第9話

 円形のステージを取り囲み、青や水色のペンライトが左右に揺れる。一つの乱れもなく振られるそれは寄せては返す波に似て、しめやかなイントロがより幻想的に感じられた。

 すう、と息を吸う音がマイクを通して聞こえた。同時にスポットライトが灯り、背中合わせで立つ三人組が光の中に浮かび上がる。優しく語りかけるような歌声で、初恋の歓喜と緊張を柔らかに綴っていた。

 子どもの日――五月五日の当日、風眞たち四人はマネージャーに連れられ、某テレビ局に訪れていた。普段は夕食時に放送されている音楽番組が、ゴールデンウィーク特別企画と銘打って昼から生放送を実施しており、そこに出演するランディエを見学しに来たのである。

『実際に彼らのパフォーマンスを観て、現場の雰囲気やファンの反応を掴んでくるといい。映像では分からなかったものもあるだろうから』

 丹和が言っていた通り、画面越しと生とではかなり違う。動画ではカメラワークの都合上、ソロパートや各自の見せ場で一人だけ切り出す場合は他の二人に視点が向けられない。だが生なら全体を観られる。一人が歌っている間、他の二人はなにをしているのか分かるのだ。

 ――ただ突っ立ってるだけじゃなくて、引き立たせるように、邪魔にならないように踊ったりしてんだな。

 ふと光を感じて右隣を一瞥すると、麻黄耶が青いペンライトを振っていた。家から持参した私物らしい。客席のファンたちと動きをそろえ、波の一部に溶けこんでいる。

『ランディエってさ、作詞作曲も自分たちでやってるらしいよ』

 道中でそう教えてくれたのは静珂だ。彼は麻黄耶と那央に挟まれて、わずかに背伸びをしつつステージをじっと見つめている。

『そういう専門家っていうか、作詞家とかに頼んだりしてねえの?』

『ないことはないけど、今までリリースした曲の三割くらいじゃなかったかな』

『他は全部自家製ってことかぁ』

『その例えは合ってんのか……?』

『作曲担当が緋衣さんだったかな。ゆったりした曲調が得意みたいだからそういう曲の方が多いけど、油断してたらいきなり激しめのとか発表したりして飽きないんだよね』

 今日披露しているのは前者の系統だろう。しかしただ柔和なわけではなく、二胡の優雅さの対としてか、エレキギターの尖った音色がアクセントになっている。

 ダンスの振り付けはリーダーが提案しているそうだ。もととなる動きを彼が考えて、振付師がブラッシュアップさせていく。指を伸ばすだけの単純な動作すら美しく、時間や場所すら忘れて見入ってしまった。

 これまでの一週間、ダンスと歌のレッスンをくり返してきたが、プロとの差は歴然だと改めて実感した。

 どれだけ動いても声音や音程、そこに乗せられた感情がぶれないのだ。息が続かなそうな長いフレーズでも、苦しげな表情は一切見せないし感じさせない。代わりに歌う喜びと楽しさが全身からあふれ、それはファンたちに間違いなく届いているだろう。

 ふわりと髪になにかが触れた。視線を上げると、頭上からなにかが舞い落ちている。間近に降ってきたそれを手で受け止めれば、青い紙を切って作った蝶だと分かる。

『ランディエってな、中国語で〝青い蝶〟って意味なんやて』

 ――ユニット名の象徴を降らせてるってわけか。

 無数の蝶は風を受け、本当に命を得たかのごとく踊っている。しかしやがて床に落ちるさまは儚く、一瞬の美と感動を人々に与えていた。

 ――……ん?

 曲が終わりに向かう中で、風眞は紙の蝶に視線を落として首を傾げた。

 ――……なんだろうな。

 ――なんか思いつきそうだった気がしたんだけど。

 思考は拍手によって遮られた。ステージ上の三人はめいめいに手を振り、ファンたちに軽く会釈して去っていく。

 ぼうっとしていられない。またそのうち思い出すだろうと頭を振り、ジーンズのポケットに蝶を忍ばせて、マネージャーに率いられながら風眞はスタジオをあとにした。


「はー、すごかったー!」

 叫びたいのを我慢していたのだろう。テレビ局の外に出た瞬間、麻黄耶が満面の笑みで感想を口にした。

「やっぱ生で観るんは全然ちゃうな。楽しいわ」

「分かる」と静珂が腕を組んでうなずく。「テレビのスタジオとライブ会場だとまた雰囲気違うけど、お客さんの熱量は変わらないんだなーって思ったし」

「ペンライト綺麗だったねぇ。蝶ちょが降ってくるのも可愛かったぁ」

「ライブやともっとお客さんに手ぇ振ったりするんやろか。演出も変わるんやろな」

「演出……演出、な……」

「なにぶつぶつ言ってるわけ?」

 ぺちっと静珂に腕を叩かれてもしばらく気づかず、最終的に頬をつねられてようやく風眞は我に返った。微妙に爪が食いこんで痛みが倍増している。やめろと手を振り払ってからも、つねられた箇所がひりひり痛んだ。

