第26話 哀しきケモノ二匹

「最近クロスが構ってくれません」


 コの字形に建てられた三つの寮、その真ん中に設置されたテラスで吾───エルフィーネは下ろした髪を耳に掛けながらグチる。


「何やら真剣な表情で忙しそうにしてますけど、それは主人を放っておいていい理由になるのでしょうか? いいえ、なりません」


 先日購入した『貪欲な犬とたくましい肉』という本を片手に、白いテーブルの上に置かれたお茶をいただく。一息つき、これまた白いイスの背もたれに身体を預けながらお茶菓子を口にする。


「モグモグ………この本にもあるように主人と従者の関係が良好になるのは、同じ時間をどれだけ共有しているかにかかっています」


 そうなのです。主人と従者の関係が良いものであればあるほど、日々の日常生活がそれに比例して良質なものへと成るのは、第三者から見ても当然のことなのです。


「現にクロスが何かミスをするたびに、吾の首などにあとを付けさせる罰を与えれば、格段に仕事が上達しました。若い情欲を発散させつつ、人を傷つけることを嫌う優しさを兼ね備えた彼にはちょうどよかったのです。それもこれも、吾という主人と時間を共有していたからこそ、クロスは成長できたと言っても過言ではありません。ええ、決して吾自身がキスマークを付けてほしいからという欲望から発生した罰ではないことをお忘れなきようお願いしますね?」


「知らないわよ………って、やっぱりアンタが無理矢理つけさせてたのね、あの痕」


 そう返事をしたのは、白い髪を頭の後ろで一本にまとめたレイチェル。テーブルに両ヒジをつきながら重ねた両手にアゴを乗せ、ストローで冷えたストロベリージュースを飲み、そして赤い目でこちらをジトっと見ていました。


「無理矢理ではありません、罰です」


「クロスが主人アンタの命令に逆らえるワケないじゃない。それに若い情欲ってゆうけど、一番持て余してんのアンタだかんね?」


 若干の呆れが混じったような声でそう言われてしまいました。まあ………何とひどいのでしょう、吾にそんなつもりは一切ないというのに。


「レイチェル、そういう貴女もクロスに噛み付いていたではないですか。こう、ガブガブとワンちゃんみたいに───ああ、最近はネコちゃんにジョブチェンジしたんでしたか?」


「ダァッ!! もう───ホンットにアンタっていい性格してるわね!?」


「フフフ、ありがとうございます」


「全ッ然、ホメてないわよっ!」


 彼女の噛みつきグセは置いといて、要はクロスといる時間が屋敷で生活していた頃よりも少なくなっているのが問題なのです。


「具体的に何が問題なのよ?」


「このままではクロスが危ないのです」


「危ない………? ちょっと待って、まさか誰かから命を狙われてるの!?」


 レイチェルは気づいていないのでしょうが、クロスの人気は意外にも高いのです。彼は誰にでも紳士的であり、能力が高いことを自慢するでもなく謙虚であることから、男女問わずモテる。


「いいえ、危ないというのはそういう意味ではありません。ただ───」


「………ただ、なによ?」


「クロスの貞操が危ない、という意味です」


「はぁ……? 貞操ぅ? なんでクロスの貞操が危ないのよ?」


 目の前の彼女は、どれほど彼が狙われているのか知らない。奴隷であれば少なからず主人に恐怖を抱いていることが普通です。それは仕事で失態をした罰か、もしくは主人の趣味で傷つけられるからです。


 本来であれば吾やレイチェルも、この忌まわしい魔力で無条件に怖がられているはずですが、奇跡的にもクロスには効果がないようで明るい笑顔を見せてくれます。他人と関わることが下手な吾たちですがそれでも優しく接していった結果、彼の裏表のない表情に全員やられてしまう。


「クロスは異常にモテます。特に、ちょっとアレな男子生徒からは「ドスケベなケツ」を持っている人間として認知されています」


「確かに噛みごたえが……コホン。あのケツは私のものよ、そんな男には渡さないわ」


「待ちなさい。貴女、今噛みごたえがどうのこうのと言いかけましたよね?」


「女子生徒からはどんな評価なの?」


 なんだか誤魔化されたような気がしますが、話が進まないのでこのままいきましょうか。


「後で訊くとして、女子生徒からは「あの明るい笑顔を曇らせたい」とのことです」


「人の執事に何考えてんのよ………まったく」


「噛みグセのある人が言いますか?」


「それを言うならアンタは盗撮魔でしょうが」


 お互い呆れた目で見つめ合う。失礼な、吾のやっていることは盗撮ではなく思い出の保存なのです。今まで食べたパンの枚数を人は覚えていられないように、何かに残しておかねば素晴らしい出来事でも全部を忘れないようにすることは不可能なのだから。


