第九章 さまよう疑念⑥
レザークが一旦寮に戻った時にはすでに昼食の時間だった。
レザークの住む寮はアネスやウォルゴの住む相部屋とは違い、一人用にしては無駄に広い部屋だった。
レザークの父親がヘキサート省勤めであるように、いわゆる高位の職種に就き、金銭的に余裕がある家庭であれば、こうした余分なスペースを保有した部屋は提供される。
小学年からリクシリア校に通っているレザークには、ブライコーダ家から専属のメイドがつくが、中等部のころ父に相談し、メイドをここへ通わせるのを止めさせた。今もそのメイドはレザークの屋敷で仕事をしているそうだ。
玄関のドアノブに鍵を差し込むとすでに開いており、レザークはあの頑固な父がまたメイドをよこしたのかと、微少ながら警戒心を抱かずにはいられなくなった。
悪漢の可能性もあったものの、室内にいたのは執事のケンスだった。
「おお、ぼっちゃま。お帰りなさいませ……」
「ケンス……どうして貴様が……?」
ケンスはずいっとレザークの前に立ち、堅い面持ちで言った。
「いえ、実は少々お話がございまして……」
ケンスは部屋のリビングへレザークを招き入れ、茶を用意した。
「先日のことはどうか、旦那様にはご内密に……」
ケンスはレザークの手前側にあるテーブルとソファを挟んだ所で立ち、そう懇願した。
「まあ座れ、ケンス」
「そ、それでは失礼をば……」とケンスは衣擦れの音も出さず、レザークの真向かいに腰掛けた。
「本当に申し訳ございません」
卓上すれすれに額を持ってきて、ケンスは再び謝罪した。
「貴様にしては、やけに神経質な気がするんだが?」
ココーネとの逢瀬を覗き見していたような先日のオンリーアのことを言っているのだろう。ケンスほどの人間がそれくらいで辞職させられることは、レザークとしては考えられないことだった。ケンスはレザークが産まれる以前からブライコーダ家を支えてきた功労者として父にも信頼されている。
「いえいえ……。思えば、ぼっちゃまのこととはいえ出すぎた真似であったと……」
「そのことはもういい。顔を上げろ。父には言わないし、オレも貴様を許すぞケンス。貴様がいなければあの場を持ちこたえるのは難しかったかもしれないからな」
「ありがたく存じます……。して、あのあと無事に事なきを得られたのですか?」
「ああ、ダイガン先生が来て、無事誰一人と負傷者を出さずに済んだ……。だが少し妙なことが……」
ムニと鉢合わせしたことと、ココーネの変わり様……。レザークはそれをケンスに伝えると、
「左様でございますか……。ムニ・ユイツという名前、少々気になりますな」
「何か知っているのか?」
「十数年前、ゴドルザレスの幾つかの村をオクタージェンが襲撃した事件がありましてな……。私はもうヘキサージェンを引退しておりましたが、異性の友人が一人、オクタージェンの追跡を行っておりました。彼女は優秀なヘキサージェンでしたが、鋼鉄の森との境で命を落としました……。その友人の名がムニ、旧姓はユイツ……。まあ、同姓同名ということもあり得ますな」
「オレの気のせいならそれで問題はない……。クラスメイトでな。少し性格に難があるやつなんだ……」
その後、ケンスと近況を話し合った。レザークは一人でキッチンに立ち、軽く食事を作った。ケンスは手伝いたがっていたが、レザークはこの場に限って父の名前をちらつかせ、白髪の執事はおののきながら屋敷へと帰っていった。
食器を片付け、午後の訓練のためグラウンドへ行こうとしたとき、自室にあった音石がカチカチと鳴った。
遠距離での通話ができる音石は、外国産の通話器という機械だった。
エンブールドの文明の利器は、もっぱら石術によって石を加工してできる諸々の機器だった。
自動車や列車、外灯、室内の明かりも源石と呼ばれる大きな鉱石から抽出された欠片を燃料にして動いたり、暗い道を照らしたりする。それを生成する専門のヘキサートによって加工され、これまで日常で活躍してきた。
レザークはなれた手つきで、四角い台にセットされていた拳大の音石を口の前に持ってきた。
通話相手から先に話が始まった。
「ブライコーダ家のご子息であられる、レザーク様に緊急のご連絡です」
「何者だ?」
「ヘキサート省ではお父上から大変、お世話になっている者です。ヘキサート省内のある組織より、私、スレイユがレザーク様への注意喚起及び、避難の準備をお伝えしようと、お父上からのお達しでご連絡を……」
「それで?」と少し突き放したような言い方になったが、スレイユは淡々と述べた。女性っぽい声色だった。
「ココーネ・ユフィリスという生徒が最近、鋼鉄の森から一年ぶりに戻ってきたと伺っております……。彼女は恐らく、レザーク様や他のクラスメイトが知っている一年前の彼女ではありません……」
「それでは何者なんだ? ついこの間再会を喜びあったばかりだぞ?」
まさか、とは思った。昼前に感じていたココーネへの疑心が、スレイユの放った次の一言で極まった気がした。
「彼女はオクタージェンです」
レザークは眉根を寄せた。
「証拠は?」
「今日の郵便物にあると思われますが……」
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