第7話 シュヴァルツ公爵家(下)
「俺はこれから訓練の時間ですので失礼します」
「ええ、行ってらっしゃい」
俺がシュヴァルツ公爵家へ来て一週間が経過した。ヴァイス公爵家で生活していたように基礎教育と鍛錬、そして主人であるエル───エルフィーネの身の回りの世話をする日々が続いている。ただ一つ驚いたのは、彼女に妹がいたことだ。
妹の名前は【アンジェ•シュヴァルツ】。金色のフワフワした髪に新緑の眼が輝いている。口調は柔らかな印象を与え、そこらの男であれば微笑まれるだけで惚れそうな可愛らしさがある。
「ちょっと苦手なんだよな」
第一印象は悪くなかった。ただ、
「面倒ごとは勘弁してくれよ………」
そう願いながら訓練場へと向かうのだった。
▽▽▽▽▽
「アレは用意できた?」
「はっ。こちらになります」
「ふふ、ありがとう」
この私、アンジェの誘いを断るだなんてホントに馬鹿な
私が個人で持っている奴隷に街へと買い物に行かせた。なんて事はないただの睡眠薬なのだけれども、とあるモノと混ざれば魔力のコントロールが出来なくなる代物。流石にエルフィーネには効果が無かったが、ただの奴隷、それも人間にはよく効くもの。
「うんっ、もう下がっていいよ!」
「「はっ」」
エルフィーネ……私の姉にして怪物。憎い相手。私が4歳の頃、姉に始めたあった瞬間恐怖してしまった。それまでは勉強も魔法も容姿も、何もかもに優れており事実として頂点にいた。しかし、それを嘲笑うかのようにアレは私の全てを上回った。
初めての屈辱とどうしようもない恐怖とで当時は感情のコントロールができなかった。大人たちは姉を無視して自分の道を進めと言うが、そんなものは知らない。負けたままでいられない。何としてでも勝ちたい。
ある日、姉が大切にしていた人形を引き裂いた。事故ではなく意図的にやった。その時、アレは酷く泣き叫び、恐怖の原因である魔力を溢れさせた。私は恐怖のあまり気絶をしたが、同時に気絶する前のあの歪んだ表情が忘れられなかった。
ああ、あんな怪物でも泣くのか、泣かせることができるのかと知った時、うまく言語化できない喜びが湧いて出た。
「私は貴女の下位互換じゃない。スペアじゃない。私の心から消えろ」
だから私は奴隷くんを消すの。私の中からエルフィーネという怪物を、その存在を抹消するために。きっと壊れてくれますよね………お姉様?
▽▽▽▽▽
「『
「失礼します」
「ええ、行ってらっしゃい」
ヴァイス公爵家のレイチェルと生活していた時のことを訊けば信じられないほどハレンチな行為までしていた。クロスの左の肩(?)首元(?)に白い歯型が残っていたのだ。それは十中八九、彼女が彼を自分の所有物だと知らしめるための
話を聞いただけでも吾自身が驚くほどの嫉妬心が生まれたというのに、
クロスに対する醜い願望を
でも、それだけで終わらせない。吾から出来ないのならばクロスからやって貰えばいいだけのこと。彼女は使わなかった契約紋を行使し、開いた首元を噛ませる。優しい彼は吾を傷つけないよう抵抗したけど、もう一度契約紋で命令を出すと言えば渋々やってくれた。
もの凄く嫌な顔をさせてしまったけれども仕方ないではないですか。無理矢理にでもやらなければ、嫉妬心に駆られて吾も貴方を傷つけてしまいそうだったのですから。それではレイチェルと全く同じで、後からやった吾がなんだか負けたような気がするのです。
だから貴方に傷付けてもらいました。皮膚を突き破り、肉まで歯が到達する感覚は少々恐ろしいものがありましたが、クロスに襲われているかのような錯覚に
『あまり艶っぽい声出さないで下さいよっ!』
従者の責は主人の責と称し、クロスがミスをする度に吾を噛ませていたところ、そのようなことを言われた。出てしまうのだから仕方ない。妥協案として噛み付くのではなく、赤くなるまでチュウチュウと吸わせることになりました。吸っている時のクロスは赤ちゃんみたいで、よしよしと頭を撫でると赤面して早く終わらせようと頑張って吸うため、とてもカワイイのです。
また、カメラでパシャパシャと写真を
