第20話 遥香の恋愛 ①
寒さが和らぎ、ピンクや白の鮮やかな梅の花が咲き乱れる頃、
「重岡先生とお付き合いはじめたの〜」
と、同期の岡田遥香が私に向かって言い出した。
黒々とした髪の毛を綺麗に後にまとめた遥香は、左目の下に泣きぼくろがある色っぽい美人であり、同じ歳とは思えない色香漂う佇まいから、寝たきりではない男性患者さんから物凄い人気がある看護師だ。
我が病棟の医師からも、飲みに行こうだの、食事に行こうだの、遊びに行こうだの、散々声をかけられているというのに、
「おやすみが合えばいいですねー〜―」
と言って、たとえ誘ってきた医師と自分のお休みが合っていたとしても、一切の誘いには乗ろうとはしない。
それは何故かといえば、高校の時から交際している恋人が遥香にはいたからなんだそうです。職業柄、休日が合わず、すれ違いが続き、そうして長年交際していた恋人と別れる事になった時に、優しく慰めてくれたのが重岡医師だったんだって!
脳外科病棟という掃き溜めに生まれた鶴とも言われる遥香だけれども(みんな忙しすぎてイライラギスギスしている中で、ほんわりとした雰囲気の癒し系遥香は目立つ存在だった)耳鼻科の医者と付き合い出したという事は、脳外科医師の間に大きな衝撃を与えたらしい。
「それでねー〜、準夜勤務中だけどー〜、今日は仕事が遅くなるって言っていたから、重岡先生に差し入れだけしてきてもいいー〜?」
準夜勤務中にはお互いに1時間の休憩を取ることが可能であり、夕食を食べたり、休憩室でちょっと仮眠をとったりなんて事はするのだけれど、
「ねえ!休憩時間の間に、ちょっと顔を出してくるだけだから〜!お願い〜―!」
大きな胸の前で両手を握り締めながら、遥香がお願いポーズをしてきたわけです。
四月から新人看護師が入ってくる事になるわけですし、新人同士の夜勤勤務が勤務表に組み込まれるようになっています。
お互い同期で気楽な夜勤となると思っていたのですが、まさかの途中離脱宣言ですか?
「Bグループで急変しそうな人とかいないんだよねぇ?」
「いない!いない!みんな容態が落ち着いているから大丈夫!」
「何かあったら呼び出しするけど」
「ちょっと差し入れしてくるだけだもん!すぐに帰ってくるって!」
「何かあればすぐに連絡するから帰ってきてよ!」
「わかった!わかった!大丈夫!大丈夫!」
そう答えて、遥香はナースステーションから出て行った。
時計は夜の九時をまわっているため、消灯時間をすぎている。廊下も病室も電気が消えてシンと静まりかえっているし、ナースステーションではモニター音だけが響いている。
確かに今日は落ち着いている。
「遥香でも恋には夢中になってしまうんだなぁー〜―」
そんな事を一人呟きながら、患者の病状を電子カルテに記入して、遥香の担当患者さんの痰も吸引してまわり、夜の十二時に交換予定の点滴の準備をしながら時計を見ると、夜の十時をまわっている。
「連絡をしなくちゃいけないんだろうか・・・」
どこがちょっと差し入れなんだ?
どこが、すぐに帰ってくるなんだ?
1時間経っても帰ってくる兆しがないんだけれど。
そうして1時間と5分が経過したところで、慌てた様子の遥香が処置室の方からナースステーションに飛び込んできた。
「ごめー〜ん!遅くなったー〜!」
「おい」
「なになに?私の方の患者さんで急変起こっちゃったあ?」
「違うだろ」
流石に私だってキレる事はあるんです。
紅潮しきっと頬、皺のよったナース服、乱れた髪の毛、匂ってくる甘い鼻をつく匂い。
「明らかに事後でしょ?」
「え?」
「しかもシャワーすら浴びてない」
「えええー!なんでわかるのーー!」
病院内のモラルはどうなっているのかと思う話は多く耳にしてきたけど、まさか自分の夜勤勤務中に、こんな事案が発生するとは思わんかったわ。
「まさか・・うちの処置室で!」
「ないないないない!そんなわけないじゃなーー〜い!」
じゃあどこでやってきたんだ?
「いや、もうこれ以上聞きたくない」
私は自分の耳を閉じ、両目を瞑った。
「私の方の患者さんの体位変換は済んでるし、痰だけは遥香の患者さんも吸引しておいたから、後はよろしく、私も休憩に入ってくるわ」
「わかった!休憩に行ってらっしゃ〜い!」
両手でブンブン手を振る遥香に見送られながら、休憩室へと移動すると、ソファーに身を投げだしながら、大きなため息を吐き出した。
私を唯一気にかけてくれる渡辺先輩は『泌尿器科』『産婦人科』『整形外科』の医者とだけは付き合うなと言っていた。
なんでもシモがゆるすぎて、モラルもへったくれもない人種が多い科のため、要注意なんだって言っていたけれど(泌尿器・産婦人科は、場所も場所だけにそうなんだって感じで納得できるんだけど、なんで整形外科も入るんだろうな〜、まあ、あくまで個人の意見です〜って感じなんだろうけども)『耳鼻科』は果たしてどうだろうか。
耳鼻科の重岡章太医師、30歳、独身だったよなー〜。
仕事中の新人看護師呼び出して、勤務中にもかかわらずコトに至ってしまうような 男か、うーーーん、人生経験少なすぎて私にはわからん・・・
「宮脇―〜、702号室の患者さんなんだけどー〜」
私にも休憩時間は必要なんだけどな。
「どうしたのーー〜?」
休憩室から顔を出して問いかけると、
「痰が絡んでいたから取っておいたー〜」
と、遥香が答えた。
私も仕事をやっていますアピールか?実にどうでもいいわ。
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夜勤中に休憩時間を利用して職場から抜けて、お医者さんとしっぽり。私が聞いた話では外来の診察室で、
「お腹の方を見るので、そこに寝ていただけますか〜」
と言って寝かせられる、あの診察ベッドを利用して・・と言う話は、うん十年前に聞きましたとも。病院のモラルよ一体!っていうお話でした〜。
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