第7話

「それで、誰がどのキャラを担当することになったんだ?」

 翌日の夕方、風眞たちは事務所地下のレッスン室にいた。今日はダンスレッスンのために召集されたのである。

 中に入ると、すでに人が待っていた。どこかで見た覚えのある男だ。目にかかる程度の前髪には橙色のメッシュが二本入っている。背は風眞よりわずかに低いだろうか。待たせてしまった、とすかさず謝る風眞に「気にしなくていい」と鷹揚に笑ってくれた。

 彼は「カレンデュラの丹和にわだ」と名乗った。所長が率いるユニットのメンバーで、四人のダンスレッスンを担当するという。

「あれ、なんでその話知ってるんですか」

 レッスン前の柔軟中に問いかけてきた丹和に、風眞は開脚前屈をしながら首を傾げた。

 カラオケでの話し合いはマネージャーにしか伝えていないはずだ。なぜ知っているのだろう。

「柘榴から聞いたんだ」

「……所長から? あ、マネージャーが所長に話したのか」

「だと思うぞ。あいつが興味深そうにしてたから、俺も少し気になってな。聞いても構わなければ知りたくて」

 所長と違って胡散臭い雰囲気はなく、副所長のような厳つさも感じられない。声音からは安心感と大人の余裕が漂っている。

 信頼しても良さそうだし、そもそも隠すほどのことでもない。「わりと安直に決まりましたよ」と風眞は髪の先を摘まんだ。

「髪が白いからって理由で俺が〝白ウサギ〟。ハートの杖を持ってたんで、麻黄耶が〝ハートの女王〟になりました」

「他の二人は? 善利くんと有葉くんだったか。――ああ、少し背中を押そう」

「すみません、ありがとうございま……いててて」

「悪い。強く押し過ぎたな」

「いや、大丈夫です。もうちょっと押してもらえませんか」

「無理をしてはいけないよ。体を痛めてしまう」

「でもあいつらは……」

 視線の先では他の三人も柔軟中だ。ダンス経験があるという静珂は四人の中で最も体が柔らかく、脚をきれいな百八十度に開き、胸を床にぺたりとくっつけている。麻黄耶と那央もどちらかといえば柔らかいようで、立った状態で前屈した際は床に指先がついていた。

 しかし風眞は静珂を真似てみたものの、想像以上に脚が開かない。股関節はぎしぎしと悲鳴を上げ、体を前に倒すとそれはより強くなる。ぬおぉ、と言葉にならないうめき声が喉から漏れた。

「無理に百八十度も開こうとしなくていい。なんの訓練もなしにやるのは危険だ。開脚なしに体を倒すのはどうだったんだ?」

「気合を入れたらつま先になんとか中指がつきました」

「よし、じゃあまずは気合を入れずに済むようになろうか」

「頑張ります。俺だけ出来ねえってのも、かっこうつかないし。――で、善利と有葉なんですけど」

 確定まで多少の時間を要したのが彼らだった。風眞や麻黄耶ほど、見た目やアイテムで特定のキャラと結びつけられる要素が無かったからだ。

 主人公のアリスをどちらかに割りふろうともしたのだが、那央はピンとこず、静珂には全力で拒否された。背丈と顔の可愛らしさを理由に性別を間違われた過去があり、女子を連想されやすそうなアリスは嫌だと見たことのない速さで首を横に振られてしまった。

「結局、笑い方が特徴的な有葉が〝チェシャ猫〟で、善利は知名度が高そうな〝帽子屋〟になりました」

「いいんじゃないか? 不思議の国のアリスをよく知らなくても、こういうキャラがいたよなって思いつきやすい四つだ」

「ありがとうございます。あとトランプの模様も一人ずつ決めたんですよ。特にこだわりなかったので、〝ハートの女王〟の麻黄耶以外はあみだくじでしたけど」

 結果、風眞がスペード、静珂がクラブ、那央がダイヤになった。トランプのスートの色はスペードとクラブが黒、ダイヤとハートが赤で表されることが多いし、ちょうど一年生と二年生で色が分かれたと言える。

「うまくまとまって良かったじゃないか」

「でも本来の目的は達成できなくて」

 ユニット名の決定に至るのが目標だったのに、キャラをどうするか議論していたら時間切れになってしまったのだ。

 ひとまず各々で考えて、後日提案しあっていいものを選ぶことにした。ネーミングセンスに自信はないが、なにも思いつかなければ静珂に雷を落とされるだろう。

「そろそろ体も温まっただろう。全員いったん集合してくれるか。伝えておきたいことがある」

「なんでしょう」

「君たちをお披露目する日だよ」

「!」

 丹和の前で、四人は同時に目を見合わせた。

「デビュー日ってことですか」

「いや、CDデビューはもう少し先になる。今から説明するのは『当事務所からこんなユニットが出ます』と公に初めて宣伝する日というか、君たちが初めてステージを踏む日についてだ。八月二十二日の月曜日に会場を借りてライブをするんだが、君たちはそこでサプライズ出演してもらう」