「
クロスが妹のアンジェに捕まった。染影はその記録を吾に伝えた。
「待って…アンジェ、それは駄目。それだけは止めて………他はいいからクロスだけは。じゃないと吾は、貴女を……この、手で」
▽▽▽▽▽
「へェ〜あの化け物がジイちゃん呼びさせるとはねぇ……プククク、ウケるニャ」
「ああ、やっぱり強いんですねアルゴ様って」
教育係のピピと雑談を交わしながら長い廊下を歩いている。語尾に「ニャ」を付けるのは霊猫族だからではなく、罰ゲームの一種だそうで詳しいことは話してくれなかった。
教育係であるため戦闘訓練も彼女と行うのだが、それがもう強いのなんの。アルゴとやっていた時と同じようにポンポン投げ飛ばされ、ボロボロになると筋トレしながら勉強を進めている。なぜメイド長なのにと思うかもしれないが、本人曰く「メイド長だからニャ。何を言っているのニャ?」とのこと。
「……性格ワルワルだけど強いニャ、認めたくニャいけど」
「分かります。苦しんでる姿見て愉悦を感じてますよね、アレは」
「そうニャ。だから嫌いなんだニャ!」
過去に色々とあったのか、彼女の愚痴は数分間止まらなかった。だが、そんなピピの口が突然閉じると、「クロス」と俺の名前を呼ぶ声がする。
「少しお茶しよ?」
「ウチがエルフィーネ様のお世話をやっておくニャ」
しまった。ピピもグルなのか。彼女の場合、猫のごとく本当に気まぐれで手を貸しているのだろう。アンジェか、もしくは俺のどちらかをここに誘導させたのだろうと思い、やってくれたなという非難のめをピピに向ける。
「ニャふん♪」
ドヤ顔が返ってきた。アンタも十分に性格ワルワルだよ、本当。
「承知致しました」
黙って歩くこと数分。到着した部屋の中にはアンジェの奴隷たちが複数いた。差し出されたお茶と茶菓子を食べながら、たわいもない会話が続いている。本当にお茶がしたかっただけ………じゃないよなあ、やっぱり。
「どうしたの、そんなにフラフラとして?」
一服盛られたのは間違いない。ヤバい。魔力で身体を強化しないと……。
「でき……ない………?」
彼女はニコニコとした表情を崩さない。くそ、俺は自分で思っていたより馬鹿だったみたいだ。魔力なんてものがあり、それを多少扱える程度で安心してしまっていた。
「申し訳……ありません、退出を…」
「ダ〜メ、奴隷くんには最後まで付き合ってもらわなくちゃイケないんだから」
「なに…を……」
言っているんだ。そう言う前に、俺は強い衝撃で意識を失った。
「連れて行って」
「「はっ」」
▽▽▽▽▽
かなり広い地下室。手足を鎖で拘束されて動けない奴隷くん。彼の周りは血で汚れていた。
「つまんない」
クロスという奴隷に最後のチャンスをあげようとしているのに、彼は縦に首を振らない。
「何でそこまでお姉様に肩入れするの?」
あの化け物から解放されるのだから、むしろ大喜びで涙を流しながら感謝をしてもいいのに。私の奴隷たちに彼を殴らせてから一時間が経っても、まだ生意気な目をしている。
頭から鼻から血を流し、全身は殴打による青あざ、両手両足の爪は剥がされても彼は笑っていた。
「ゲホッ、ゲホッ………イヤ、ですよ」
いい加減我慢の限界が来ていた。殴られても、蹴られても、折られても、剥がされても、刺されても、抉られても、焼かれても…………目の前の奴隷が頷かない。
多少痛めつければすぐにでも心変わりをすると思ったのに、ここまでされて何故あの化け物の味方ができるの?
「所詮お金で買った関係なのに?」
意味がわからない。本当に理解ができない。あの魔力の怪物のどこがいい。全てを怖がらせるだけのアレが。
「そう…かも、しれません」
自分の顔がニヤつくのがわかった。そうだ、その通りだ。所詮は金だけの関係。それ以外にえりはしない。まして、好きだとか愛だとか恋だとか、そんなのとは対極にある関係で───……
「でも、笑うと……ゲホッ、カワイイんですよ」
は?
「は?」
何を言ってるの?
「何を言ってるの?」
分からない。今までで一番意味が理解できない。
カワイイ? 誰が? あの女が?
