第6話

 おかしい。風眞は密室いっぱいに流れる曲を出来るだけ右から左に聞き流して頭を抱えた。

 ――さっさとランディエの曲聴きてえんだけど。

「《覚悟なさい、悪の親玉! わたくしの愛あるチョップから逃れられるなどと思わない方が吉でしてよ! 胴体にお別れを告げるなら今のうち。恐れおののき平伏へいふくなさい!》」

 曲調は親しみやすくポップで軽快な雰囲気なのに、歌詞やら台詞がいちいち物騒ではないだろうか。マイクを右手に、杖を左手に握って笑顔で歌う麻黄耶は特に違和感を抱いていないようで、器用に声色まで変えながら歌い上げていた。

 静珂の提案でカラオケに入店したのが三十分前。リーダーとして風眞が機器を預かり、ランディエのデビュー曲を入れようと思ったのだが、麻黄耶に待ったをかけられた。

 せっかくだから先ほどそれぞれ歌った曲を入力して、歌い方を振り返ろうと提案されたのだ。ダメ出しを受けた点に気をつけつつ、改めて各自の特徴にも気を配る。

 良い案だと思ったのがいけなかった。地下室で披露した順に曲を入れ、最後に麻黄耶が歌っていた「あなたのココロにハートマッスルチョップ!」なるそれを送信したのだが。

「フルバージョンがこんな長いとは思わねえだろ……」

「もう六分くらい歌ってるっけ?」

 組んだ指の上に額を落としてため息をつけば、隣に座る静珂がコーラを飲みながら応じる。その向かい側に腰を下ろしている那央は、マラカスやタンバリンを駆使して曲を盛り上げていた。

「副所長の前で歌ってたときはもうちょい短かったような」

「台詞もこんなに多くなかった気がするけど」

「だってさっき歌たんはショートバージョンやもん!」間奏の合間を縫って、麻黄耶がこちらに溌溂とした笑みを向けてきた。「そっちやと四分くらいで終わんねんけど」

「じゃあなんでショートの方もあるって言わねえんだよ!」

「せっかくやし全部ちゃんとうとた方がええかな思て」

「よくねえ。知らねえ曲を延々と聞かされるこっちの身にもなれ!」

 あとどれだけかかるのか知らないが、これ以上は時間の無駄だと判断して風眞は曲を強制終了させる。「あー!」と麻黄耶が悲しく絶叫するのは無視した。

 今度こそランディエの曲を入力しなければ。人気曲だからか本人が歌唱しているものも用意されており、風眞はそちらを選択した。

 間もなくイントロが流れ始めた。映像も本人たちで、中華風の衣装をまとった三人組が弦楽器の音色に合わせてたおやかな歌声を響かせている。

「で、ユニット名考えるんだったよな」

「けど僕らで決めちゃっていいの? こういうのって所長が考えてくれたりしないのかなぁ」

 那央の疑問は風眞も気にかかっていたところだ。事務所側で用意されているものがあるのなら、ここでいくら提案して話し合ったとしても無駄にならないか。

 発案者である静珂は「考えてないと思うよ」と首を横に振っている。

「ざっくんはざっくんで『四人で決める』って考えてるんじゃないかな。カレンデュラも霹靂神も、ユニット名は自分たちで決めたって聞いてるし」

 誰だろうと言いたげに麻黄耶が首を傾げれば、先日風眞に教えたように、那央が所長の名前や静珂との関係を伝えていた。驚いたと大騒ぎするかと思いきや、意外にも静かに目を丸くしている。

「あんま似てへんで気づかへんかった」

「兄弟ならともかく、従兄弟だしね。名字も違うから普通は知らないよ」

「つーか善利のプロフィールとか見たけど、親戚だって公表してねえんだな」

「公表したら色々面倒くさいから」

 やれやれと肩をすくめて、手にしていたコップを机に置く。中身はいつの間にか氷だけになり、溶けたそれがぶつかる音がむさくるしい部屋に涼やかに響いた。

「前の事務所にいた時に、ざっくんと話してるとこを見た人がいてさ。仲良さそうだけどどういう関係かって聞かれて答えたら、『コネで芸能界に入った』とかいっぱい言われて鬱陶しくて」

「……なるほどな」

 風眞の記憶が確かなら、静珂は小学生の頃からモデルとして活動している。だが所長がアイドルとしての人気を確立したのはここ二、三年のあいだで、コネだなんだという嫉妬は的外れに他ならない。

