第2話

 授業が終わって昼休みに突入したとたん、教室のあちこちで雑談が巻き起こる。喧騒から逃れるように、風眞は屋上に続く階段へ移動した。

 屋上は生徒が立ち入れないよう常に鍵がかかっており、階段も電気が灯っていないため薄暗い。おかげで人が訪れることは限りなく少なく、一人でゆっくり昼休みを過ごすにはうってつけの場所だった。高校生活二年目にして見つけた快適な空間だ。

「さて、と」

 購買で調達した焼きそばパンを片手に、踊り場の壁にもたれてスマホをタップする。表示しようとしたのは動画投稿サイトで、それとほぼ同時にメッセージアプリの通知があった。「今どこ」と居場所を訊ねるそれを無視しそうになり、その方が後々面倒くさいことになると思い直す。

 仕方なく「屋上近くの階段の踊り場」と返信してからおよそ一分。メッセージの送信主が仏頂面で風眞の前に現れた。

「いつもこんな薄暗いとこでボッチ飯キメてるわけ?」

 静珂だ。黒いブレザーと白地に紺のチェックが入ったシャツは風眞と同じだが、首元を飾るのはネクタイではなくリボンだ。腰に当てた手には花柄の巾着を提げている。恐らく弁当箱だろう。

「教室に居場所ないんだ、かわいそー」

「あるわ。教室だと絡まれるし、うるさくてゆっくり出来ねえからここに来てんだよ。勝手に憐れむな」

「あっそ」

 彼はぺたぺたとスリッパを鳴らし、風眞と向かい合うように段差に腰かける。巾着や弁当箱を開ける姿はどこを取っても絵になりそうだ。

 事務所の所長から「アイドルになってもらう」と言われてから二日が経過している。土日に何度も「やっぱり断れないか」と考えたものの、結局なにもしないまま時間だけが過ぎた。

「で、なんの用だよ」

 焼きそばパンをかじりつつ問いかければ、静珂がひくっと眉を寄せる。

「ユニットの方向性をどうするか考えに来たの。それくらい分からない?」

「なんでいちいち喧嘩腰なんだよ。お前いつもそんな感じなの? よく嫌われねえな」

「猫被るのが面倒くさいだけ。ていうか、お前って呼ばないでくれる」

「この前俺のことコイツ呼ばわりしたのは誰だよ」

 べー、と静珂は舌を出し、澄ました顔で卵焼きと思しきなにかを口に運ぶ。

 なにせ黄色い部分を見つけるのが困難なほど焦げているのだ。もはや炭ではないかと疑いたくなるほどに。ぎょっとしてしまうが、彼は優雅に咀嚼すると「おいしー」と頬を綻ばせていた。

「つーか猫被るのが面倒くさいって、他の奴の前だともっとましなのか」

「当たり前でしょ。ファンの人を相手にする時の顔してますー」

 仏頂面から一転して、静珂は満面の笑みを浮かべてみせる。テレビや雑誌などでよく目にする表情だ。先ほどまでの態度からは想像もつかない愛らしさである。

 この学年には有名人が二人いる。一人は彼――善利よしり静珂であり、もう一人は他でもない自分だ。

 二人そろって現役モデルだが、活躍する雑誌は違うし、接点と言えば「同じ事務所」「同じ高校」くらいしか無かった。顔を合わせれば礼儀として挨拶くらいしていたけれど、まともな会話は所長に呼びだされた時が初めてだ。

「ユニットを組むってことはそれだけ一緒に過ごす時間が増えるでしょ。だったら最初からありのままの自分を見せてた方が楽じゃん」

「……なあ。ユニットって本当に組まなきゃ駄目なのか」

「なに。まだ受け入れてないの?」

「そう簡単に受け入れられねえよ」

 風眞が目指しているのはマジシャンだ。アイドルではない。

 ――だから事務所だって移ったのに。

 以前までいた事務所ではモデルの仕事ばかりで、マジックはあくまで趣味として捉えられた。当然ながら仕事の大半は雑誌や広告の撮影で、このままくすぶり続けるのか、とやきもきしていた折に、事務所の先輩が独立すると耳に入ったのだ。

