第十一章 過去との邂逅③
入り込んでから、五分も経たないうちに森の木陰に覆われ日が隠れた。森の気候は、立ち入るとたちまち悪天候になるという話はアネスも聞いたことがあり、後ろで距離を保って歩くノイルたちが気になった。
「随分、天候が危うくなってきたわ……」
片手の平を額の前で空に向けるココーネは、雨を気にしているようだ。
「ココーネ、やはり貴様はついてくるべきではなかった。こんな場所に女が来ると……」
「面倒くさい?」とココーネは曇天とは反対の顔で微笑むと、言下にレザークは口をつぐんだ。
「わたしだって、自分の力を確かめたいわ。もちろん怖いし、バレたら学校辞めさせられちゃうかもしれないし……。でも……」
ココーネは前を行くアネスとレザークの肩を片方ずつ軽く叩き、
「あなたたちが死んじゃったら、学校辞めさせられるどころの騒ぎじゃなくなるじゃない。だからわたしは、あなたたちの助けになるようついてきたのよ。この三人とノイルくんたちとで全員で生きて帰る……。それしか考えはないわ……」
ココーネは言って後ろを向き、ノイルたちに声をかける。
「そろそろ引き返しましょう! もう十分じゃないかしら!」
ノイルたち三人の中で、分厚いレンズの眼鏡の少年、イッジュだけが愛想よく片手をあげるのが見えた。
「先生に正直に話すかどうかはそのあとに決めましょ」
「ココーネにしては結構な熱意だね」
アネスは感心した。
ココーネは、こと互いの優劣にいたっては競い合うことに夢中になるアネスとレザークを、母親のように見守りつつ、暴走しがちな二人の手綱を引く役目もあった。ココーネのそれを小うるさいように感じるアネスは、このときそれが最後になるかもしれないという予想は微塵も抱かなかった。
「当たり前よ」
いつものココーネ節が出た。ココーネは両の手を腰にやり、
「あなたたちやノイルくんたちの命がかかってるんだもの。あなたたち二人はいつもどちらが上か下かを決めることばかり考えているけれど、力を合わせればそんなこと、気にしなくたっていいはずよ!」
力説する金髪の少女に、アネスとレザークは黙って耳を貸すことしかできなかった。
正鵠を射るようなココーネの意見はもっともだ。しかし、その理路整然としたココーネの意見に、ライバルと認め合う二人の少年は素直に考えを改めることができなかった。
アネスたちの場違いな明るさに何を思って見ているのか、ノイルたちの顔は強張っていた。
ノイルたちのさらに後方を歩くのは、ウォルゴとルビーシャの二人だった。
「本当に森に入っちまいやがった。俺たちも人のこと言えんが……」
「あんな簡単に森に入れるなんて、見張りがずさんだって言ってるようなものだよ。何か起こらなきゃいいけど」
「ココーネだけが浮いてる気がすんだよなあ」
「お目付け役とか言いながら結局森に入っちゃったし。こうしてあたしらが見守ってあげれば、安全に越したことは――」
そこで、ルビーシャは言葉を区切った。
ウォルゴはルビーシャのその態度がどういう理由からか、眼前の光景にすぐ理解した。
「なんか寒くなって来たような気がしないかい……」
先頭を歩いていたアネスは、踏み入った当初よりも森の空気が冷え込んできているものを感じ、レザークかココーネが拾ってくれるだろうと思って独り言ちた。
ところが後ろから歩いてきているはずのレザークとココーネの話し声が止んでいる。
どうしたのだと思い、振り返った。
日中にも関わらず、視界のほとんどを黒色が埋め尽くしていた。
光が点々と点いているように見えるのは、どうやら目のようだ。
一見した限り〝顔〟だった。巨大な顔の中央は人に近い顔があり、顎から後頭部までを黒い毛髪が覆った厳つい中年男性のような顔もあれば、女性のような丸みを帯びた顔もある。大きな顔のこめかみ辺りからは腕が、顎のつけ根からは脚が生えているのは、アネスの目に映る顔全てに言えることだった。
それは間違いなくヘル・マだ。そのヘル・マが、アネスたちのぐるりを囲んでいたのだ。
数はざっと三十はいるだろう。
「かっかっ囲まれた……」
アネスは思わず腰が抜けそうになり、たたらを踏みつつ中腰になる。
「図書館の図鑑などによれば、確か、メンオーガっていうヘル・マだ」
レザークが冷静に分析している。傍らのココーネはメンオーガたちを凝視していた。
「人肉を好むそうだ。顔は食った人間の顔に変わる……という伝説があるらしい。だとしたら生まれたては、誰の顔なんだろうな……」
レザークの解説は続く。もしかしてとアネスは思った。レザークも恐怖に慄き、ヘル・マの特徴を説明することで、それを誤魔化しているのでは、と……。
「おい、何とかしてみせろよ! レザーク、アネス!」
離れた場所にいたノイルが声を張り上げた。
「お前らの力を試すときが来たみたいじゃねえか! おあつらえ向きだぞ! さっさとこんな奇形生物倒してみせろ!」
ノイルとジナク、イッジュの姿が、突然見えなくなった。
「きっ消えた⁉」動揺するアネスにレザークは起伏のない口調で、
「姿を消すヘキサートは、空のヘキサートだろう。興味を持ってるやつは初等部からでも修得している。自主練がものを言う世界でもあるからな、ヘキサートは……」
「悠長に説明している場合じゃないわ」
ココーネが語調を強めた。
「まずはここから逃げないと……。ヘキサージェンに見つかったら、学校で勉強どころじゃなくなるかもしれないわね」
ココーネがそう言いつつ、構えの姿勢を取った。
「ヘキサ、リリース……」
勇敢にも力の解放をやってみせた。そこへ――、
やや遠くの方で、破裂音が響いた。
森に棲息する野鳥が飛び立ち、木々が揺れる音を立てる。
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