「ボクがアイドルになりたいのはざっくんに憧れてるからだし、同じ事務所に移ったのもそれが関係してるけど、全部ボクの勝手だから。色々頼んだわけじゃない。憶測だけで陰口叩かれるなんて、ボクだけじゃなくてざっくんにもいい迷惑だよ」

「お前、所長に憧れてたのか」

「過去形にしないで。現在進行形なの」

 ふんっと鼻を鳴らして静珂は顔をそむけてしまった。だが不機嫌なわけではなく、なんとなく照れくさいらしい。照明が薄暗いせいで分かりにくいが、口の端がふわりとほころんでいた。

 風眞が父に憧れているのと同じように、静珂は所長の背中を追いかけているのだろう。所長がそれを知っているのか定かではないけれど。

「実際のところ口利きとかしてねえんだろ?」

「当たり前でしょ。身内だからって甘やかしてくれるほど、ざっくんは優しくない」

「ってことは、だ。アイドルとしてデビューするのにお前を選んだのって、純粋に実力を考慮したんだろ」

 もちろん元々の知名度も関係しているだろうが、厳しいレッスンについていけるか、また相応の成果をあげられるのかなど、総合的に判断したはずだ。そのうえで身内の贔屓目無しに、アイドルになれと告げてきた。

 思いもよらない一言だったのか、静珂が言葉を飲んで目を瞠る。安堵したように淡く微笑んだあと、かすかに「ありがとう」と聞こえた気がしたが、カラオケのメロディーにほとんどかき消されていた。

「ほんでさ、ユニット名ってどうやって決めんの?」

 オレンジジュースをストローでくるくるとかき回して、麻黄耶がこてんと首を傾げる。

 調べたところ、カレンデュラは金盞花の別名を、霹靂神は激しい雷を意味する言葉をそれぞれユニット名としている。風眞たちは「不思議の国のアリス」「トランプ」をモチーフに据えるのだし、そこからなにか連想できないかと思ったが。

「ざっくりとした流れじゃなくて、話をちゃんと知ってる奴いる?」

「アニメのやつやったらオレ観たことあんで!」

「僕は子どもの頃に絵本で読んだことあるけど、あんまり覚えてないなぁ」

「ボクも詳しくは知らない。どうせお前もでしょ」

「つまり全員があやふやなんだな。ダメじゃねえか。くそ、帰りに本でも買ってくか」

「へえ、ちゃんと読むんだ?」

「にわか知識でやって良いとは思わねえだけだ」

 ファンになるかも知れない人の中には、不思議の国のアリスを本気で好いている誰かがいてもおかしくない。だというのに、風眞たち自身が曖昧な認識しか持っていないのは失礼だろう。適当にやるなと怒りや失望も抱かれるはずだ。

 ふと静珂を見れば、にやにやとなにやら口もとを押さえている。なんだよ、と言葉にする代わりに目を眇めれば、「別に?」といたずらっぽく笑われた。

「意外とちゃんと考えてるんだーって思っただけ。アイドルになりたくないとか喚いてたくせに。一歩前進したじゃん」

「喚いてねえし、前進じゃねえよ。抵抗するのをやめただけだ。なりたくないのは変わってねえからな!」

「なあ。気になっとんやけどさ、風眞先輩はなんでアイドルなりたぁないん?」

 訊ねてきながら、麻黄耶は機器を操作していた。また魔法少女なんとかの曲を入れたのではと疑ったのだが、先ほどまで流していた曲がいつの間にか終わっていたため、同じものを再度入力してくれていたらしい。まだ聞きなれないメロディーがスピーカーから流れ始めた。

「アイドル嫌いなん?」

「そういうわけじゃねえ。俺はマジシャンになりてえんだよ。目指してるもんが違う」

「マジシャンかぁ。あっ、もしかして」なにを閃いたのか、那央が軽やかに指を鳴らす。「風ちゃん先輩の家族にさ、ミスターカズっていない?」

 隠すほどのことでもない。風眞は素直にうなずいた。

「家族っつーか、親父だよ」

「やっぱりそうなんだぁ。ミスターカズの〝カズ〟って、名字の〝葛〟から取ってるんだねぇ」

「えっ、その人ってめっちゃ有名やんな! 風眞先輩のお父さんやったんや!」

 かつて自宅でマジックを披露してくれた父は、今や世界を飛び回る一流マジシャンだ。腕試しにと参加したコンテストで優勝したのをきっかけに、またたく間に人気者の階段を駆け上がった。