「ずっと静かだったけど、考えごとでもしてるの?」

「マネージャーとさよならする時も上の空やったよな」

 そんなことはない、と強く否定できずに口をつぐむしかない。

 心配そうな眼差しを向けられて、風眞は小さくため息をつく。黙っているほどのことでもなく、話せばなにか思い出せるかもしれなかった。

「さっき有葉が言ってたけどさ、紙の蝶が上から落ちてきたろ」

「うん。ひらひらーってしてて、本当に生きてるみたいだったよねぇ」

「あれが、こう……なんか引っかかってて……」

 しかし三人とも違和感など無かったらしく、不思議そうに首を傾げている。

 見ていて不愉快だったのかと静珂に問われて、慌てて違うと否定した。むしろ幻想的で好みな部類だ。曲の雰囲気ともあっていて、うっとりと見惚れたのだから。

「他の番組とかライブでも、あんな感じで蝶ばらまいてんのかな」

「言い方が悪い!」と静珂にまた頬をつねられた。「まあでも、そうだよ。基本的にはライブで見かけるかも。風を送って客席の方にそれとなく飛ばしたりして、記念に持って帰るファンも多いみたい」

 どうやら紙の蝶は本人たちが作っているらしい。そのあたりも価値が高まる一因とみえる。ポケットに入ったままのそれを、布地の上からなんとなく撫でた。

 ダンスや歌についても話したけれど、引っかかった理由は分からないままだ。

 ぐだぐだ考えていても仕方がない。ひとまず各自帰宅しよう、と指示を出しかけた直後、不意に麻黄耶の肩が跳ねた。どうしたのかと思えば、パーカーのポケットからスマホを取り出す。マナーモードにしてあったスマホが振動したようだ。電話の着信だという。出ていいかと視線で訊ねられ、三人がうなずいた。

「もしもし、兄ちゃん? なに? ああ、うん。外出たとこに居るよ。――あ、ほんま? ほんなら一緒に帰る? ――うん。分かった、待っとるわ」

「お兄さん?」

「うん」スマホをポケットに戻しつつ、麻黄耶は嬉しそうに答える。「仕事終わったて言われたで、兄ちゃんと帰るわ。そのうち来るかも知れへんけど、一緒に待っとってもらうん悪いし三人とも先帰って」

「まーくん、お兄ちゃんいたんだねぇ」

「あれ、知らへんだっけ?」

「初耳だけど」

「俺はなんとなく気づいてた」

 教室でマジックを披露した際に、杖は兄がクリスマスに買ってくれたものだと漏らしていた。麻黄耶より六歳年上だそうで、一緒に帰るつもりということは近くにいるのだろう。

 先ほど観たパフォーマンスは録画してある。家でリラックスしつつ目を通せば演出のどこに引っかかったのか分かるかも知れない。早く確認したいし、本人が先に帰ってくれと言うのだから気配りに甘えよう。

 手を振る麻黄耶に背を向けて歩き出すと、「麻黄耶!」と快活な声が耳に届いた。

「え、今の声って」と最初に振り返ったのは静珂だ。それにつられて那央も足を止め、なにごとかと風眞も二人に倣う。

 麻黄耶の名が聞こえたため、電話からほどなく兄が到着したのだろう。それだけだと思ったのだが、風眞は驚きに目を瞠った。

「……なあ、あれ……」

「……緋衣さんだね」

 きゃっきゃと楽しそうに麻黄耶と笑いあっているのは、ついさっきスタジオで見たばかりの緋衣青士せいじだった。ステージ上での衣装と違いカジュアルな私服を身につけてはいるものの、腰まで届く長い髪が特徴的すぎてまったく変装できていない。いや、する気が無いのかも知れないが。

