第6話 シュヴァルツ公爵家(上)
ヴァイス公爵家に世話になってから早くも一ヶ月が経過した。俺ことクロスは
エルフィーネ•シュヴァルツ公爵家令嬢。長く艶やかな黒髪に光を反射させない黒い眼、いっそ病的なまでに白い肌はシミ一つとしてなく、ファッション雑誌のセンターを飾れるほどにスラリとした体型、その全てが美しい。
しかし、その人生の大半は孤独であった。生きとし生けるもの総てを恐怖させる、異質な魔力を持って生まれてしまった彼女は、友人はおろか実の両親でさえ近くにいなかった。
運命の悪戯か、偶然にもレイチェル•ヴァイスと同じ日にオークション会場へ足を運んだエルフィーネは、そこで俺を見つけ出した。当然のごとく怖がってしまったが、自分のアピールが効いたのだろうか、もう一人の彼女と共に入札をしてもらい主人となった。
「引き継ぎは以上となります」
「かしこまりましたニャ」
シュヴァルツ領付近の開けた場所で俺を引き渡すためのやり取りが行われている。いま紙の資料を渡した銀髪の老紳士がアルゴ、渡されたのが
二人のやり取りが終わった頃を見計らったのか、ガチャリと同時に馬車を開く音がする。
「「………」」
二人は何をするでもなくただ佇んで……いや、睨み合っていると言ったほうがいいだろう。沈黙を破り、口火を切ったのはエルフィーネだった。
「今日から
「一ヶ月だけの──ね」
挑発には嘲笑で返した。漏れ出た魔力が両者の間でぶつかり合い、突風のごとく周辺の木々を揺らした。発生した大きなプレッシャーに当てられた人々(魔族)は青白い顔をしているものの、なんとか持ち堪えているようだ。
近くにいるピピなどは澄ました顔をしているが、いつの間にか離れていたアルゴを見るに我慢をしているだけのようだ。いや、本当にいつ移動した?
「チビ」
「ペチャパイ」
「乳牛!」
「枯れ木!」
「お嬢様がた、もうその辺りでお止め下さい。魔力が漏れ出ております」
「うっ……こほん、そうね。ではクロス、あちらへ行っても私を忘れてはいけませんよ? もし忘れたら………ンフフ」
「分かっているわね」とレイは微笑む。全身に軽く悪寒がしてブルりと震えた。これは絶対にガブガブと噛み付く気だ。
「───…忘れられません。この一ヶ月、大変お世話になりました」
返事をすると彼女の眉が垂れ少しだけ悲しそうな顔をしてくれる。
「エルフィーネ•シュヴァルツ様、宜しくお願い致します」
そう言うと俺はシュヴァルツ公爵家の家紋が刻まれた馬車へ乗るよう命じられる。自分と同乗させようとしたエルフィーネだが、駄目だぞという気配をさせたピピにニコりとされたため、奴隷という理由でやんわり断った。
▽▽▽▽▽
シュヴァルツ公爵家の屋敷へ行き、エルフィーネの自室へと招かれた。
「最初の命令です、出会った頃の吾は忘れなさい」
「はい、忘れました」
エルフィーネ曰く「最初の自分は自分でなかった」そうだ。たしかに初めてオークション会場で出会った時は妙に興奮気味というか情緒不安定というか、ひどく落ち着きがないように思った。
だが、今の彼女は冷静そのものであり、それが本来の姿であると言われれば納得できてしまう。
「エルです」
「……える?」
「貴方、ヴァイス家の令嬢を愛称で呼んでいるでしょう?」
本当に一瞬だけだが心臓がビクッと跳ねた。もう一人の主人であるレイチェルを愛称の「レイ」と呼んでいるが、それはあくまで二人きりの場所などに限定されている。しかも、レイ本人からその話をするとは考えられない。
「ああ……その反応、呼んでいるのですね?」
しまった。鎌をかけられた。
「はい。二人きりの場合のみ、ですが」
目の前の彼女はどこか悔しそうな表情を浮かべると、真っ直ぐにこちらを見つめて命令する。
「命令です。二人きりの場合、吾のことはエルと呼びなさい」
「承知致しました、エルお嬢様」
「あと、言葉ももっとくだけたモノでいいです」
苦笑しながらも「分かりました」と言うと、エルは少しだけ嬉しそうな雰囲気をまとう。
そのやり取りから数時間が経った。俺はこの一ヶ月、レイの元でどのようなことを勉強し、どのような生活をしたのかを根掘り葉掘り訊かれ続けた。その内容は、主に俺とレイが何をしたかだったが。
「契約紋…こんなに恐ろしいモノだったのか……」
「そうですよ。契約紋に主人の魔力を通せば命令に逆らえ難くなるのは常識です。レイチェルは使わなかった…というより、忘れているっぽいですが」
