第15話  風が吹く ②

 今日の準夜勤務の看護師さんには、ナースコール事件から、私の事をちょっとは気にかけてくれるようになった先輩看護師の渡辺さんで、

「今日、日勤で三人もお亡くなりになったんでしょ〜?本当にお疲れ様――〜!」

 と言って、シュークリームを差し入れしてくれました。


「一応、宮脇さんに注意しておくけど、あなたが今持っている『新人の勘』をとにかく信じなさい」

「え?新人の勘ですか?」


「長く勤めているとだんだん無くなってくるものなんだけど、最初の頃は持っている研ぎ澄まされたものなのよ」

 言っている意味がわかりません。


「とにかく、患者さんの様子を見て、これはなんだかおかしい気がする、急変するような気がする、この『気がする』を大事にして、もしも『なんだかやばい〜』と思うようなら、何はなくとも救急カート、包交車、除細動機を廊下に用意しなさい」

 渡辺さんは至極真面目な顔で、

「そうするとね、何故だか分からないけれど、自分の受け持ち時間に急変が起きる事が少なくなるのよ」

と、言いました。


 なんか・・願掛けみたいなものなんですかね?


 自分の担当時間、特に深夜勤務や準夜勤務は一人で二十人を受け持たなければならないので、願掛けでも、験担ぎでもなんでも、災いが退けられるのなら、救急カートでも、包交車でも、除細動機でも、余裕で廊下に準備いたしますとも。


 本日、私と一緒に深夜勤務に入っているのは副師長さんで、ナースステーションで向かい合って椅子に座っている時に、

「渡部さん、宮脇さんに対して随分と親切なのねー〜」

 と、ちょっと感心したような様子で声をかけてきました。


「はい、渡辺先輩とはよく夜勤に入ったりするんですけど、尿プールの掃除をした時から特に!気にかけてくださっているように思います」


「尿プール?なにそれ一体?」

「実は先輩が準夜勤の時に、観察室で尿のバケツをひっくり返した事があって、深夜勤務の私がその尿の泉をモップで綺麗にした事があったんです」


 あの時は本当に片付けが大変でした。

 観察室では二度と尿バケツはひっくり返さないでもらいたいものです。


 すると副婦長さんは、ちょっと顔を青ざめさせながら、

「ああ、あの、ちょっとホラーが過ぎる期間に起きたアレよね・・・」

 と、言いました。


 日勤中に三人もお亡くなりになっているという事もあった為、嵐が過ぎ去ったという事でしょうか。準夜も深夜もとても落ち着いており、患者さんが急変するという事態が起こる事なく日勤のチームリーダ―さんに申し送りが出来そうです。


「宮脇さん、今日はすっごく落ち着いているわね?」

 大部屋を見回ってきた副婦長さんが満面の笑みで私に声をかけてきました。


「本当ですよ、もしかしてこれで嵐が去ったという事になるといいんですけど」

 観察室や個室の患者さんを見回りながら痰の吸引をしてナースステーションに戻ってきた私がほっとため息をつくと、

「ひぃいいいいいいいいいいいいいっ」

 副婦長さんがなんとも言えない声を発しながら、後ろに3歩、後ずさります。


「はい?」


 ナースステーションは、大部屋側、観察室側、エレベーター側、処置室側から出入り出来るようになっていたのですが、副婦長さんは大部屋側から、私は処置室側からナースステーションに戻ってきました。


 ちょうど二人の間にはエレベーター側の出入り口があるのですが、ホワイトボードが掛けられた壁の下側にあるフックには、紐をつけた貸し出しノートがかけられています。このノートが、ありえないくらいにグラングラン、グラン、グランと半円を描くように揺れているのです。


「え・・・え・・・」

「嘘でしょおおお!誰も歩いていないわよぉおお!」

「か・・風・・風が吹いているとか?」

「そこだけ空調が強くなっているとかないでしょ!テーブルの上の書類はピクリとも動いていないのよ!」 


 ピコーンピコーンピピピッピピピッと鳴り響くモニター音、物音一つ響かない病棟、グラングラン揺れ続ける一冊のノート。

 結局どうなったかというと、

「私、二度と宮脇さんとは夜勤につきたくないですーーー!」

 と、副師長さんが師長さんに泣きついたそうです。

 幽霊ノートと私は関係ないのに!理不尽!


 ちなみに後日談みたいな形となりますが、その日から、患者さんが次々と亡くなるような事はなくなりました。重症者の数が減ったという事もあるのでしょうが、

「風がようやっと止まったのね〜」

 と、先輩看護師さんたちが言っていて、みんなに余裕がうまれました。




     *************************



 このノートゆらゆら事件は、私が実際に体験したこれぞ霊体験な霊体験なんですけれども、あのノートが揺れてから、患者さんが亡くなるのがピタリと止まった(たまたまかもしれないけれども)んですよね。本当に、誰も歩いていないのに、ノートはグラングラン揺れておりましたとも。


 悲しいかな驚いたのは一瞬のことで、すぐに仕事に戻ったんですけどね。

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