第九章 さまよう疑念⑤

 心に嵌められた枷をようやく外され、アネスの心持ちに、解放感が訪れた。

 アネスは空を仰ぎ見、その広大さにココーネの不審な点が払拭された気になる。

 ――これでいいんだ。これで……。

 その時も一人で恥ずかしげもなく笑みをこぼすのだった。

「一人で笑ってるっすね……」

 レザークを囃し立てるのが仕事の生徒たちの一人がそう言った。

「気持ち悪いなあ」「ヘキサなしめ……」「不気味なやつだ」

 口々にアネスのことを罵る取り巻きたちだった。

 ――何を思って一人で笑っている?

 アネスを一瞬だけ見やったレザークは頭の中で疑問符を浮かべた。

 レザークの傍らには、先日初めてデートしたココーネがいる。

 アネスへの悪罵を黙認し、アネスをレザークとの間に入れて会話することすらしない。

 レザークはそんなココーネの様子に以前との違いを感じていた。

 ――前なら、こいつらを咎めただろうし、アネスとオレたち三人で話す場を設けただろう……。アネスがこちらに近づいてこないのも、それが引っ掛かっているからだろうな……。

 ココーネは微苦笑するどころか、取り巻きたちのアネスに対しての悪口に手を叩いて笑って見せた。

「そんなこと言っちゃ可愛そうよ!」

 そしてまたはしゃぐようにけらけらと笑い飛ばした。レザークはそれを見つめたまま、喉の奥で呟いた。

 ――どうにも受け入れがたい……。ココーネの変化を……。


 アネスがグラウンドから校舎の方へと戻って来たと同時に、数人の女子生徒と歩いていたルビーシャと鉢合わせした。

 ルビーシャは女子仲間に謝るような仕草をすると、女子の一人が、「頑張ってね」と言っていた。

 何を頑張れと言うのか、不思議に思いつつ近づいてきたルビーシャが、はろはいほ〜と、いつものように声をかけてきた。

「や、やあ」とアネスも気さくさを装って片手を挙げる。

 中庭のベンチに腰掛け、アネスはルビーシャに聞いた。

「昨日言っていた、追憶の精のことなんだけど……」

「おう……」とルビーシャはどこか驚いているようだった。それに疑問を感じたアネスは、

「何か、驚いてる?」苦笑すると、

「あ、いや……。アネスって結構ロマンチストなのかなって……。だって、学校でもそんなに話題にならないことだし、妖精にこだわりを持ってるようだから、結構夢見る少年なのかなと……」

「いやいや……。ちょっと色々あってね……。追憶の精の、何て言うかその存在を形作っている要素みたいなものは、なんなのかなって……」

「ああ……」とルビーシャは思い出したように、

「〝ヘキサ・シン体〟ってアネスも聞いたことあるよね?」

「確か、肉体と紐付いているヘキサ・シンが、肉体から離れて、ヘキサ・シンのみの状態として、視覚化されたもののことだったよね……」

「そう。追憶の精アピセリアだけじゃなく、妖精と呼ばれる部類に入るものはヘキサ・シン体という呼ばれ方もされるみたいだよ。ある人物のヘキサ・シン体がそのまま建造物や土地とかに住み着くことで、そういった場所に出入りする人の記憶を共有するんだって。肉体だけが滅んでしまっても、何らかの影響でヘキサ・シン体化するみたいだね……」

 そうなんだ……とアネスはルビーシャの説明にある確信を得た気がし、内心驚きつつも、そう返事をした。

 ルビーシャとは別れ、校舎区画から離れた場所にあるヘキサ・シン図書館へと向かった。

 ヘキサ・シン教やヘキサージェンに関しての多くの書物が架蔵された、専門的な図書館だった。

 その一室で、アネスは無我夢中で書を漁った。

 ある書物のページを開いたまま、アネスは昨夜の涙の通った頬を手で触れた。

 自然と涙声を漏らすに至ったあの晩、アピセリアが自分を慰めるために、感触のない体で、アネスを覆ってくれたあの瞬間――。

 アネスの涙はある決定的なものを掴んだために、流さずにはいられなかった。

 開きっぱなしの本のページにはある装飾品の断面図が載っていた。

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