第14話  風が吹く ①

 『風を詠む』とかそんなんじゃないんです。

 『風が吹く』ってみんなが言うんです。


「宮脇さん!家族が来たら死後の処置に入ってくれる?」

「え?またですか?」

「今日で三人目よ!患者さんが移動したらすぐにICUから患者さんを入れる事になっているから!霊安室までの移動までお願いね!」

「はい!わかりました!」

「宮脇さん!観察室の後藤さんを704号室に移動するから手伝ってくれる!」

「はい!わかりました!」


 家族が来たらお亡くなりになった患者さんの死亡診断をする事になるので、それまでの間に他の患者さんのベッド移動をする事にしましょう。


 先輩たちがベッドに乗せたままの患者さんを一般病室へと移動して、私と師長さんは床頭台の荷物一式をテーブルの上に乗せて運んでいく事になったのですが、移動中にテーブルの上に乗せていた鏡がパタリと倒れました。


「このグズ!何をしているの!あなたって本当に看護師に向いてないわね!看護師失格なんじゃないの!」


 怒り心頭の師長さんは真っ赤な顔で、唾を吐き飛ばしながら言いました。

 えええーー〜、鏡がパタリと倒れただけでそこまで言うかーー〜?

 確かに、鏡は立てたまま置かずに横に伏せた状態で置いた方が良かったかもしれないけど、床に落ちたわけでなし、壊れたわけもないのにそこまで言うか?


 理不尽・・・とは思いますけども、先輩看護師のヘイト値現在も最高値更新中なので、師長さんのヘイト値も天井知らずとなっているのでしょう。自分の所為で十二人ものオペ室勤務の看護師が辞めたという過去があるだけに、いくら看護師に向いてない!看護師失格よ!と言っても『辞めなさい!』とは言わないんだよね〜。


「宮脇―〜、また師長さんに叱られていたみたいじゃー〜ん」


 ぬるま湯に漂白剤を少し入れたバケツを運んでいた同期の横山理奈が声をかけてきました。右手にバケツ、左手に死後の処置セット、つまりは理奈もまた、私と同じように死後の処置を押し付けられたのでしょう。


「ベッドの移動中に鏡がパタンと倒れたら、クズだの、看護師に向いてないだの、なんだのかんだの言われたわけ」

「はあ?マジなのそれ?」


 理奈は締め切られた扉を開けながら、

「師長さんって勤務表作るか、患者のベッドを決めるくらいの事しかしてないからさ、嵐のように忙しい今の状況で自分も率先して働かないといけないからイライラしているだけでしょう?当たれるのって新人くらいしかいないじゃない?それに宮脇はあたりやすいキャラしているしさ」

 私の方を振り返ってニヤリと笑う。


 あたりやすいキャラって一体どんなキャラなんだろう、出来れば、そんなキャラクター改変したいと思うんだけど。


「それにしても、ホテルから搬送続きの十一月が終わったと思ったら十二月がこんなに脳出血フィーバーで、こんなに忙しくなるとは思わなかったんだけど」


「寒さも厳しくなって、脳血管ブチギレる人が続出って事でしょう?出血範囲広い、出血場所が悪い、しかも超高齢で、死ぬ人が多いし、死んだ人が移動したら、次から次へとICUから患者さんが上がってくるし」


「エンドレスすぎなー〜い?今、人工呼吸器7台だよ〜、気管切開患者何人だっけ〜」

 痰を吸引機で取らないと死んじゃう人ばっかりって状態です、それなのに、急変、急変で、大変すぎですわ〜。


「きっかけは、観察室の倉田さんだよね?」

「やっぱりそう思う?」

「そう思うでしょう!」


 観察室にいた倉田さんが亡くなった。

 くも膜下出血で入院していた患者さんだったのだけど、急に痰が多くなり、肺炎が憎悪して、あっという前にお亡くなりになってしまった。年齢は91歳だし、延命処置を家族は望まないって言うし、家族に電話をして、死亡診断をすることになったわけです。


 そしてその次の日も、観察室にいた患者さんがお亡くなりになりました。

 いつ亡くなってもおかしくない状態だったので、まあ、そんなこともあるかな〜みたいな感じだったんだけど、更に翌日、個室に入院中の患者さんが亡くなると、先輩たちは顔を見合わせながら、