 彼についていけば、心機一転してやりたかった道を歩めるかもしれない。

 そう思っていたのに、現実はこれだ。

「そんなにマジシャンになりたいなら、コンテストとか大会とか出たらいいじゃん。優勝したらそういう仕事だって増えるんじゃないの?」

 当然と言えば当然の指摘に、風眞はさりげなく視線をそらした。

「……出てんだよ、一応」

「ああ、ふうん」なにかに気づいたような眼差しで、静珂がプチトマトを口に放りこむ。「受賞経験が無いんだ」

「無いわけじゃねえ。あるわ。……一回だけだけど」

「それは何年前?」

「……中二の時。おふくろの実家近くにショッピングモールがあって、そこで手品大会があったから出たことがある。親父から教わったトランプの手品やったら、優勝してさ」

 その会場にたまたま前の事務所のスカウトマンが居り、「モデルにならないか」と声をかけられたのだ。

「でも確かに優勝したのはあの一回きりだ。他にも色々出たけど、いけても準決勝まで。実力不足なんだよ。だからもっと練習の時間が欲しい。アイドルなんかやってる場合じゃねえんだ」

「まーたアイドル〝なんか〟って言った。アイドルのなにがそんなに嫌なの?」

「嫌っつーか、俺に合わねえ。キラキラした衣装とか、歌だってこう、恋愛要素強めなイメージあるし。『あなたを想う』とか『愛してる』とか、よくそんなこっ恥ずかしいの歌えるなって」

「うーわ、すごい偏見。お前あれでしょ、うちに所属してるアイドルすらろくに見たことないでしょ」

 人に「お前呼ばわりするな」と言っておいて、自分はいいのか。風眞がげんなりしたところで、ぽこん、と軽い音が鳴った。静珂のスマホに通知があったらしい。彼は素早く文字を打ちこむと、なにかを思いついたように立ち上がった。

「ちょうどいいや。まだ時間あるし、これ見せてあげる」

 画面に表示されていたのは、風眞が先ほど開きかけた動画投稿サイトだ。静珂は隣に腰を下ろすと、検索欄に「カレンデュラ」と打ちこむ。

「なに、カレンデュラって」

「はあ? それすら知らないわけ?」

 あからさまにため息をつくと、彼は「事務所のホームページ開いて、所属タレント一覧のページ見て」と指示してきた。言われた通りにすれば、トップに所長の写真が表れる。笑顔を使い分けているのか、こちらには先日のような胡散臭さが無い。

 名前部分をタップするよう言われて従うと、別のページが表示された。誕生日や身長など、所長のプロフィールが書かれている。

「そこに所属ユニットの項目があるでしょ。はい、なんて書いてある?」

「……カレンデュラ……ってことは、おま――善利が出したそれって」

「所長がリーダーやってるユニットだよ」

 ふふん、とどこか誇らしげに笑って、静珂は動画を一つ選択した。

 再生されたそれは、風眞が想像していた〝アイドル〟とは少し違っていた。

「なんか、こう、あんまりキラキラしてねえんだな。曲とか衣装とか、暗いっていうか」

「カレンデュラはゴシック系を売りにしてるから。モチーフにしてるのも童話の〝赤い靴〟だし、そもそもの話の内容が明るいばっかりじゃない」

「童話……」

「ボクたちに近いでしょ」

 言いながら静珂がポケットから取り出したのは、先日引かされたお題カードだ。

 裏面には〝不思議の国のアリス〟と書かれている。

「物語をモチーフにしたユニットって意味では、カレンデュラは大いに参考になると思うんだよね。まるっきり真似するのはだめだけど、目指すには最適じゃない?」

「…………」

「ちょっと、聞いてる?」

「聞いてるから、ちょっと黙ってくれ」

 唇の前に人差し指を立て、風眞はじっと動画に見入った。

 画面の中では、所長を含めて三人のアイドルが踊っている。〝赤い靴〟がモチーフなだけあって、三人とも赤い靴を履いていた。袖口に十字架の模様をあしらった黒いジャケットはお揃いだが、スラックスのデザインだとか、天使の羽に似たストールの身につけ方が違う。各々の個性を表しているのか。

