第九章 さまよう疑念②
「これが追憶の精と呼ばれた君の中にある、ココーネとおぼしき人の記憶……か」
アネスはそう独り言のように呟くと、ココーネらしき女性の後方にいたムニのことが気になり、
「今見せてもらった記憶の断片に、もう一人女の子が映っていたよね? ムニっていう同級生に似ていたんだけど、その人の記憶は見せてもらえる?」
「いいけれど、その要求が下心からくるものだったら、私の方で選別して見せるわね……」
「いや、下心なんて毛頭ないんだけどな……」
「何が見たいの? いきなり私生活を見せろと言われても、私は頑なに拒否するわよ?」
「いっいやいや……。だからそういう目的ではなくて……」
「それなら今言ったように厳選して見せるわね……」
アピセリアはアネスの胸に再度手を触れた。
夜の中庭のような景色に、見かけたことのない女子生徒の姿があった。それを見ながら何やら話しかける一人の大人――教員だろうか。
果たしてこれは、ムニの記憶だろうか。それともアピセリアが言ったように草木などからの視界か、それともココーネのものか……。
誰かの主観的な景色ではないように思われる。かといって誰のものでもない第三者の視点……。
突如、女子生徒と対面していた教員らしき人物が膝から崩れ、二人ともうつ伏せに倒れた。
よく見ると二人の背中には丸く血の跡がついている。
その場面のさらに奥には、ムニがヘキサートを放つ際の仕草だろう。手を手前に突き出している様が映し出された。
ムニ……? アネスの背中に悪寒が走った。昼間に初めてムニという少女と会話し、優しき一面を垣間見れたというに、この場面を見るに、ムニが悪事を働いたように見えるではないか。
しかも見間違えでなければ、女子生徒と教員を殺めているようにも見える……。
「そんな……。ムニが、そんなわけ……」
どうしたの? とアピセリアが尋ねてきた。
「い、いや……。何でもない……」
しどろもどろに述べた矢先、アネスの目尻に水滴が浮かんだ。
鼻をすすりつつ、瞼をぎゅっと閉じ、勝手に流れ続ける涙を手の甲で拭いた。
「だ、大丈夫?」
アピセリアが慌てたように言った。
「ご、ごめん……。こんなの見せられちゃ困るよね……」
アネスが述べたあと、アピセリアは立ち上がって、テーブルに伏せるように涙ぐむアネスの頭を上から抱きかかえた。
実体のないアピセリアの体にもかかわらず、アネスの心にじん、と悲しみが染み込んだ。そしてどことなくやわらかな心地に包まれたようだった。
「何があったのかは、聞かないでおくわ。でも涙を流すほどのことがあったのは間違いないようね……。ごめんなさい」
「何で、アピセリアが謝るんだい?」
「いきなりいろんな場面を見せたりしたから、あなたのヘキサ・シンが疲れたのかなって……」
「違うよ……。僕はただ信じられないだけだ……」
「信じられない? それはあなたの友人たち……、今記憶の断片を見せたあの娘たちを?」
「そう、そしてよくわからないことでもあるんだ……。僕は疑わなければならないのが怖い……。悪をこらしめるには疑いを向けることから始めなきゃならないだろ? 僕はそれが怖いのかもしれない……」
そっとアピセリアがアネスの頭を撫でたようだった。
信じていた者へ疑惑を抱かなければならない――アネスにとってそれは戦うことよりも恐怖を覚えてしまうことだった。
自分は何者で、どこで生まれ、育ったのだろう……。
闇の中、金髪の少女は自分の記憶を辿ろうとしていた。
何度思い出そうとしても、答えが見つからない。暗闇の中で焦燥感に駆られる。
心を落ち着かせようと、そのまま瞼を閉じ続け、幾度か呼吸をした。
金髪の少女の瞼の裏側に光が差した。やがて視界が広がり、白い衣服を着た少女が現れた。
縦も横も、際限なく広がる黒い壁の前で、少女は白い背中を見せている。
金髪の少女は無意識のうちに白い衣服の少女に問いかけていた。
「ここから先へは行けないの?」
「ええ、行けないわ」白い服の少女は背を見せたままだ。
「どうすれば行けるの?」
金髪の少女が再度問いかけると、白い服の少女が徐々に遠ざかる。
いや、遠ざかっていくのは自分の方だろうか。
「待って! お願い!」
遠く、漆黒の空間に消えていく白い服の少女は、金髪の少女の頭の中に声を響かせた。
「あなたはまだ見ることができない。例え見れたとしても、混乱してしまうだけ……。だから私が守る……。私の大切なあなた自身だから……」
一瞬、強い光の明滅があった。
金髪の少女は瞼を開けた。
静まり返った闇の中で、金髪の少女は一人佇んでいた。
リクシリア国内のとある収容所――。
ダイガンはそこである人物と面会を所望していた。
狭い個室で、ダイガンが椅子に座り待っていると扉が開いた。
手錠をつけたまだ若い男が刑務官と入ってきた。部屋の隅の椅子に刑務官が座り、その男は机を挟んでダイガンの前に腰かけた。
丸刈りの頭に憔悴しきった男の顔は、ダイガンからすると、リクシリア校でヘキサ・シンの教えを習っていた一生徒だったことが信じられずにいた。だが、この人物が犯した罪は、ヘキサ・シンの教えに違背する。こんな若手の人材でさえ罪に問われること自体、ダイガンの胸を締め付けた。
「ここに来るようになってから、もう一年が経つが……。どこか体が悪かったりすることはないかい……。ノイルくん……」
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