 幼少期に見せてもらった時と変わらず、父は「ワン、ツー」の呪文で魔法を披露している。今日もきっと、世界のどこかで風眞の知らない誰かに笑顔を届けているはずだ。

「けど、よく気づいたな。善利と一緒であんまり周りに言ってねえのに」

「しーちゃんたちと違って、風ちゃん先輩とカズさんは親子だからよく似てるよぉ」

「ほんなら風眞先輩はお父さんに憧れてマジシャンになりたいん?」

「まあそういう感じ」

 人から改めて言われるとなんとなく気恥ずかしいものだ。数分前の静珂の気持ちがよく分かる。

 意外な一面を知れたとでも思ったのか、三人の興味深そうな視線がくすぐったい。話題の矛先を自分から変えなければ、間もなく顔から火が出てしまいそうだ。

「お、お前らはどうなんだ。有葉とか」

「僕?」

「お前にも尊敬してる誰かいねえのかよ」

「僕……僕はねぇ……」

 んー、と那央は人差し指で唇を押し上げ、考えるように目を閉じる。三十秒ほど待って出てきた答えは「ナイショ」だった。

「なんでだよ」

 唇を尖らせて抗議すれば、にひゃひゃ、とおかしそうに笑われた。

「なんとなくぅ。じゃあ次、まーくんだねぇ」

「オレの尊敬しとる人か。んーとな……あ、ちょうどええわ」

「?」

「そろそろ映ると思うで」

 どういうことかと目をまたたく三人に、麻黄耶はモニターを見ろと指をさす。

 画面の中では相変わらずランディエの三人が歌っていた。曲は中盤に差しかかり、淑やかで落ち着きのあるメロディーが心地いい。

 夜をイメージしているのか、照明は深い藍色をしている。床には長方形のランタンが点々と置かれ、温かな光を放っていた。彼らはその隙間をゆったりと歩き、それぞれの顔に順にカメラが向けられる。

「この人!」麻黄耶は声を上げ、ハートの杖を勢いよく振った。「オレがめっちゃ尊敬しとる人!」

 ソロパートを歌い上げているのは腰まで伸びた髪が印象的な男だ。切れ長の目は狐に似て、唇の右下に落ちる黒子が色っぽさを感じさせる。しゃんと伸びた背筋から隙は感じられず、ひらひらと服の裾を翻して踊る姿は蝶のごとく美しい。

「ああ、緋衣ひごろもさんね」うなずいたのは静珂だ。「赤いんだか青いんだか分からない人」

 なんだそれは。風眞が訝しんでいると気づいたのか、彼はこちらを一瞥して続けた。

「フルネームが緋衣青士せいじっていうんだけど、名字は〝緋〟なのに下の名前に〝青〟が入ってるって、ライブの自己紹介で掴みネタにしてるのよく見る」

「はあ、なるほど。ユーモアあるんだな」

「せやろ! いっつもそれでお客さんばっちり掴むねんで。トークもめっちゃ上手いしおもろいねんけど、それがもう歌っとる時と全然雰囲気ちゃうもんで最高でな」

「なんでお前がそんな嬉しそうなんだよ。つーか寄ってくんな。顔が近え!」

 よほどファンなのか、麻黄耶は憧れの人物に対する熱量が全てぶつけるように風眞に迫ってくる。ぐいぐい押し返しながら助けを乞うべく他の二人を見ると、静珂は攻防を愉快そうに眺めるばかりで手を貸してくれず、那央はじっと画面に見入っていた。

 かと思えば、ぽつりと口もとが動いた。

「三人の衣装の柄とか、なにか参考にしてるのかなぁ」

「うん? 急にどうしたの」

「なんとなく気になって。ほら、例えばさぁ」

 ソロパートが終わり、曲は最後の盛り上がりに入っている。那央はいそいそと画面に近づくと、青士の服を指先で軽く叩いた。

「全体的に灰色っぽい感じだけど、裾の方だけ緑色でしょ。他の二人もちょっとずつ色や柄が違うから、なにかテーマがあるのかなぁって」

「あ、オレ聞いたことあんで。ランディエって蝶モチーフやん? けど一人一人で蝶の種類が違うねんて。やから服の柄もバラバラやねん」

「あー、そうだったんだぁ。凝ってるんだねぇ」

「……種類が違う、か……」

「なに。お前までぶつぶつ言って」

「俺たちも似たようなこと出来ねえかな」

 三人はなにも言わないが、視線から「どういうことだ」と疑問を感じる。思いついたばかりのそれを頭の中で整理し、風眞はスマホを操作した。表示したのは某検索サイトで、不思議の国のアリスの概要やあらすじなどが掲載されている。

 タップしたのは、個性豊かな登場人物たちを紹介するページだ。

「俺たちも一人一人にキャラを割り振る――っていうのは、どうだ?」

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