第二章 アネスの償い①
ジスードたちとは別れ、朝食後アネスは登校した。
一番乗りの教室は三階にあり、静寂に包まれている。教室の奥の窓からは快晴で差し込む日差しがまぶしい。
アネスはここ半年ほど、朝早くから学校に来ては清掃をするようになった。といっても、机を移動させることなどはせず、机と机の間や椅子の下などを黒板側から掃いていく感じだ。
ヘキサート学校は、初等部、中等部、高等部、学生部の四つの学年に三つのクラスが存在する。
成績が常に上位だと〝クラスワン〟に属し、それ以下の成績だと〝クラスツー〟か〝クラススリー〟への配属となる。
クラススリーがアネスのいるクラスだ。アネスは集めたゴミを捨てたあと、隣のクラスツーの教室の戸から顔を覗き込ませ、日直の生徒の名が記載されている黒板を目視する。クラスツーの席は半分近く埋まっていた。
天辺と底辺に挟まれたクラスツーでは、三つのクラスの中で競争が最も激しい。早朝にもかかわらず生徒の数が多いのもそれが理由で、机に向かって自習をする生徒が目立つ。ここにいない生徒はグラウンドでの実技訓練に勤しんでいることだろう。
近くにいた生徒の一人に日直の存在の有無を尋ねるが、教科書を片手に「まだ来てない」と言うので、先手必勝、黒板の表面を黒板消しで綺麗にする。
それを今度はクラスワンの教室で行おうと室内に入る。クラスツーよりもどこか上品な趣がクラスワンにはあった。お香でも焚いているのか、華やかな香りが漂い、それぞれの椅子にはクッションが置かれている。中には席の下にラグやマットなどを敷いてある席もあった。
黒板に目をやると日直の名はなく、教員の姿があった。教室内に生徒の影はない。
「アネスくんか……。また今日も朝から罪滅ぼしかい?」
「すみません。先生の仕事を横取りするようで……」アネスは軽く頭を下げた。教員は苦笑し、
「いやいや……。君は自分のことをしっかりと見極めているようだね」
「それ相応のことをしたからですよ……」
「自分が悪いと思わない人の方が多いものだよ。優秀な者が金持ちになるのはわかるが、金持ちだから優秀かというと食い違いがありそうだ」
教員は小さく笑い、
「前に保護者と話したことがあってね。気位の高い親御さんたちに、学校の制度がおかしいんじゃないかと詰め寄られたんだ。クラスワンの一部の生徒には生徒という呼び方はふさわしくないんじゃないかとね……。呼び捨てではなく『さん』付けで呼べと。しかしそうなると他の保護者が、『では私の息子も、娘も……』となる。彼らはどこまでも自分たちを特別な何かと思っているようだ。でも、仮に生徒と呼べたとしても、教員が強く意見を言うのははばかれる。やんわりと言うと見ての通り……」
その教員は黒板消しで黒板を掃除していたのだ。教室内に漂う香りもこの教員によるものだろう。
「それでもまだ理事長が食い止めた上での有り様だからね。まだましな方かもしれない。こういうことを生徒にもやってもらうのも教育の一貫なんだが……。それじゃあ、君には悪いけど」
教員は黒板消しをアネスに渡すと、いそいそと教室を出ていった。
クラスワンで床の掃き掃除や、机の掃除をすることはある危険が伴う。
アネスがクラスワンにいた時もいつも見慣れた光景だったが、生徒一人ひとりの机は、学校で用意された備品ではなく、身内で用意されたものだった。
それは虚栄心が顔を覗かせているようでもあった。
高級な机や椅子を用意し、格式高い家柄や高位の職に就いていることを子供を利用し見せびらかす――。
誤って傷でもつければ、弁償もあり得るだろう。腕っぷしだけでのしあがってきたアネスには高くつく。
クラスワンで黒板の掃除だけを済ませた後、アネスは逃げるようにクラスツーの教室に行き、日直の生徒を待つために、少し時間を見計らった。
数分後に近くにいた生徒が「来たみたいだよ」と言うので、入ってきたその生徒に声をかける。
「今朝は、何か手伝えることは?」
「確か、三クラスで別々の小テストがあるらしいから、その紙を取りに行く感じ?」
アクセサリーを耳や首につけた女子生徒は、長い髪を手でいじりながら言う。
「じゃあ僕が取りに行くってことで!」
アネスは気前良く片手を挙げて、職員室へと向かった。
クラスツーの教室に残された生徒たちはアネスを話題のたねにする。
「今日も償いが始まったね」
「いつも頑張ってるけど……」
「だからといってそれで罪が帳消しになるとは限らないけどねえ……」
嘲るような笑い声は廊下を行くアネスの耳には届かなかった。
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