「風が吹いているわ・・・」

 と言い出したのです。


 昔から、親族が一人亡くなったら、他の親族も次々亡くなる、なんて事象が発生した時に『風が吹いている』なんて表現することがあるそうです。病棟の場合もまったく同じで、一人お亡くなりになった後に、それに引っ張られるようにして亡くなっていく事って意外に多かったりするみたいなんですね。


 それで今年初の風が吹いたわけなんですけども、その風はピューッと吹いてはい終わり、ではなくて、ピューからビュー、ビューからの暴風雨、嵐状態。なまけもの師長さんが椅子から立ち上がって、ベッド移動やシーツ交換を手伝うほどの混沌具合。


 今日は朝から3人が亡くなったわけですから(私の担当患者さんが亡くなったわけではない。ふー〜)夕方六時を過ぎても無茶苦茶忙しいです。


 ドラマとかで患者さんがお亡くなりになると、ベッド周りに家族が集まって、

「おじいちゃん、今までありがとう・・・」

 涙を流して、それを見守っていた看護師さんも、ハンカチで自分の涙をちょっと拭うみたいな演出されていますけど、今のうちの病棟じゃあ、それは無理なんです。


 人工呼吸器7台、気管切開患者十二人、挿管患者八人、自分の涙をぬぐっている時間があったら、痰の吸引にまわりたいんです。


 痰が詰まったら死んじゃいますからね、患者さんを死なせるわけにはいかないんです。


『死後の処置』とは、お亡くなりになった患者さんに対する処置の事で、どんな人でも死ぬと筋肉が弛緩して、穴という穴から色々なものが漏れ出てしまうので、穴という穴に二種類の綿を詰め込む作業をして行きます。


 肛門には青梅綿という綿を詰めた後に真綿を詰めるのですが、鼻とか耳なんかはそれほど詰め込むことが出来ないので真綿だけ詰め込みます。口からも割り箸でぐいぐい押して綿を詰めるので『死んだと思っていたのに実は生きていた!』なんて現象は発生しないと思います。だって綿詰め込み過ぎて息出来ないですから。

 まあ、瞳孔も散大しているし、呼吸も脈も完全に止まっているので、後から生きていました〜なんて無理だとは思うのですが。


 体をきれいに拭いて、新しいオムツ、家族が用意した新しい寝衣を着せていきます。若々しく見えるように入れ歯は絶対に忘れず入れるようにする事と、口が自然と開いちゃっている場合が多いので、唇の下に綿などを薄く入れて、口がしまるようにする。口をいかに自然に閉じさせるか、これは技術がいるので、なかなかやり甲斐のある仕事です。


「うん、うまくいったね」

「うん、うん、綺麗になった」


 患者さんが亡くなって悲しい・・という感情よりも、入院疲れや病疲れがこびりついて見えた患者さんが綺麗な状態となって家族と対面することに、職人みたいなやり甲斐と誇りを感じているのは・・・えーーっと、これは正常な感覚なのでしょうか。


 一年目の私には判断つかないですけど、とにかくやるべき事をやっていくより仕方がありません。


「宮脇、もう上がっていいよ。後は私が霊安室まで連れて行くから」

「え?理奈?どうしたの?」

「あんた深夜勤務でしょ?このままズルズル働いていたら、休みなしで夜に働く事になるじゃない?」


「ああーー!そういえば私!日勤明けの深夜勤務だったーーー!」

「まだ患者さんの記録も済んでないでしょ?早くやってきちゃいなよ」

「でも、理奈、大丈夫なの?」


 理奈は霊感気質なので、地下にある霊安室まで患者を運んでいくのは大丈夫なのだろうか?途中で悪霊に襲われたとか言われても本当に困るんだけど?

「別に大丈夫っていうか・・今更じゃない?」

 今日で三人目の死亡確認、すでに色々と呪われているのかもしれない。




    *************************



 死後の処置は看護師が行うものなのですが(病院によっては違うのかな?わからないけれども)鼻の穴からいかに綿が見えないようにするか、いかに自然にパカッと開いた口を閉じさせるか。とにかく、生前の病疲れが見えないように綺麗にすることに一生懸命になりすぎて、ドラマのような、お亡くなりになって悲しい!ウルウルシクシクというよりも、やり切った!「ふ〜っ」みたいなことになるのは、お亡くなりなる人が多い病棟あるあるかもしれません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る