第11話
帰宅ラッシュの人混みの中、よく知った顔が改札の向こうからこちらに手を振ってくる。風眞も軽く手を挙げて応じ、往来の邪魔にならないよう壁際に移動した。
父と会うのはおよ四年ぶりだ。たまに電話で声は聞いていたため元気なのは知っていたけれど、いざ顔を合わせると妙な懐かしさがこみ上げてくる。それを顔に出さないよう唇を柔らかく噛んでいるうちに、父は大きなスーツケースを引きずりながら寄ってきた。電車でかなり揉まれたらしい。白いシャツがすっかりくたびれている。
「いつ乗っても日本の電車はぎゅうぎゅう詰めだな」
「再会の第一声がそれかよ」
風眞のため息に、姉とよく似た顔で「わはは」と笑えば目尻にしわが刻まれる。その数が記憶にあるより増えた気がして、月日の流れを改めて実感した。髪にも白い部分がちらほら混じり、そういえば五十代も半ばだったと思い出す。
「なんか親父、前より身長縮んでねえ?」
「馬鹿。お前がでかくなったんだよ。俺がいない間に成長期迎えやがって」
「俺のせいにするなよ。海外公演のスケジュール組んだあんたが悪い」
「わはは、そうだな。とりあえず歩くか。ここで突っ立って喋ってても家には着かないもんな」
レッツゴー、とやけに流暢に唱えるやいなや、父は颯爽と歩きだした。
相変わらずの自由さだ、変わっていない。こつこつ革靴を鳴らして道を行く姿は堂々としており、これまで味わったであろう様々な苦労を決して感じさせない。
「まさか風眞が迎えに来てくれるとは思わなかった」
「自分の家忘れてたら心配だから迎えに行ってやれって、姉ちゃんに言われたんだよ」
「そこまで
「昨日から彼氏と一緒に夢の国に出かけてる」
「彼氏? おい、いつ彼氏出来たんだ。お父さん聞いてないぞ。どこのどいつだ、どんな男だ。大学の友だちか? それとも初恋のナントカくんか?」
「そうやって追及されそうで鬱陶しいから黙っとけって言われたんだった」
「思いきり口滑らせてるじゃないか」
豪快に笑う父につられて、風眞も小さく吹き出した。
駅から自宅までは徒歩で十五分程度だ。飛行機とバスの長旅で疲れているだろうに、どうせならゆっくり話しながら帰りたいと言われ、タクシー乗り場を通り過ぎる。
父は家族の中で誰よりも歩くのが速い。子どもの頃は置いていかれそうで必死だったが、今では難なく隣に並べる。
「帰ってくるなんて聞いてなかった」
「次の公演までまとまった時間が取れそうだったからな。『よし、ちょっと帰るか!』と急に思い立って」
「……帰国するって他の人にちゃんと言ってきたんだよな?」
「ホテルに書き置きしてきたから大丈夫」
果たして本当に大丈夫なのだろうか。父にもマネージャーがいるはずだし、弟子も数人抱えている。どのような書き置きをしたのか定かではないが、パニックを起こしていないことを祈るしかない。
行き先を記してあるならば、数日以内に弟子たちが慌てて連れ戻しに来るだろう。よくも悪くも自由な父だ、そのまま日本の名所を紹介すると言って観光に旅立つ未来が予想された。
「そういえば風眞、もう中学は卒業したんだったか」
「もうとっくに高校生になってるっつの。息子の年齢くらい覚えとけ」
「そりゃあ背も態度もデカくなるか」
「なんで親父まで一言余計なんだよ」
「俺〝まで〟?」
「知り合いに似たようなのがいて」
脳裏に静珂の顔がよぎる。「なんでそこでボクを思い浮かべるわけ?」と罵られそうで、頭の横で手を振りイメージを払った。
ふと父を見ると、目元を和らげて微笑んでいた。
「なに」
「いい友だち出来たんだなあと思って」
「はあ?」
「だってお前、小学生の頃から友だち作るの下手くそだっただろ」
「いつの話してんだよ」
しかし父の記憶はおおむね間違っていないため、ろくに反論できない。
