第13話 重い愛 ⑤
うちの病院は長方形の箱型をしており、ちょうど建物の真ん中にエレベーターが3基あります。そのエレベーターの右側が東病棟、左側が西病棟と分かれている形となります。
エレベーター前は自動販売機とかテーブルとか椅子が置かれた歓談スペースとなっており、両方の病棟の患者さんや家族が利用できるので、鶴野さんとその旦那さんを一番奥の窓側のスペースへと誘導。
「私は担当看護師の宮脇と申します」
一応、旦那さんには前もって説明は済んでいるんだけど、私が担当看護師だと忘れている可能性もあるので、そのように旦那様に再度説明。
「今日はご家族も含めておはな・・・」
「ごめんなさい!よっちゃん!本当にごめんなさい!」
鶴野さんは被せ気味で謝罪の言葉を発すると、頭を深く深く、膝に着くんじゃないかなあと思うほど深く下げた。
「私はよっちゃんの会社の社長さんに誘われて、ホテルに行って、その帰りに足元を滑らして頭を打って入院になっちゃったの!」
わー〜お、いきなり核心をついた話から始まっちゃうんですか。
「ようやっと会社に慣れてきたところだったのに、辞めさせるって、よっちゃんの事が使えないからやめさせるって社長さんが言い出して、職場の人は良い人たちだって聞いているし、せっかく楽しく働いているのに辞めさせられたら困るって思って、それでバカみたいについて行って、よっちゃんを裏切ることになっちゃったの」
マジすかそれーー〜。
「もう本当に、どうしたら良いのか分からなくって、あの時はもう死にたいって、この階段から落ちたら死ぬかなって思って、雨で濡れてたし、滑りやすかったし、わざと足を滑らせて落っこちたの。そうしたら全然死ねないし、救急車で運ばれちゃうし、手術して生き残っちゃうし、もうどうしたら良いのか分からなくて私・・・私・・・」
鶴野さんはポロポロと涙をこぼし始めた。
私は・・ハンカチは持っていないんだけど・・・床に落ちた『うんち』でも『おしっこ』でもさっと拭き取る事が可能なペーパータオルはエプロンのポケットに山ほど突っ込んでいるので、その紙タオルを鶴野さんに渡すと、
「宮脇さん、ありがとう」
と言って、顔を拭くにはゴワゴワで硬過ぎる紙タオルで涙を拭い始めた。
「やっちゃん、死ぬとかそんな事を言うのはやめてくれよ」
旦那さんは鶴野さんの手を握りしめると、自分の額に押し当てながら言い出した。
「やっちゃん、病院に入院していても、何かの拍子に自殺しちゃうんじゃないかなって心配で、心配で、夜に寝ている間でも心配しすぎて病院が出てくる夢ばっかり見るし」
浮気された嫉妬とかじゃなくて、自殺が心配で生き霊になっていたんですか?
「社長がわざわざ見舞いについてきた時に、やっちゃんの顔をみてようやく分かったんだ。やっちゃんあの時、死人みたいな顔をしていたよ?」
「ええ?そうだった?」
「今すぐ死んじゃいそうな、それで、ああ、この人が元凶だったんだって」
鶴野さんは顔をくちゃくちゃにしながら旦那さんの顔を見つめる。
「そもそも、俺が転職したのは社長の弟さんに誘われてだったんだけど、ようやっと社長の横領を明確にする証拠が手に入ったんだ」
はい?
「業務上横領罪や特別背任罪に問われることになって、社長は降ろされる事になったんだ。それで僕は忙しかったんだけど、まさか、その間にやっちゃんが手を出されるだなんて」
その話、私が聞いていても良いんでしょうか?
