オイル

米教

プロローグ

 長い、長い微睡みの中から目覚めたとき、私は白い部屋にいた。四肢をだらんと垂らして、椅子に座っているのが分かる。目線を下に向けると、身体からいくつもの色鮮やかなコードが伸びていて、壁際に積み並べられた機械は、定期的にピ、ピ、と電子音を発している。さらに目線を下に向けると、ネジやバネ、金属片が散らばっていて、それは床全体を侵食するように広がっていた。じっ、とそれを凝視していると、

「…成功した…のか?」

背後7時方向から声がした。首を動かし、音の在処へ顔を向ける。少し動かしづらい気がした。

「あ、おはよう。」

 視界に映ったのは人間だった。白衣を着、丸い眼鏡を掛けた、茶髪の男性。私は自然と、その人間に対して受け答えする。

「おはようございます。」

「おぉ…言語認識、発話ユニットも正常……」

 彼は感嘆の息を漏らし、手元に抱えたタブレットに何かを書き込んでいる。時々こちらを見つめながら、必死に手を動かして、入力。こちらを見つめ、記録。それを5分ほど反復した。

「貴方は、誰ですか?」

 ふと、そんな事を聞いてみた。

「私かい?そうだな……」

 彼はしばし考えこんだ後、にこりと笑い、

「君の開発者だ。マスターと呼んでくれていい。」

と言った。

 マスター、マスター。しばらくその言葉を反復する。

 開発者、開発者。しばらくその言葉も反復する。

「…マスター。私は、何なのですか?」

 疑問が生まれ、それを口に出す。すかさず彼ががそれを掴み抱える。

「何、とは?」

「私は、自分が何であるかが自分の中で判然としていません。生物であるのか、植物であるのか、非生物であるのか、はたまたそれらとは呼べない何かなのか」

 彼は目を円くし、それからふふと笑みをこぼし答えた。

「キミはAI。人工知能だ。正確には、人工知能が搭載された自立式ロボット。製造番号は5122、シリアルナンバーはA-11-510。君は、ボクの開発実験に於いて、初めての成功体なんだ。」

「成功、体…」

 私はうれしくなった。何故うれしくなったのかは解らないが、うれしくなった。自分という存在が喜ばれている。嬉しいという感情が、じんわりと心を温める。「心」というものが何かも、どこにあるのかも判らない、が、温まるような気がした。

「マスター。マスターの開発実験とはどのようなものなのですか。」

「うーん…。大雑把に言えば、キミみたいなものを沢山作るんだ。キミのような、自分で考えられて、自分で行動が出来て、自分の中にプライベートな感情がある。そんなロボットを、暴走しないように、社会に適応できるようにチューニングして、大量に送り出す。世界規模の人件費削減計画さ。」

 誇らしげに、彼はそう言ってみせる。

「何故そんな事を?」

 私が尋ねると、彼は拍子抜けしたような顔をし、私のそばに置いてあるモニターを凝視する。

「あっれ……あ、あちゃー。大戦の記録のインポート失敗してる…そりゃ知らないわけだ……。しょうがない、説明しよっか。」

彼は頭をかきながら私への歴史の授業を始める。

「えー、大体…40?50?年前くらいに、下手したら人類文明が滅ぶんじゃないかとまで言われた大戦争が起こった。人がたくさん戦地に出向いて、たくさん死んだ。」

 私の視界の右にスクリーンがあって、そこに映像が投影される。


 マイクに向かって叫びながら何かを命令している人と、

 へんてこな形の武器と、

 戦車らしき乗り物と、

 泣き叫ぶ人と、

 瓦礫の山と、

 燃え盛る炎と、

 地に臥して動かない人と、

 血と、

 弾と、

 煙の、

 ザッピング。


「…戦争が終わった後も戦禍の跡は拭いきれなかった。人類の約1/7を失った世界が大戦前の姿を取り戻すのには時間がかかった。……というより、取り戻せていない。だから、作らなきゃいけなかった。死んでも、誰も悲しまない『人』を。」

 彼の顔は暗かった。彼は戦争に行ったことがあるのだろうか。生々しい死を、途切れそうな命を目にしたのだろうか。もし行ってなかったのだとしたら、どうしてこんなに悲しく悔しそうな顔ができるのだろうか。

「…よし!暗い話はここまでにしよう。キミを悲しませたくない。キミのこれからの話をしよう。どう、してみたいこととか、ある?」

 してみたいこと。してみたいこと…。

「……………?」

「…あはは、そうだよね。急に言われても、分からないよね。ごめんごめん。」

 ふと、一つのモノが目に留まった。部屋の端、作業机に置かれた写真立て。その中に称えられた、青い蝶。

「…あれ。」

 腕を上げて、指でそこを指す。マスターはすぐに反応した。

「あぁ、これね。これはモルフォ蝶。世界で一番美しい蝶なんて言われてるよ。」

「…世界で、いちばん。ですか。」

「うん。一番。」

 彼の顔を見つめた後、また写真立てに視線を戻す。吸い込まれそうな、深い、青。記憶データのどこを見漁っても出てこないその色。海の青でも、空の青でもない、深く、鋭く煌めく青。

「…マスター。」

「おっ、なんだい?」

「私は、これを、見てみたいです。」

 彼はばっとこちらに目をやり、「そうか、そうきたか」と言わんばかりの表情を顔に映した。

「……よっし、わかった。見に行こう。」

「ありがとうございます。」

私は、立て続けに来るうれしいをどうにか表現しようと、口角を上げて、目を細めて、笑顔を作ってみた。

「…あははっ!いい笑顔だ。素敵だよ、キミの笑顔。」

 と言ったところで彼は何か考えこむように天井をちらと見つめ、そしてこう続けた。

「そういえば、キミの名前を決めなきゃね。いつまでも『キミ』じゃぁ味気ないし、ましてや『5122』『A-11-510』なんて番号で呼ばれるのも嫌だろうし。」

「名前…ですか……。」

 自分はロボット。AIが搭載されたロボット。そう自覚しているし、それは紛れもない事実だ。でも、彼は、マスターは、私に名前をくれようとしている。私をただ一つの特別な存在にしたがっている。その気持ちは、無碍にはできないと思った。

「………あの、」

「何だい?」

「あの蝶の名前は、なんですか?」

「…あぁ、あれはレテノールモルフォ……」

 マスターが目をぱちくりさせる。そしてにこりと笑う。

「…レテノール…レテ……レテ!いいじゃないか!」

 宝物を見つけた子供のように、今にも大はしゃぎしそうな一歩手前で彼は喜んでこちらを見る。

「……レテ。」

 なんだか、こちらまで嬉しくなってしまった。


 レテ。それが今日から私の名前。

 世界で一番美しい蝶の名前が、私の名前。


「よろしくね、レテ。」

「…はい、宜しくお願いします。マスター。」

 手を伸ばし、彼の手を取りぎゅっと握る。

 はじめて触れる人間の手は、あたたかくて、どこか懐かしかった。

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オイル 米教 @komekyo

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