まだ貧乏だったころ、周囲の同級生が楽しんでいるゲームなど手に入らなかった。ゆえに話題に入れず、入れたとしても曖昧な相槌ばかりで話を理解していないのがバレる。電気代を節約するべくテレビもまともに見ていない時期があり、風眞が親しんだ娯楽と言えば父が披露してくれるマジックくらいだったのだ。
少しでも同じ話が出来る友だちがいれば、と練習したばかりのマジックを同級生に見せることはあった。けれど当然、お世辞にも上手いとは言えないお粗末な手際だったため、周囲の関心はすぐ他に移ってしまう。
そうして一人でマジックの練習をしていたから、風眞に友だちらしい友だちはこれまで一人も出来なかった。
「『僕にはマジックがあるからいいもん』って強がってのが懐かしいな」
「そんなこと言ってねえだろ。記憶の捏造だ、歪曲だ!」
「いやしかし、軽口言える友だちがいるのはいいことだ」
息子の成長が喜ばしいのか、父が頭を撫でようと手を伸ばしてくる。しかしひと目もあるし、なにより撫でられて喜ぶような年齢でもない。風眞がのけ反って避けると、不服そうに唇を尖らせていた。
「今はモデルもしてるんだろ?」
「ああ、うん。さっき言った知り合いはモデル仲間で、ついでに高校の同級生」
「そうかそうか、高校生活は楽しいか?」
「……楽しくないことはない、かも」
「素直じゃないな。部活は? 中学の頃は帰宅部だったよな」
「高校でも入ってない。つーか、入ってたとしても行く暇ないし」
「なんだ、そんなに仕事が忙しいのか」
「仕事もあるけど、レッスンが……」
「レッスン?」
てっきり母から聞いたと思ったのだが、どうやら風眞がアイドルデビューを目指して励んでいると知らないようだ。突然呼びだされてから今日までの経緯を説明すると、父は興味深そうにうなずいていた。
歌やダンスで大変な部分や、リーダーを任されて困惑したこと。麻黄耶を筆頭とした自由なメンバーに振り回されていることなど、語り始めるときりがない。デビューまで一ヵ月半を切るなかで演出を考案するよう言われたことまで、気がつけばすべて話していた。
「マジックの練習時間だって、前みたいに取れてねえし」
「マジシャン志望は変わってないんだな」
「当たり前だろ、子どもの頃からずっと憧れてんだぞ」
――親父みたいになりたい、最終的には越えるんだって。
思わず言ってしまいそうになって、寸前で飲みこんだ。恥ずかしすぎて本人に言えるわけがない。首を傾げる父に、なんでもないから気にするなと咳払いをした。
「でも、メンバーに有葉って奴がいてさ。そいつ手芸部なんだけど、休み時間とか使って色々作ってんだよ。このイヤリングもそうなんだけど」
「へえ。器用だな。手先も、時間の使い方も」
「だから俺も、限られた時間で練習してる。やる暇が無いって嘆いてる時間の方がもったいない」
風眞はズボンのポケットからコインを取り出し、右手の親指の付け根に乗せた。父が見守る中、マッスルパスは難なく成功する。
「うまく出来てるじゃないか! 他にも習得できたのか」
「最近はカードマジックの練習してる。あと……」
言いながら父のシャツに手を伸ばし、襟の下からコインを一枚出現させた。手首をくるりと返すと、一枚だったはずのそれが二枚に増えている。
「ほー。動きが滑らかだな。違和感がない」
「とりあえずここで出来るのはこれくらい。まだまだ子ども騙しみたいなもんだけど」
「俺だって最初は子ども騙しから始まったさ。言ったろ。『魔法を使うには練習が必要なんだ』ってな。お前ももっともっと練習すれば、さらに難易度の高いマジックを出来るようになる」
「人体切断とか?」
「瞬間移動とか」
「脱出マジックもやってみてえな」
「意欲が高いのはいいことだ。頑張れよ」
夢はどんどん膨らむ。
