め、ゴンダの背面を覆っていた閲覧席に激突させた。

 ボゴン、と岩が割れたような大音響が屋内運動場に響き渡った。

「女にもてたいから、四士会に入った? 女ならもういるじゃねえか……」

 ウォルゴは、席と席の間に減り込み仰向けになった巨漢を見据え、

「椅子になるてめぇを見ただけで、喜ぶ女がよ……」


 放送室では、ナキムが感嘆の音をあげていた。

「ウォルゴ選手の決めた鉄拳、彼にしてはいつも通りといったような攻め方でしたね。非公式のこの試合、果たしてどれだけの方が耳に止めておいていただけているか定かではありませんが……」

 ボーノは黒眼鏡を光らせ、

「大番狂わせと言いましょうか、四士会の実力とクラススリーの実力がひっくり返りましたね……。いやーこれには驚きです」

 四士会に選ばれるにはそれなりに実力を持っていなければならない。対する候補者のいなかった、ジスードたちの四士会でも代表足りうる素質を見極める普段からの成績の良しあしはあっただろう。そこにもミュールとミュールの言う〝大人たち〟が一枚噛んでいれば、今期の四士会の底力はいかほどのものかは計り知れないが、ウォルゴたちとの力比べは、クラススリーであるウォルゴたちの方が勝っていることがこのとき実証された。

 ボーノはそっと放送室の窓から、ズフクとフォドを見やった。

 写石を片手に、ズフクは体を小刻みに震わせていた。フォドも勝者である、ウォルゴとルビーシャを見つめることしかできない。

 新聞部の二人にとって、間近で見ていたこの結果は驚愕以外の何ものでもなく、しばらく彼らは声も出せなかった。


 細長い木立の群れの下で、カナリは暗闇に潜むレザークの気配を探っていた。

 視界の利かない世界に、カナリは冷静に感覚を研ぎ澄ませ索敵をしなければならない。

 ……君のことが好きなんだ。私と付き合ってくれませんか?……

 ジスードが数年前にカナリに告げた一言が不意に蘇った。

 ……そうか、すでに好きな人がいたんだね……

 その時は交際を断ったカナリだった。

 カナリとしては目の前の眼鏡野郎に踏ん切りをつけたつもりだった。ところが両者に気持ちは右往左往させられ、悩む羽目になった。

「何としてでも、ジスード会長のために私は……」

 すでにカナリの身中は焦燥感に強く追い詰められていた。カナリはそれに気づいていないのか、彼女自身にはわかるよしもない。しかしレザークだけはこの手で仕留める必要があった。

「なぜあの無能に手を貸す?」

 闇に紛れ込んだ声は、レザークのものだった。

「ジスード会長は無能じゃないわ! 会長を支えるためよ! 人を助けるために理由なんかいらないじゃない。それだけよ!」

 蒼い閃光が閃いた。カナリは寸手のところで、その閃きを避けた。雷のような槍がカナリの肩や頬を掠めていく。

「だが貴様らは用意周到のようだったな。あの馬鹿とココーネを巻き込んでまで、無能会長の肩を持つというのか?」

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