第三章 信じるに値するもの②
薄暮の空に鳥の群れが飛んでいる。
放課後になり、ヘキサート学校のある山間から坂を降り、バス停でジスードとバスを待っていると、アネスはぼうっと野鳥の飛ぶ姿を目にしていた。
ジスードと一緒にヘキサ・シンの研究者のところへ足を運んでいた最中だった。
田舎の様相から徐々に都会の趣へと変わっていき、やがて石畳の道と高層ビル群が見えてきた。
リクシリア国、首都オンリーアの町並みだ。
降車してからジスードの案内でしばらく歩いた。角を曲がったところで石造りの集合住宅が等間隔で並立した一画へと変化した。
首都にしては人気の少ない路地裏にある縦長の家屋に、アネスはジスードと入っていく。
「ここが例の研究者の?」
「そうさ」アネスの問いに前を行くジスードは頷いて見せ、
「クルイザ・ドーンバクラツという名の人でね。ヘキサ・シンのことについて長らく研究をしている……。出身は私たちと同じリクシリア校だ」
二人は、階段を上がりつつ話した。ジスードは続ける。
「君のことを話したら興味を持ってくださってね。いやなに、私もクルイザ先生とは親同士の付き合いで知った仲だ。私は君を高く評価している。剣術の授業の時、君に思いっきり負かされてから、私のこれまでの常識が覆ったんだ」
アネスは前にもジスードからその話を聞いていた。
ジスードの言う常識とは、高貴な家柄や高位の職に就く親の下に生まれた、幼い頃から英才教育を受けてきたことや、立場的なことだ。覆したというのは、そういった立ち位置からの優遇などを度外視した、アネスの天賦の才というものだろう。
それをアネスの口から言うことは、ジスードのプライドに障るような気がし、はばかられなければならないことだった。
ジスードは階段を一段一段踏みしめながら、
「それが私の学校での生活の潤滑油となった。家柄や職位による厚待遇というものに頼らず、己の才能を突き詰めていく……。俄然面白いと思ったし、未だそんな古い考えを持つ者を馬鹿げているとも思った。そう、君は私にとって英雄なのだ。だから私にできることはないかと模索し、クルイザ先生に行き着いたというわけだ」
そこまで言われてしまうと、言うに言えないことがあろうとアネスも当惑するほかない。アネスは恐る恐る感謝しつつ、
「ありがとう。でも、何というかそれは、買い被り過ぎのような気がするんだけどな……」
階段を上りきり、ジスードは目の前にあった扉をノックした。
中から声がし、ジスードは扉を開けた。
研究者の自宅というものがどういったものかはアネスにはわかりかねた。殺風景と言うのが第一印象のクルイザの部屋には、研究者という肩書きから書棚や山積みになった資料などが床や机に散乱しているという先入観があったのだが、細面な五十歳前後の男性が、部屋の奥の机に座り、煙草をくゆらせているだけだった。
クルイザは、ぼさぼさの白髪交じりの頭を、アネスの顔を見るや、着ていた白衣の胸ポケットから取り出した櫛で、素早く後ろへ纏めた。
「クルイザ先生、例の彼をお連れしました……」
ジスードが言うとクルイザは立ち上がって、アネスに近寄り、にかっとヤニのついた歯を見せて笑った。
「君かね? ヘキサ・シンを喪失したというのは?」
は、はい、と遠慮がちにアネスは返答した。
クルイザは折り畳んであった椅子を速やかに置き、ジスードとアネスを座らせた。
そして入室したばかりの時のようにクルイザは部屋の奥の机に腰かけた。
「私がクルイザだ。よろしく」
「よろしくお願いいたします」アネスは軽く会釈した。
「まあ、さほど時間は取らせない。お茶を飲み終える頃には、帰宅の途についているよ。……ジスードくん」クルイザはジスードの方へ目を向け、「三人分のお茶を用意したまえ」
カップに注がれた緑色の飲み物を少しずつすすりながら、クルイザの話に耳を傾けた。
アネスが現状を伝えることもなく、クルイザが滞りなくヘキサ・シンの回復にまつわる話をしだしたのには、時間的な配慮を感じた。
「我々が拝む六つの力をヘキサ・シン、それを操る術をヘキサート、その術者をヘキサージェンと呼ぶ……、まあ常識的なことだし、アネスくんも十分知っていることだろう」
基本的なことを確認するのが、話の導入だった。ヘキサ・シンという一般的な知識から、徐々に詳細なことへと話を持っていこうとしているようだ。
「ヘキサ・シンそのものがなくなったという話は、過去にいくつか事例がある」
クルイザは目をすがめて、煙草を挟んだ指の先をアネスへ向けた。
「この部屋に入った時、君は違和感を抱いたはずだ。何せ書棚も本もないんだからね。大丈夫。全てこの頭の中に入っている」
白い煙を吹かし、灰皿に吸い殻を埋めつつ、自分の頭を親指で差し、クルイザは続けた。
「エンブールドは、七つの国の集まりだ。千年も前に移住者たちによって築かれた国々が争いを経て手を取り合うようになったが、とりわけヘキサート発祥地であるリクシリア国は、七つの国を束ねるだけの力があり、ヘキサートを戦争に活用したために一時期はリクシリア国が世を統べていた。ヘキサ・シンという六つの超自然的な力があったからこそだが、ヘキサートは先住民により授けられた術だ。友好的だった先住民は、ヘキサージェンの始祖、ジョクス様へそれを伝授し、ジョクス様がヘキサ・シンの教えを広めようとした時、考え方の違いから二つに分裂した。それが〈オクタージェン〉という邪悪な術者だった。大陸の北半分の土地、鋼鉄の森のどこかに根城を張り、エンブールドの民を襲うようになる。オクタージェンとの戦いは長きによ渡って繰り広げられてきたが、ヘキサージェン、オクタージェンには、元となる力の存在があった」
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