第六章 セピア色の少女②
「あなたのことを色々と校内の噂で知っていた。前々からあなたとこうして話したかった……。その理由は、あなたは私と同じものを持っているような気がしたからなの」
よく見ると、この学校の制服を着ているようだ。消えかかった体に薄茶色に染まっている容姿は、非現実的で、持っていて当然であるヘキサ・シンを無くした自分に似ているとアネスも思った。
「提案があるの……」
「提案?」
「私が思うに、あなたがヘキサ・シンを失ったのは、自分を許せていないから……。自分を認めてないから……。その思いはヘキサ・シンの存在を無視することになってしまう。私はここで暮らし、時間になったら学校へ行く……。誰も私の存在に気づかないけれど、あなたには私の声が届いた。あなたは自分のヘキサ・シンを信じる必要がある。でなければ私のようになってしまう可能性もあるかもしれない……」
「アピセリアのように……?」
「ええ。私自身、いつからここにいて、いつからこの体になったのかわからないの。ただ一つ言えるのは、私とあなたは会話ができる」
「この学校の全生徒には試したのかい……って、それも難しいか……」
「授業中に教室に入ればわかることよ。だから私が誰にも姿が見えないことがわかったのはすぐだった」
「それでこうして僕とだけ会話ができたのならアピセリアの言うことも一理あるってことか」
「その理由は今のところはわからないけれど……、わかっているのはあなたと話せるということ。それはもしかしたら、あなたが私のようになってしまうか、私があなたのようになってしまうか、という可能性でもあるのかもしれない」
「それは……アピセリアも自分のヘキサ・シンが信じられていないってことになるのかい?」
「どうかしら。ただ今のあなたに少し助力ができるのも確かだと思う」
アネスは一度考えてみた。
アピセリアの言っていることを信じるのは難しい。だが自分と異なりながらも、何かを失っている状態であれば、いくらか共感できるものもある。そして、今のところ何ができるか不明な、アピセリアの〈提案〉というものに一度乗ってみるのも、現在の自分の抱えている問題を解決させる糸口になるのではと思うのだった。
アピセリアは立ち上がって、アネスの横へ歩み寄った。そしてアネスの胸の中央に手を添えて見せた。エンブールドでは一般的にヘキサ・シンがあるとされる箇所である。
暗闇に包まれていたガゼボの中から、視界が一気に変わった。
何かの渦に没入していく感覚だった。
やがて視界が開け、何もない真っ白な空間に、叫びながら剣を振り回す少年の姿があった。
「もういやだ! 何でみんな僕を馬鹿にするんだ! 何で僕のヘキサ・シンはなくなってしまったんだ! 何で僕だけがこんな嫌な思いをしなければならないんだ!」
うおおおおおっ! とその様子を見ていたアネスの方へと少年が飛びかかった。
走り込む剣を振り回す少年。よく見るとそれはアネス自身だった。
黒髪は額の真ん中辺りまで伸び、きのこの笠のような形だ。大きく口を開け、叫ぶ姿であっても、どこかまだあどけなさのある顔つきなのは、日頃鏡で見たことのある自分の顔と相違ない。
ココーネがいなくなってから、ヘキサ・シンの解放という初歩的なことができなくなってしまい、そこから出る暗い感情を面には出さないよう努めてきた。他人に心を見抜かれるのが嫌だった。見抜かれれば、ヘキサ・シンがあった頃の成績を羨む連中に何を言われるかわからない。今、もう一人の自分が言ったような言葉を誰かに正直に話すのも、格好悪いと思って我慢していた。
ココーネが戻ってきてくれたのに、自分のヘキサ・シンは戻ってこない――
なぜなのだ、と誰かに問うのも厄介者に思われるかもしれなかった。ダイガンが解放の特訓を見てくれているのも、教師としての義務的な役割だと思い込んでいた。
大きな金属音を立てアネスとアネスの剣がぶつかりあった。
つばぜり合いとなり、アネスはもう一人の自分の顔を見つめた。
怒りか悲しみか、もう一人のアネスは感情に呑まれ我を失っているようだった。
「僕はヘキサ・シンもない、リリースもできないダメなやつなんだ! 僕はダメなんだ! そんな僕を僕は嫌いだ! 捨てたい! 全て諦めたい! この生きるということから逃げたい!」
もう一人のアネスが力任せに剣を弾き、相対するアネスは大きく仰け反った。
アネスは本心を爆発させた。
「僕は死にたい!」
仰け反った体勢をすぐに立て直し、アネスは地を蹴って、過ぎ去りながらもう一人の自分を肩から脇腹まで斜めに斬りつけた。
もう一人のアネスは剣を落とし、うずくまった。
すすり泣く声と共に嗚咽を漏らす。
地に丸くなって頭を抱える自分を見て、アネスは言った。
「僕は僕だ。他人は他人なんだ……。自分ばかり責めても答えは見つからない……。だから前へ進もうって思って自主トレを始めたし、嫌々ながらダイガン先生の勧めで実技の授業も受けてきた。ここ半年くらいずっと続けてきた。続けてこられたじゃないか。それが努力なんだ。少しでも前に進むんだって、僕は意気込んだだろ? それができている。進んでいる……。これからもそれを続けるんだ。他人がなんと言おうと、僕なりの歩き方で……」
自分で自分を叱咤激励したからか、頭が優しい心地に包まれた。
ココーネと抱き締めあった中庭の時とは別の、このまま身を委ね、この温もりに沈んでいってしまいそうな……。それすら許してくれそうな、自分の体にだけその感触があるのに、遠大な天空のようで、深遠な海の底のようで――
ココーネの笑顔が一瞬、アネスの眼底に閃いた。
「ココーネ?」
夢うつつだったのか、アネスは目を半開きにしてそう呟いた。
月の煌めく夜。
アネスはガゼボの中の椅子に腰かけつつ、テーブルの上で、両腕の中に頭を埋めていた。
そこにアピセリアの姿はなかった。
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