「月曜日?」

 ライブに関わらずイベントの開催日は土日や祝日のイメージがあったのだが、夏休み真っただ中とはいえ、なんの変哲もない平日を選んだのはなぜだろう。丹和も不思議だったらしく所長に訊ねたところ「覚えやすくていい記念日だと思うよ」としか言われなかったらしい。

 特に語呂合わせな気もせず、ますます理解できない。所長がなにを考えているのか永遠に分からなそうだ。

「サプライズ……ってことは、他にも誰か出るんですか」

「カレンデュラと霹靂神、あとランディエ――つまりうちの事務所のユニット全てだ」

「なんとなく俺たちだけなのかと思ってました」

「デビュー前から知名度も人気もあるユニットならまだしも、君たち四人のうち二人はまだ素人に等しい。そんな状態で単独ライブをしても、集客は見込めないだろう」

 丹和の言う通りだ。まだユニット名すら決まっていない学生アイドルがいきなりステージに立ったところで、風眞と静珂は名が知られていると言えど、実際に観に来てくれる客はたかが知れている。会場を借りるのもただではない。広告代やスタッフの人件費、機材代などもかかるはずだ。

 だから他の三ユニットもライブに出るのだ。彼らのうち最も活動歴が長いのは霹靂神で、そのぶんファンの数も多い。事務所を移籍してからは初ライブらしく、その姿を見ようとより多くの人々が訪れると思われる。

「つまり客席に空白が目立つような状態にはならない、というのが柘榴の予想だな」

「オレたちだけやったら、最悪の場合すっからかんとかあり得とったやろな」

「とりあえず大赤字は避けられそうって感じだねぇ」

「会場は都内の大型ライブハウスだ。霹靂神だけじゃなくカレンデュラやランディエのファンも来場するだろうが、まあ余裕で収まると思う」

「あの、一ついいですか」風眞は教室で発言をする時のように、控えめにそっと手を挙げた。「俺たちが出演するタイミングっていつなんですか」

「まだ詳しい出演順は考え中だが、恐らく終盤近く……というか、大トリになるんじゃないか?」

 大トリ、と四人の声が揃う。驚きと戸惑い、心配がないまぜになったような響きだ。

 人気ユニットたちが順に披露した末に、突然なんの告知もなかった新ユニットが登場する。緊張するなという方が無理だ。

 しかしそのぶん、人々の印象には残るかも知れない。終演後にはSNSで風眞たちについて書きこむ誰かも少なからずいるだろう。話題になればなるほど後に控えているCDデビューにも影響を及ぼすだろうし、所長もそれを狙っている。

「良いパフォーマンスをすれば、それだけ印象にも残りやすい。歌やダンスは俺たちが教えるが、それをいかに魅せるかは君たち次第だ」

「はい!」と三人の威勢のいい返事に、不安を帯びた風眞のそれは紛れてしまう。

 丹和からダンスの基礎を指導されているあいだも、頭の中はライブのことが常に巡っていた。ただでさえダンスに慣れていないのに、考えごとをしていたおかげで動きはさらに鈍くなる。簡単なボックスステップさえつまずく始末だ。

 スムーズさにおいて秀でていたのは静珂だ。ダンス教室に通った経験があり、一時期はバレエにも手を出していたらしい。試しにアレンジを加えられても難なくこなし、そのたびに那央から拍手を送られていた。

 ――歌もダメ、ダンスもダメ。

 ――……俺、アイドルなんて向いてねえよ。

 翌日、登校早々にぐったりと机に突っ伏して、風眞は内心で呟いた。

 体はそうでもなかったが、考えごとが原因のミスで精神的に疲れていたのか、昨日はベッドに入ってすぐ眠ってしまった。起きれば幾分すっきりしているかと思ったけれど、今日の放課後もダンスレッスンがあると思い出した途端に気が滅入った。

 ――明日は歌で、その次はまたダンスで……あれ、歌だっけ。スケジュール確認しねえと。

 はあ、と重いため息が漏れた。八月二十二日まで四ヵ月を切っている。残された時間には限りがあり、間もなく出来上がるであろう自分たちのための歌とダンスも覚えなければならない。