最初はいくら主人と言えどレイのプライバシーを侵害すると思い、ヴァイス公爵家でのことは勉強面以外で話さないようにしていた。しかし、効果を知らず不意に契約紋を行使されたため全てを話してしまった………ガブガブのことまで。
「え、なっ何を───!?」
「ふぅん……これが噛み跡なのですね?」
新しく着替えさせられた黒い執事服の胸元をガバリと開き、左の肩に白く残ったレイの噛み跡をマジマジと見られてしまった。
───うらま……い
「──え?」
「貴方がそんなに吾を好きだと言うなら許しましょう、噛み付きなさい」
「……噛み付いたのは俺ではないですよ」
「貴方が吾に好意を寄せているのは知っています。夜這いをかけられても怖いので、その有り余る欲を日頃から発散させてあげると言っているのです」
「今の生活や拾って頂いたことに感謝はありますし、エル様が可愛らしいと思っているのも事実です。ですが女性を傷つけるのは嫌いです」
「…………」
「そんな非難をする眼をしてもダメです」
エルは観念したのか「分かりました」と言うと、一目で見て高級だと分かる柔らかそうな大きいイスへと腰掛け首元をさらけ出した。いや、なんで出す必要がある?
「命令です『噛みつきなさい』」
また不意をつかれてしまった俺は、彼女の左腕を抑えつけ、開かれた陶磁器のような首元に噛み付いてしまった。幸いなことに皮膚を貫く前に歯が止まり、また、それが精一杯の抵抗でもあった。
「傷跡ができるまで噛まないと、また命令してしまいますよ? 貴方が自分で噛み跡を残すのに何回かかるのでしょうね?」
エルがボソリと耳元で
待ちきれなくなったのか、彼女は「仕方ない」と呟く。まずい。
「命令です『傷跡を─────アンッ♡♡」
命令をさせる前に、覚悟を決めた俺はエルの首元へと思いっきり噛み付いた。口に入ってくる血の鉄臭さがなんとも言えない不味さだ。
「もっと…もっと強く………!! んんっ♡」
要望の通りより強く、より深くエルを傷つけていく。細い首元が心配になるが、しばらくして命令の効果が切れる。
「……もう、これっきりにして下さいね?」
「はぁ、はぁ、はぁ……いいえ、クロスがミスをしたらこの命令をします。貴方には丁度いい罰になりそうですから、フフフ」
「あっ、そうだ」と、もの凄く嫌な顔をした俺に彼女があるモノを見せてくる。似ていた。非常に似ていた。前世でも見たことのあるものにソレは似ていたのだ。
「そ、それっ………途中でパシャッと音がしたのって……!?」
「カメラと呼ぶらしいですね? アラ? アラアラアラ? これに写っている貴方……まるで吾を襲っているみたいですね?」
横まで裂けているのではないかと錯覚するほどの
「消してくださいっ!!」
俺の心からの懇願にエルは笑顔で「ダメ」と言うだけだった。せめてもの抵抗で首元の傷を治そうとしたが「治したらもう一度」という脅迫で、やむなく血が止まるまでにした。
「そんなに主人の傷を治したいのですか?」
「主人云々の前にエル様は自分が女の子だということをもっと自覚してください。せっかく綺麗な肌なのに……」
「………………女の子ですか」
「女の子です」
時刻は夕暮れ。まだ冷たい風が窓から吹く頃。今日から俺ことクロスは、シュヴァルツ公爵家令嬢エルフィーネの奴隷兼執事としてお世話になる。
「それはそれとして、改めて宜しくお願い致します、エルお嬢様?」
「ええ、しっかりと働いて下さいね、クロス?」
お互いに笑い合う。
「もう一度噛んでおきます…?」
「噛みません」
レイとはまた違った大変さがありそうだが、頑張るしかない。死の
▽▽▽▽▽
「ふぅ〜ん……アレがお姉様の奴隷なんだ」
「はいですニャ」
「じゃあ、奪っちゃおうか。誘えばコッチに来るだろうしぃ〜、もし来なければ殺せばいいもんねっ」
不穏な気配は風と共に───。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ここまで読んで頂きありがとうございます。
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ではまた次回でお会いしましょう。
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