いつか父のように世界を巡りたい。今よりもレベルアップして、オリジナルのマジックを考案したり、難易度や危険度が高いものにも挑戦してみたい。
――親父、みたいに……。
視界が輝いて見えたのは一瞬で、風眞はすぐに目を伏せた。
不意によみがえったのは、ランディエのパフォーマンスを見学したあと、青士に連れていかれた喫茶店での一幕だ。
「あの、さ」
無意識に歩みが遅くなり、次第に立ち止まる。少し離れたところで、風眞がついてこないと気づいた父も足を止めた。
「どうした?」
「親父が理解できるか、分かんねえんだけど。事務所の先輩に言われて、ずっと気になってることがあって」
「なんだなんだ」
「……『僕らみたいになろうとしたらあかんよ』って、言われて」
青士とのお茶会は和やかに進んだ。
ランディエ結成のきっかけになったのは青士だという。もともと作曲が好きで、モデル業のかたわら趣味で楽しんでいたが、なんとなくモデル仲間に聴かせたところ評判が良かったそうだ。
『そしたらそいつが歌詞つけてくれてね。僕がそれ気に入ったもんで、せっかくやし組んでみぃひん? って提案したんやわ。けど僕とそいつの声だけやと物足りんくて、後輩に声かけてね。それが結成の経緯』
モデルとして名が知られていたこともあり、知名度を得るのに時間はかからなかったという。だからといってすぐ人気になったわけでもなく、地道なファンサービスや雑誌のインタビューなど、様々な角度からファンの心を掴んでいった。
『君ら、えーっと……風眞くんと静珂くんもモデルなんよね』
『そうです。俺らは青士さんみたいに自発的に組んだわけじゃないですけど、でも立場としては似てるかなと思って』
『そうかもなぁ。似とるっちゃ似とるんかも』
『なので色々参考にさせていただきたいんです』
『それは大いに構わへんけど、でも一個だけ注意しとこかな』
青士はにいっと唇に笑みを刷き、机の上で指を組んで続けた。
『僕らみたいになろうとしたらあかんよ』
『……え?』
どういう意味か分からず、静珂と目を合わせて困惑した。聞き返そうとしたけれど、那央が青士のアクセサリーについて話題を振ったため、今日にいたるまで真意は聞けずじまいである。
「親父はこれの意味、分かる?」
「そうだなあ」父は小さく唸って歩き出す。スーツケースのタイヤがごろごろとアスファルトを鳴らした。「こういうことかなってのはなんとなく」
「……それって、教、」
「教えない」
風眞の言葉を遮って、父は笑顔で振り返った。満面の笑みが憎たらしい。
「今まで散々考えたんだろうなって上で言うけど、それは多分、お前が自分でたどり着かなきゃいけない答えだと俺は思う」
「んだよ、それ」
不貞腐れたように呟いて顔をうつむける。体の横にたらした拳を強く握ったけれど、悔しいからか、あるいは情けないからか、自分でもよく分からなかった。風眞の心境を察しているのか、父は微笑みを絶やさない。
「自分でつかみ取る答えってのは大事だぞ。それとな」
「?」
「お前がまだマジシャンを目指してるって嬉しいんだ。だから――」
スーツケースを転がす音が止まる。顔を上げると、いつの間にか自宅の前に着いていた。父は懐かしそうに目を細めて家を見上げ、なかなか言葉を継がない。
「だから、なに?」
「詳しいことはあとで話す。とりあえず入ろう。母さんがご飯作って待ってくれてるんだろ? ただいまー!」
まるで学校から帰った少年のように、父は意気揚々と玄関の扉を開ける。
なにを言おうとしていたのか気になるが、しばらくは母が土産話をねだるため聞くに聞けないだろう。あとで話すというのをひとまず信じて、風眞は父の背中を追った。
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