 それよりも気になるのは、だ。

「……兄貴って、まさか」

「そのまさかじゃないかなぁ」

「……一言もそんなの聞いてないけど」

「隠してたわけじゃねえよな」

「『言ったつもりになって忘れてた』に一票」

「ボクも」

 ひそひそ言葉を交わしているうちに、青士の目がこちらに向けられる。視線をそらすわけにもいかず頭を下げると、飛び跳ねるように三人のそばに駆け寄ってきた。

 背は丹和と同じくらいで、近くで見ると目元や鼻が麻黄耶とそっくりだった。人懐っこそうな笑みを唇に乗せて、「初めましてやんな」と風眞に手を差し出してくる。

「君あれやろ? 所長に『アイドルになれ』言われて反発した子。麻黄耶が世話んなっとるね」

「こ、こちらこそ……?」

 ――ていうか俺の評判どうなってんだ。

 決して良い評判ではないが、事実だったためになにも言い返せない。当惑しながらぎこちなく青士と握手を交わした。

 他の二人とも慣れた様子で挨拶しあう兄の隣に、ひょこっと麻黄耶が並ぶ。風眞は「おい」と手招きして、彼の耳元に口を寄せた。

「お前の兄貴って本当に緋衣さんなのか」

「そうやよ? 言うてなかったっけ」

「有葉の予想が当たってやがる……!」

 思わず頭を抱えたくなるのをなんとか堪え、深く長く息を吐いた。

 人の往来がある場所で話していては邪魔になる。風眞はそれとなく他の四人を道の端に誘導し、改めて互いに名乗り合う。

 喋り方はよく似ているが、麻黄耶の忙しなさに比べると悠然としており、言葉がすんなりと耳に入ってくる。歌声でも地声でも柔らかさに変わりはなく、聞いているうちに自然と肩の力が抜けるようだった。

「先ほどスタジオでパフォーマンスを拝見しました」

「うん。丹和先輩から聞いたで知っとるよ。あれやろ、磯沢先輩から僕らの曲練習せえ言われたんやろ? どうやった、参考んなった?」

「はい! 音の取り方とか、ビブラートのかけ方とか、あと感情の表現とか。ダンスも三人の息があっていて綺麗でした」

「ありがと。そう言ってもらえると嬉しいわ。他の二人も喜ぶと思うで伝えとく」

「あと、上から紙の蝶が降ってくる演出に目を奪われました」

「なんかな、風眞先輩そこが気になってんねんて」

「ふうん。なんで?」

「……なんで、でしょうね……」

 答えはすぐそばに転がっている気がするのに、霧の中でやみくもに手を伸ばすがごとくなにも掴めない。素直にそう伝えると、青士は困ったように眉を下げた。

「君に分からへんもんは僕にも分からへんわ。けど気になるいうことは、自分らのステージになんか活かせそうやなておもたってことちゃう? 知らんけど」

 ふくく、と控えめに笑みをこぼして、青士はなぜか風眞の袖をつまんで歩き出した。引っ張られながらどこへ行くのか訊ねれば、近くの喫茶店に入ろうと提案される。

「他にもなんか聞きたいことあるかも知れやんやん? 立ち話もなんやし、茶ぁでも飲みながらゆっくり話そに。忙しかったら無理にとは言わんけど」

 こちらに配慮しているような台詞のわりに、袖をつかむ指の力が緩む気配はない。麻黄耶がたまに見せる強引さは兄譲りなのだろうか。静珂と那央も麻黄耶に背中をぐいぐいと押され、ばたばたと後ろからついてくる。

「あ、お金が心配? ええよ、僕が奢るで」

「え、ほんまに? なんでも食べてええん?」

「ええよー。高校生やもん、君らみんな育ちざかりやろ」

「いや流石にそれは悪いです! 自分のぶんは自分たちで払いますから!」

「遠慮せんでええよ。僕が好きで連れてくんやもん。ありがたいわーって甘えとかな」

 ――まあいいか。

 ――モデルからアイドルになった経緯とか、聞いてみたいと思ってたし。話してるうちに気になった部分の答えが分かるかも。

 青士に案内された喫茶店はどことなくレトロで、臙脂色のソファと琥珀色の机や壁が懐かしさを感じさせた。ランディエが普段から打ち合わせでここに訪れているそうだ。

 美味しいからとオススメされた日替わりケーキセットを口にしつつ、突発的な質問大会が幕を開ける。風眞だけでなく静珂や那央まで青士に疑問を訊ねるなど意外と白熱したけれど、夜の帳が下りた頃になっても、演出に引っかかった理由の答えは見つからなかった。

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