「あと衣装の採寸もあるとかマネージャー言ってたな……レコーディングはいつだ……マジックの練習やる時間取れんのかな……」

「なにぶつぶつ言うとるん?」

 頭上から降ってきた声にハッとする。ゆるやかに顔を上げると、机の横で麻黄耶が「おはよう」と手を振ってはにかんでいた。

「なんでお前がここに」

「電車ん中で見かけてから、ずっと後ろついてきとったよ。今は教室に荷物置いてきたとこ」

「ストーカーじゃあるまいし、声くらいかけろよ」

「考えごとしとるっぽかったから、邪魔したらあかんかなー思て」

 意外な気遣いに目をまたたいていると、小鳥のように首を傾げられた。

「なんでもねえ。つーか『なんでここに』の返事は」

「那央から預かったもん渡したかってん」

 麻黄耶はブレザーのポケットから紙の小袋を取り出し、風眞の机に置いた。手にしてみると非常に軽く、振るとかすかに音がする。

 なにが入っているのだろう。予想がつかないまま封を切り、手のひらにぽとりと落とした。

「……ピアス?」

「うーん惜しい! イヤリング!」

 耳たぶに付ける部分だろうか。半透明の箇所からは細長い金色の棒が伸び、その先にはエメラルドグリーンに輝くスペードがぶら下がっていた。

「形は違うけどお揃いやねんで」と麻黄耶は自身の髪を耳に引っかける。あらわになったそこで赤いハート形のイヤリングが輝いた。「軽いで付けとる感じあらへんし、ほとんど痛ないで。逆に言うたら落っこちても気ぃつかへんかもってことやけど」

「そうかよ。……ていうか、有葉からって言ったよな」

「那央が作ってくれてん。可愛かわええやろ」

「手先器用だったのか、あいつ」

「そらまあ手芸部やもん」

 知らなかった。ここ数日はレッスン続きで部活に参加できていないだろうが、休み時間など合間を使って制作を続けているらしい。

 試しに装着してみると、確かに付けている感覚はあまりない。顔を振った際に金属が擦れる音がしたり、肌に当たった感触でようやく存在を思い出すくらいだ。

 なぜ那央本人ではなく麻黄耶が渡しに来たのかと問えば、那央は最後に自分のぶんのイヤリングを作っている最中だという。

「せっかくやし付けたまんま授業受けたら?」

「アホか。校則違反になるだろ」

「白髪は許されとんのに?」

「白髪じゃねえ、パールホワイトだ! あとこれはちゃんとモデル業の関係で染めてるって許可取ってるからいいんだよ! 没収されたら面倒だし、放課後にまた付ける」

「オレもそうしとこ。ほんなら用事すんだし、教室もど――――あ、そうや」

 回れ右をして去るかと思いきや、麻黄耶はどこかわくわくとした表情でまた近づいてきた。

「電車ん中でずっと手ぇのとこ、なんかしとったやん。なんやろって気になっとって」

「ああ、あれは……見せた方が早えな」

 風眞はブレザーのポケットからコインを取り出し、麻黄耶に見せつけたり、手に置いてやったりしてなんの変哲もないことを確認させた。次に自身の右手のひらを天井に向け、親指の付け根あたりにそれを乗せる。

 緊張するな、問題ない。言い聞かせるように二、三度深呼吸をして、右手の上に左手をかざした。

 次の瞬間、右手にあったはずのコインが重力に逆らったかのごとく勢いよく飛び上がる。音もなく左手でキャッチすれば、瞬きせずに見ていた麻黄耶が目を見開いた。

「えっ、なに? なにが起きたん、今」

「もう一回見るか?」

「見る!」

 再度コインを飛ばして掴むと、麻黄耶から拍手と歓声を贈られた。もう一度とねだられてくり返しているうち、なにが起きているのかと気になった生徒たちがぞろぞろと集まり始める。

 いつの間にか、風眞の机の周囲にはちょっとした人だかりが出来ていた。

「とりあえず、電車の中でこれの練習してたんだよ。ずっと失敗しまくりで、まともに上手くいったの今が初めてだけど」

「そうやったんや、すごいやん! なあ、他は? 他もなんかマジック出来る?」

「あー……じゃあ、魔法少女ナントカの杖って今持ってる?」

「ジュリアン&ポリアンサな。あるよ」

「ちょっと貸してくれ」

 なにに使うのだろうと訝しげではあったが、素直に渡してくれた。快く貸してくれたことに礼を言って、周りの目線の高さに掲げて順に眺めてもらい、種も仕掛けも無いと示す。

 なにが起こるのかと期待する幾多の眼差しに、唇が自然と弧を描く。

「ここをよく見ておけよ」と風眞は杖で左手を軽く叩いた。「一瞬だからな」

 誰かがごくりと唾をのんだ。その音を合図に「ワン、ツー」と耳に馴染んだ呪文を唱え、とんとん、と杖の先を手のひらに当てた。次の瞬間、

「あっ、えっ。え?」

 風眞の手にあったはずの杖が、忽然と姿を消した。

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