「ふぅ………話を戻して、以上のことからクロスの貞操が危ないのです。彼が奴隷という低い立場であることから、身分を楯に簡単に襲えると考えているのでしょうね」


「それで襲えるのなら私が先に襲ってるわよ」


 全くもって同感です。身分を楯に迫るなど、はしたないことこの上ないので実行する気にもなりませんし、何より彼はそんなことで折れるような性格ではない。


「つまりですね? もっと一緒にいる時間を長くとってクロスをベタ惚れさせれば、貞操を狙うような輩は出てこないということです」


「………えーと、すごい長い前フリだけど、ようはアンタが一緒にいられないから寂しいだけってコト?」


「違います。クロスが吾といられずに寂しがっているので、仕方なく一緒の時間を取ろうと思っているのです」


「なるほど、なるほど。エルフィーネ、アンタはまったく寂しくなくて、クロスが寂しいのね?」


 当たり前です。まったく何を言っているのか、レイチェルは的外れなことばかり妄想して、仕方のない子ですね。吾が寂しがっている? 否。吾のことが大好きなクロスを哀れに思い一緒にいてあげようという、主人としての優しさです。


「なら、私の目を隠さないでもう一度言ってくれるかしら?」


「寂しい、寂しくないは置いといて───」


「下手なはぐらし方ね………」


「少なくとも狙われないようにするためには、もっと一緒にいたほうがよろしいのです」


 何やら忙しなく動いているのは恐らく吾たちに関係することなのでしょう。彼のあの真剣な表情はシュヴァルツ家に招いた時、妹のアンジェの一件で見せたものと同じでした。裏切るどころか、吾たちのために真剣になってくれているという事実だけで顔が緩んでしまいます。流石は吾のことが大好きなクロスです。


「そうね、それには同意するわ───それにしてもクロスはヤバいわね」


「………ん? 何がヤバいのです?」


「色気よ、い•ろ•け! 一年前までは少ししか感じなかったのに、今じゃムンムンよ! ドスケベって言ったヤツの気持ちが分かるわ、あれは全身ドスケベでできたドスケベ人間よ」


 ドスケベ人間………確かにそうかも知れません。日に日に逞しくなっていく身体に大人びた雰囲気を醸し出していれば、そういった感想が出てくるでしょう。かく云う吾も、胸のボタンを弾き飛ばし地肌を露わにしたクロスを見た瞬間、誘っているのかと思ってしまいました。


「あのドスケベは人を惑わしますね………」


「下手な薬物より危険よ、クロスは」


 取り締まろうにも鎖に繋いでおくわけにもいかなければ、彼にもやるべき仕事があるため、せいぜいが身辺に気をつけるよう注意するだけですね。


「困りました………規制はできそうにありません」


「鎖に繋いでも引きちぎるし………ホント、優秀すぎるのも考えものよ」


 こんなに悩ましいのは久しぶりの感覚です。しかし、ドスケベを連呼し過ぎたのがイケなかったのか、若干悶々として気持ちになってしまいました。ふとレイチェルを見れば彼女も彼女で変な気分になってしまっているようです。そう考えていると突然、声がかけられました。


「今日はティアも誰もいないんだな?」


 ブラッド•リィ•モールガン王子に呼び出されていたドスケベ───もとい、クロスが帰ってきていたのです。吾たちは「お帰りなさい」と言おうとした、その瞬間───パンッと破裂音。


「おっとまた胸のボタンが………ん? 二人とも何だか雰囲気が怖く───」


「「じゅるり」」


 クロス、貴方は罪な人です。罪に必要なのは云うまでもなく罰です。これは貴方がドスケベな雰囲気を放ったせいで産まれた、哀しいケモノ二匹による罰なのです。


「え、ちょっ、二人とも───!?!?」


 大丈夫です、天井のシミを数えているうちに済ませますので。






◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

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いつも応援していただきありがとうございます!

それではまた次回でお会いしましょう。


                    研究所

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