「だから、やっちゃんは安心して帰ってきていいんだよ?もう社長はいないし、そもそも僕の為だなんて、そんな事で自分を犠牲になんかしないで欲しい」
「よっちゃん、でも、私・・・帰れない」
「なんで?」
「だって私・・もう・・穢れているから・・・」
「何を言っているんだよ!やっちゃんは穢れてなんかいない!」
「でも!」
「やっちゃんは僕の唯一なんだよ!やっちゃんがいなかったら僕は死ぬよ!」
「よっちゃん!」
もう耐えられない。耐えられないですよ、私は。
「あのー〜、そろそろ仕事に戻っても大丈夫そうですかねぇーー〜」
「まあ!宮脇さん!ごめんなさい!恥ずかしいところをみせてしまったわ!」
「看護師さん!ごめんなさい!お仕事の邪魔をしてしまったようで!」
「いえいえー〜、全然大丈夫ですーー〜」
二人を置いてナースステーションへと戻った私は、椅子に座って頭を抱えていると、
「どうだった?なんとかなりそう?」
と、同期の横山理奈が問いかけてきた。
「う・・ん、とりあえず・・大丈夫だと思う」
不倫とか横領とか、告発とか、刑事事件とか、情報量が多すぎて頭の中がちっとも整理できないけど、とりあえず、あのご夫婦は大丈夫なんじゃないかな。
結局その後は、ベッドまわりに足跡が現れることもなくなり、ベッド下で怪奇現象も起こる事もなくなり、
「もう、モップも用意しなくても大丈夫なのねー〜」
と言って、先輩たちにも心なしか笑顔が増えてきたようにも思います。
こうしてよっちゃん・やっちゃん夫婦は無事に仲直りをして、明日には退院という日に私は深夜勤務につく事になりました。
やっちゃんのベッド周りをペンライトで照らしてみても、足跡なんかはありません。自殺しないか心配で、生き霊となって現れる熱意が凄いですよね。
あまりに妻への愛情が凄いので、
「私も結婚するならあんな人が良いかも〜」
と、理奈に言ったら、
「生き霊になって現れる旦那さんだよ?」
と、言われました。
うーーーーーん・・・・生き霊かあ・・・・
個室や観察室にいる患者さんは容態が急変しやすいので、もっとまめに見に行ったりするのですが、一般病室の見回りは基本的には1時間に1回です。
鶴野さんが居る病室を見て回った私は、男性患者が入院する四人部屋へと移動した訳なのですが、ペンライトを間接的にあてながら、思わず唾を飲み込みました。
シーツも布団も寝くずれているのは間違い無いんですが、ベッドの上に誰もいません。病室前のトイレの方を見ても、誰も入っているようには見えません。
頭の中に『脱走』の二文字が浮かび上がりました。
『始末書』の三文字も頭の中に浮かんできます。
故意に患者さんが逃げ出したとしても、全責任は夜勤についている看護師にかかってきます。何処に行ったんだろう、今は深夜三時、この時間帯に家に電話をするわけにはいかないし・・・
忍び寄る影、黒々とした塊がベッドの下から伸びてきて、私の足をグッと掴んで引き寄せる。
「はっ」
ペンライトを下に向けると、笑顔の吉村さんが私の顔を見上げています。
吉村さんはベッドの下で仰向けとなって寝ていて、手だけ伸ばして私の足首を掴んでいます。
「吉村さん!そんなところで寝ていたら風邪を引きますよーー〜早く出てきてー〜」
そういえば吉村さん、昨日は隣の病棟の処置室に勝手に潜り込んで寝ていたな。
吉村さんは何処に逃亡するか分からない。7階に居てくれるなら良いけど、この病院には8階もあれば6階もあって、5階も4階も3・2・1階もあるのだから。
「よっこいしょ」
ベッド下から出てきた吉村さんは52歳、交通事故で頭を打って、色々と分からなくなっている今日この頃。
脳外科病棟にはこういう方、結構多いです。
「居てくれて良かったー〜」
思わず吉村さんに布団をかけながら、安堵のため息を吐き出した。
やっぱり私は、生き霊よりも患者さんの逃亡の方が怖いかもしれないです。
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そんなところに寝ているのか・・は(良くないけれど)脳外科あるあるで、不倫の最中に頭の血管が切れて運ばれてくるのもあるあるです。
冬場は特に(高齢者であればあるほど)切れやすいので、心あたりのある方はご注意ください。申し送りで『ホテルに〇〇時間放置され・・』なんて言われるのは、本当の本当に恥ずいです。せめて、救急車だけは呼んで部屋から出て行って!と言っておきましょう。
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