「ゲホッ……、私は好きであの方のお側に居るんです。ハァ…ハァ…、まだ日は浅いですが、私は誰よりもエルフィーネ様を知っているつもりです」
「………私よりもあの化け物を選ぶのね?」
「化け物ではありませんよ。普通の淑女です」
「そう、わかった」
殺す。殺して無かったことにする。私は負けられない負けたくない。私よりもアイツが選ばれるようなことがあってはならない。そんな事実は消すしかない。
「────殺」
「何をしているのですか?」
この恐怖は覚えている。掛けられた声よりもずっと鮮明に覚えている。私の初めての敗北。初めての屈辱。初めての憎悪。
「お………姉…様」
「アンジェ、今すぐ彼を離してください」
うるさい。
「……………」
「アンジェ、聞こえているのですか。彼を離してください。今ならば彼にしたことも含めて、何もしませんから」
うるさい。
「アン───」
「うるさいッッ!!!」
言ってやる。恐怖で震える身体なんて知らない。全部全部お前が悪いんだ。私は悪くない。それを言ってやる。
「お前が悪いッッ!! 全部ッ、全部お前が
悪いんだッッ!!!」
「わ、吾は……何もして」
「その態度が気に入らないんだッ! その澄ました態度でいつも私を馬鹿にしてくるッ!!」
「ふざけるな……ふざけるな、ふざけンなッ!! どれだけ努力したと思ってる! 毎日毎回毎度! 辛くても苦しくても耐え抜いてきたのにっ、お前が全部持っていく!! 私の頑張りを踏み
「アンジェ」
「その憐れむような目が気に入らないンだッ! この期に及んでどれだけ私を馬鹿にすれば気が済む! 私は負けてない、負けられない、アンタみたいな化け物に負けられない!」
「彼を殺したら許さないですよ」
「黙れェッ!!! 何が許さないだっ!! アンタさえいなければこの奴隷は殺されなかった! アンタさえいなければ私は私でいられたッ!! アンタなんか………アンタなんか…アンタなんか死」
「そこまでですよ」
▽▽▽▽▽
間に合った。間に合ってくれた。
薬が抜け切らない身体でなんとか魔力を回し、アンジェの口を塞ぐことが出来た。鎖を引きちぎって他の奴隷たちを昏倒させる時間が稼げたのは、エルのお陰だろう。
「それ以上は家族に、ましてや姉に言う言葉ではないです」
エルの悲痛な顔も、アンジェの苦痛に歪んだ顔も見たくない。
「ソレはいつか呪いとなって自分に返ってくる」
終わりにしよう。
「ッ───……」
アンジェには気絶してもらった。いつの間にか地下室の扉近くにいたピピに彼女を渡す。
「こうなると知っていてアンジェ様に手を貸したんですか?」
「本当の手遅れになる前に手を打っただけニャ」
「はぁ………後は任せても?」
「お疲れ様ニャ。エルフィーネ様、この度は申し訳ございません。旦那様の命により妹様は遠くの地にて更生させて頂きます」
彼女はそう言うと階段を登って行く。恐らく、アンジェが爆発寸前だということがわかっていたのだろう。だから、知らないところでやられるより、事前に処理しておこうとしたわけだ。
まったくもって迷惑な話だが事態を後回しにしていればあの暴れ様だ、より深刻に取り返しがつかないことをしていたかもしれない。
俺はエルフィーネと一緒に彼女の自室へと向かって行く。道中はお互いに無言であった。コツコツコツと靴の音だけがどこか寂しく響いている。すると、エルが突然止まった。
「ねえ、クロス」
「エル様が背負ってはいけませんよ」
「え───?」
「自分に責任があるかもしれない、と言いたそうでしたので」
「でも」
「でも、ではありません。妹様の苦悩や葛藤はアンジェ様だけのもの。たとえ姉であるエル様でさえ、その責任を背負ってはいけないのです」
「原因は吾であってもですか?」
「アンジェ様の仰っていた通りのことをしましたか?」
「……していません」
「でしたら、やはり背負うのは間違いです。前に進むためにもその苦悩も、葛藤も奪わないであげて下さい」
徐々に身体から力が抜けていくエル。相当に気を張っていた彼女はポツリと呟き始めた。
「アンジェは可愛いのです。すごく可愛いのです。いつも努力を欠かさないのです。本当に努力家で吾の自慢の妹で……それで、それで」
ハンカチを差し出す。
「ゴメンなさい。今は貴方の方が痛いハズなのに」
「傷は治ります。心は治りません」
嗚咽が聞こえる。
「嫌われているのは知っていました。けれど、憎まれているとは思ってもいなくて……」
当たり前だ。家族に恨まれ憎まれるのが普通などと思いたくはない。今回のことはアンジェが自分で解決しなくてはならなかったことだったのだ。
エルはそれからもポロポロと涙を零しながら、胸の内に秘めていた妹への想いを語ってくれた。あんなことを言われた後なのに、彼女は妹のことがとても好きで大切なのだ。
「クロス…ハンカチだけじゃなくて胸も貸してもらってもいいですか?」
「そのための胸です」
「………ありがとう」
エルはわんわんと泣いた。嗚咽を吐きながら。
俺は力を込めて抱きしめる。包み込むように。
明日は晴れていたらいいな、と独り思いながら。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ここまで読んで頂きありがとうございます。
高評価、感想お待ちしております。
誤字脱字のご報告もお待ちしております。
苦悩も葛藤も全部彼女のもの。勝手に背負って奪ってはいけないのです。
あれ、ラブコメってなんだっけ……?
それではまた次回でお会いしましょう。
研究所
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