第六章 セピア色の少女①
夕食後の高学年の寮は、入浴の時間帯だった。
早々と風呂から出、アネスは寮の外へと出た。
外出はこの時間、禁止されているが、消灯時刻まで区画内の広場に行くことは許されている。
一人、月明かりの下、木剣の素振りを広場で行った。
ふと思ったのは、ジスードの存在だった。結局、学校の片隅にあった敷地の掘り起こしのことを報告できずにおり、ジスード本人も、いつもいるような場所を探してみても、見つけることはできなかった。
先日は高等部四士会のメンバーを連れて、自主トレを称えてくれたが……。
――そういえば明日、校内清掃だったな。そこでジスードに会えるだろう。
気を取り直して、剣を振ること数十分。そろそろ引き上げるかという頃合いになって、アネスは気配を感じた。
広場の中央にある池のガゼボから鈍い光が輝いている。
目を凝らして眺めていると、その気配が人のものであると察知した。
「アネス……、聞こえるかしら……」
名指しで手招きする何者か……。アネスは恐る恐るガゼボへと近づいていった。
椅子に腰かけるその人物は、薄い茶色に染まり、所々白みがかかっていた。今にも消えそうな、希薄な色を放つ何者かはアネスを見て、
「ヘキサ・シンにお困りのようね……。ぷっくくく……」
顔の詳細まではわからなかったが、様子を見るからに、アネスのヘキサ・シンがないことを笑っているようだった。
「くくく……いーひっひっひっ!」
「そこまで笑うことはないだろ!」
その人物は、はあはあ、と息をこらし、
「ごめんなさい……。どことなく私と似たような気がしたから、嬉しくて思わず……」
「初対面で失礼だな……」
そう正直な気持ちを口にしたが、初見のはずが妙な親近感もあり、それがアネスの思ったことをそのまま述べることにもなるのだった。
「僕のことを知ってるみたいだけど、君の名前は?」
「名前……そうね。あってないようなものだけど、アピセリアと名乗っておく……。あなた、なぜヘキサ・シンをなくしたの?」
アネスはテーブルを挟んでアピセリアの前に座り、
「会っていきなりそんなことを聞かれるのも今までなかったな……。そんなことを聞いて一体何になるんだい? それに何で僕のヘキサ・シンがないことを?」
「あなたに興味があるから」
「興味?」アネスは首を傾げた。他人に興味を持たれるのは、踏み入れたくないことでないかぎり、嫌な気分ではない。しかし、そもそも人であるかどうかさえわからないこの人物に、自身の失態から損失してしまったヘキサ・シンのことで、繋がりを持とうとする理由がわからなかった。
――嘘でごまかそうか……。いや、もとより、初対面で僕のヘキサ・シンがないことを見抜けたのなら、結構な手練の人物である可能性もある、か……。
思考に及ぶが、そこでアピセリアはこう言った。
「あなたのヘキサ・シンを取り戻す手伝いをしたいと思ったの。もし私が信じられないのならそれでもいいわ。でも、あなたのヘキサ・シンがないことは学校でも有名でしょ? だからこうして、あなたを待っていたのよ」
「それなら、ちょっと安心したかな。でも君を不審に感じる余地が完全に消えたわけではないよ。僕のヘキサ・シンを失くしたことを知ったって、少しも君の利益にはならないし。それを踏まえて知りたいのなら、少しヤケになって話すよ」
アピセリアはクスリと笑い、
「あらそう。でも人を助けるのに理由なんてなくたっていいじゃない」
それは……、とアネスは言葉に詰まった。アピセリアの言うとおりにも思え、小さく咳払いをして、経緯を打ち明けた。
「何がきっかけだったのかはわからない。ただ言えるのは、友人を鋼鉄の森に忍び込もうと誘って、その人を行方不明にさせてしまったことだ。それ以降、リリースができなくなってしまったんだけど、その友人がつい先日戻ってきて、僕のヘキサ・シンも戻ると思っていた……でも……」
アピセリアがアネスの代わりにこう続けた。
「戻らなかったのね……。罪の意識やら、良心の呵責やら、後悔、絶望……。それらがあなたを悩ませてきた……でも、解決できた問題もあるみたいね」
アネスはココーネの顔を思い出し、そうだね、と答えた。
アピセリアは、じゃあ次は私の番ね、と前置き、
「私は私のことを詳しくは知らない。なぜこんな色をして、学校を彷徨っているのかも。ただ、私は思い出というものを大事にしている。大事にするあまり、こんな寂しげな色になってしまったのではないかと思っているわ」
言ってアピセリアは自分の体を見下ろして、くまなく見つめているようだった。セピア色とも言えるアピセリアの色は、確かに色褪せてしまった思い出の断片のようだ。
「アピセリアって、あまり自分のことをわかってないみたいだね……」
「自分でも自分が何者かわからないというのは、誰にもあるものじゃないかしら? アネスは自分がなぜ生まれてきたのかわかる?」
アネスは、はっと胸を突かれた気がした。
「それも、そうか……。そうだよな……。なぜ僕は……」
「大人になるにつれ、楽しかった昔の記憶が薄れるというし、覚えていなくてもいいことを覚えている場合もある。なぜ自分は生まれてきたのか……。そんなこと考えなくてもいいのに、人は考えてしまう。理由が見つからなくても欲望は出てくるし、時間は過ぎていく。それは成長するという意味でもあるし、死へと向かっているということでもある……」
「考えなくても生きていけるってことか……。でも僕は、自分の現状をどうにかしたいと考えているよ。アピセリアの考え方は、突き放したような見方もできるけど、納得がいく見方なのも確かだと思う。ありがとう」
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