 歌詞にも想像していたような甘さはない。悲恋を綴ったそれはダークな雰囲気をまとい、ステージのほの暗い照明と相まって、風眞の思うキラキラさはほとんど感じられなかった。

 ――なんか俺が思ってたのと違う。

 確か事務所にはカレンデュラのほかに、あと二つユニットが所属しているはずだ。

 雷をモチーフとした〝霹靂神はたたがみ〟は和風の二人組らしい。音楽番組に出演した際の動画を再生してもらうと、雷らしい荒々しさが前面に押し出されていた。

 もう一つは中華風の三人組〝ランディエ〟で、こちらは蝶がモチーフだと静珂が語る。二胡にこの調べにあわせたダンスは川の流れのごとく美麗で、三人が奏でるハーモニーも胸に心地よく染み入った。

「ね。アイドルって一言で言っても、いろんなタイプがいるでしょ」

「みたいだな。ちょっと誤解してた。だからって『よし、じゃあアイドルやるか』とはならねえけど」

「はー?」

「しーちゃん、お待たせぇ」

 不意にのんびりした声が響く。誰だ、と風眞が階段を上ってくる誰かに目を向けるのと、静珂が「遅い」と文句を述べるのは同時だった。

「ごめぇん」顔の前で手を合わせ、へにゃりと崩れた表情で謝罪したのは、眠たげな瞳が印象的な少年だ。「ご飯食べてたら遅くなっちゃった」

「だからボク言ったよね。『一緒に食べよう』って。『その方が話も早く済む』って!」

「だって先に違う友だちと約束してたからぁ。あ、でも次からはしーちゃんを優先するし」

「初めからそうして欲しかったんだけど」

「ごめんねぇ」

 静珂は唇をつんととがらせていたが、やがて小さく吹き出して「許す」とはにかんだ。

 ――誰だ、こいつ。

 気安いやり取りから察するに、静珂の知り合いなのは確かだ。ついじろじろ全身を観察していると、視線に気づいたのか、笑顔でひらひら手を振られた。

「初めましてぇ。しーちゃんのお友だち?」

「友だちじゃねえ。ただの知り合いだ」

「同じユニットのメンバーに対して『友だちじゃない』とか、失礼極まりないんだけど」

「友だちって呼べるほどお互いのこと詳しくねえだろ。ていうか、こいつは?」

那央なおくんだよ。一歳年下の幼馴染」

 つまり四月に入学したばかりの一年生ということか。少年――那央は静珂の隣に腰かけ、彼の弁当箱からひょいとブロッコリーを摘まんでいった。

「そういえば僕、なんで呼ばれたの?」

「目の前にいる白髪に紹介しようと思って」

「誰が白髪だ、誰が! パールホワイトって言え!」

「ホワイトなんだからどっちみち白でしょ」

「うるせえな。つーかなんでお前の幼馴染なんか紹介されなきゃならねえんだよ」

 友人たちと昼休みを過ごしていただろうに、わざわざ呼びだしたのだ。なにかしら理由があるに違いない。

「この前ボクが引いたのは不思議の国のアリスだったけど、自分が引いたカードはなんだったか覚えてる?」

 言葉で答える代わりに、焼きそばパンの最後の一口を頬張りながらこっくりうなずく。

 風眞が手にしたのは、なんの因果か〝トランプ〟だった。トランプはマジックでよく使うため馴染みがあり、不思議の国のアリスにはトランプの兵士が登場する。どちらか片方だけモチーフにするより、二つを組み合わせればちょうどいいのではないか、とはカードを引いた当日のうちに決まっていた。

「それとなんの関係がある」

「トランプの絵柄って四つあるでしょ。ハートとダイヤ、クラブとスペード。だからボク、思ったんだよね。ユニットも四人いたらちょうどいいんじゃないかなって」

「……は?」

「つまり、那央は三人目のメンバーってこと」

 そう言った静珂の笑顔は、所長が浮かべる胡散臭いそれにどことなく似ていた。

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