第一章 回復への兆し②

「ココーネ・ユフィリス……」

 ジスードの口から出た名前にアネスは瞠目した。

「彼女の存在が、君に重石を乗せているんじゃないかな?」

 いや……、とアネスは軽く頭を振った。

「重石なんてことはないし……そう思っちゃいけないんだって僕は考えているんだ」

 立って話すのも何だろうと、寮区画の中庭にある池の縁石に、ジスードと座った。

 少し離れた場所では、ゴンダがミュールを肩車し、カナリがゴンダの脂肪のついた腹に向かって拳を何回も寸止めしたりなどして遊んでいた。

「いやあ……生や死というものに関してとやかく言うほど私も博識ではないが……。ヘキサ・シンの教義で言えば、生まれ変わるというのが真理だそうだ。まあだからと言って、君の失った心の隙間を埋めることは難しいし、そもそも彼女が亡くなったというのはいささか信じがたい」

「ジスードも知ってるだろ? あれは僕とノイルたちとで犯した過ちだってことを……」

「裏山に誘ったんだってね……。この学校からは少し距離があるが、警備の隙をつき、君たちを『鋼鉄の森』への侵入を許してしまった……。ヘキサージェンの見張りは何をやっていたんだとか、『ヘル・マ』の巣窟とされる森へなぜ入ろうと思ったのかとか……。一年前のその時、様々な声を耳にした。なぜ危険を犯してまで森へ入ったか、そこは私も気になっていたところでね……」

 〝ヘル・マ〟とは、大陸の南半分を占めるエンブールドとは鉄の壁で隔てた北側にある森林地帯、〝鋼鉄の森〟に生息する異形の獣たちのことを言う。

「ただの力試し、運試しだよ……。当時の僕たちの選択は無謀で稚拙で愚かだった」

「しかし、多くの生徒は君がなぜノイルと同じ罰せられ方ではないかと、疑問に思っている者もいるようだが……」

「僕は色々な目で見られるから、ジスードが言うような人たちの気持ちも正直、わからないわけじゃないさ。ダイガン先生と相談してこうなった。個別の訓練を羨ましがる人もいるけど、罪の看板をかざして人前に出て、色々言われることが罪滅ぼしだと……」

「ダイガン先生がそうしろと?」ジスードの目が丸くなる。

「いや、僕が勝手に決めたことさ。自分が被る様々な嫌なことを、ココーネの命と引き換えにする……。ダイガン先生に話してみたら当然、怒られたよ。あの人にとっては、僕やレザークの罪滅ぼしは奉仕活動で決着がついてるってことだからね……」

「なるほど。なら、もう全てノイルのせいにしてしまうというのは? 森に立ち入るほどの立場でもない君たちが、そこへ侵入できたのも、ノイルと彼の後ろにいる何者かが手を貸したと、そんな噂を聞いたこともある」

「僕自身、ノイルのせいにすることはできないと思ってる。口車に乗せられて、ココーネやレザークたちを誘ったのも僕だったわけだし……」

「自己犠牲、か。君のそれが早いうちに結果を出せればいいんだが」

「時々思うよ。ここまでやって、ココーネが死んでいたら、僕はどうなるんだろうって……」

 ジスードは溜め息をつきながら、胸の前で腕を組んだ。アネスの話に困惑しているからこそのため息か。アネスは多少、申し訳ない気持ちになった。

「今の話を聞いていると、十分反省しているように見えるが?」

「いや……結局、その時ココーネがヘル・マに連れ去られて以来、僕はリリースができなくなった……。お陰で陰口が日課の連中にはいい材料になってる……。あれ以来、僕には大きな課題ができた。ヘキサ・シンを取り戻すっていうね……」

「しかし月間の試合には出られていたじゃないか? それもダイガン先生の特訓なのか?」

「リリースの練習になるからってことなんだ……。僕だって最初は嫌だった。でもやらないよりはマシな気がしたんだ」

「君は気づいていたかい? リリースをせずとも、レザークくんに攻撃の隙を与えなかった。ヘキサ・シンを失ったという割には高度な技を持っているようだが……」

「相手がレザークだったからね。動きを読めるんだ。だから少し優勢だった」

「少し、ねえ」

 ジスードは苦笑して見せた。

 アネスとしても嘘は微塵もついていない。

 学校の一生徒がヘル・マによって連れ去られたというのは校内でも周知の出来事だった。

 森探索の発案者であるノイルという男子とは、剣の巧みさを向上させるために、知り合う形となった。アネスも成績がよかったために、学校での生活に油断が生じていた。アネスとレザークは事件後、リクシリア国内の寺院の清掃や、農家の手伝いなどをし、ココーネの両親には謝罪の文をしたためた。アネスとレザークは以前のように会話をしなくなったものの、家柄のいいレザークには、ほとぼりがさめた頃合いで再び取り巻きができた。

「私は君を高く買っている。事件から半年以上経って、君も変わってきているそうじゃないか」

「人に尽くそうと思って……。それが償いになるかわからないけれど、今はそう信じてやるしかないかなって」

「そう、その意気がいい。私は立派だと思う。そこでだ。君に提案がある」

 提案? アネスは軽く首を傾いだ。

「私はある情報筋からヘキサ・シンの喪失について研究をしているという人物を教えてもらってね。どうだろう。その人物から話を聞き、君のヘキサ・シンを取り戻すのに一石を投じるというのは……」

 悪い話ではないと、アネスは思った。

 学年が同じでも、素行の悪い輩は大勢いるし、自分がその害を被る場合もある。しかし四士会という品行方正な人物たち――とりわけ会長という立場の人間からそれなりの評価を受け、手をさしのべようとしてくれている。

 アネスはジスードの提案を飲むことにした。



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