第3話
言われたことを理解するのに十秒はかかったかもしれない。昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響き、風眞は我に返った。
「三人目? なんでだよ、ユニットは俺とお前だけで組むんじゃねえのか!」
「『君たちにはアイドルになってもらう』とは言われたけど、『二人だけでやれ』とは言われてないでしょ」
あっけらかんと言いながら、静珂が弁当箱をしまう。中には米粒一つ残っていない。食べ方の一つ一つがきれいだっただけに、卵焼きの不細工さがいやに記憶に残った。
驚く風眞などお構いなしに、彼は那央を引き連れて階段を下っていく。風眞は慌てて後を追い、腕を掴んで引き止めた。
「勝手に決めんじゃねえ。だいたい所長の許可だって……!」
「ざっくんは『いい案だね』って言ってたから大丈夫」
「誰だよ、ざっくんて!」
「所長だよぉ」と答えたのは那央だ。「しーちゃんと所長は
「……は?」
「とにかく、許可はもらってるから問題ないの」
力が緩んだ隙に、静珂はあっさり腕を払う。そのままこちらの胸に指を突きつけ、「いい?」といたずらな表情を浮かべてきた。頭一つ分低い位置から見上げられれば可愛らしさを覚える者もいるだろうが、今の風眞には嫌な予感しかよぎらない。
「四人いたらちょうどいいって言ったよね。僕は一人見つけたし、あとの一人はお前が選んできて」
「な……」
「期限は今週中。なにもしないで見つけられませんでしたーとか言うのは無しだから。じゃ、また明日」
愕然と硬直する風眞の横を通り抜け、静珂と那央は去っていった。ふざけるなと大声で叫びたいところだが、ここは学校の廊下で自分はそこそこ有名人だ。声を荒らげれば一瞬で騒ぎになる。
なんとか堪えて教室に戻り、授業を受け始めたものの、内容が一切入ってこない。
――四人組にするなんて一言も聞いてねえ。ていうか所長と従兄弟ってなんだ。
あれこれ疑問が浮かんでは頭の中をぐるぐる巡る。風眞はさり気なく周囲を見回して、机の陰でスマホをタップした。
昼休みにも見た事務所のホームページを開き、所長の名前を確認すると「
「
「え? あ、うわ、マジか」
教壇に立つ教師は呆れたように腕を組んでいた。黒板には数学の問題が書かれており、それを解くために指名されたらしい。急いで前に出ると、「居眠りは良くないぞ」と軽く叱られる。すみません、と愛想笑いを浮かべて解答を書く間も、脳内には別の問題が居座り続けた。
――四人目を選べって、なんで俺が。
アイドルとも向き合いきれていないのに、さらにメンバーを探せなど難しすぎる。事務所に所属しているタレントから見繕えないか、と席に戻ってから改めてホームページを確認してみたが、親しい友人など一人もおらず、そんな中から適当に選んだところで静珂から罵詈雑言が飛んでくるだろう。
学校での知り合いも論外だ。挨拶や次の授業について軽い話題を交わせる生徒は何人かいるが、「一緒にアイドルになろう」と誘えるような仲ではない。
――今週中って言ってたよな。ってことは、あと四日しか無えじゃねえか!
一人で勝手に決める静珂はもちろんのこと、彼の案を採用した所長にも、それに従わざるを得ない自分にも腹が立つ。
授業が終わったあとは、部活に入っていないためそのまま帰宅する。いつもは家でマジックの練習をするのだが、余計な思考に邪魔されて思うように進まない。電車の中でくり返していた、手首に乗せたコインを飛ばす〝マッスルパス〟も失敗続きだ。目指している飛距離が出ない。
「……あー、もう」
ぼすん、とベッドに倒れこみ、両手で顔を覆う。明日以降、静珂と合わせるたびに逐一「誰にするか選んだ?」と聞かれそうだ。考えるだけで憂鬱になる。
――言い出しっぺなんだから自分で誰か引っ張ってこればいいだろ。なんで俺にやらせようとすんだよ。訳分かんねえ。
気を紛らわせるべく、風眞は眼前にスマホを掲げて動画投稿サイトを開いた。
思考をリフレッシュさせたいときは、技術を盗むためにもありとあらゆるマジシャンの動画を見る。昼休みもそうするつもりだったのに、余計な邪魔が入ったせいで叶わなかったが。
今日はどれを見ようか。最新作もいくつか投稿されている。おすすめとして表示された中から選ぼうとしたけれど、ふと静珂の言葉がよみがえった。
『物語をモチーフにしたユニットって意味では、カレンデュラは大いに参考になると思うんだよね』
「…………」
指先はいつの間にか、検索欄に「カレンデュラ」と打ちこんでいた。
カレンデュラはダンスを得意としているらしい。三人の一糸乱れる動きが目をひきつける。どこかのライブ会場で撮られたものなのか、客席にはそれぞれのテーマカラーを灯したペンライトがメロディーに合わせて揺れていた。
続いて
「で、あとは……ランディエ、だったか」
動画紹介の欄には彼らの結成時期が書いてある。先の二つのユニットに比べるとまだ新しく、まだ二年も経っていない。もともと個人でモデルなり俳優なりの分野で活躍していたところ、メンバーの一人が他の二人に声をかけてユニットを組むに至ったそうだ。
――モチーフとして参考になりそうなのはカレンデュラで、モデルとかやってたって部分で近いのはランディエか。
モデルからアイドルになる際に、迷いや戸惑いは無かったのだろうか。話を聞いてみたいけれど、まともに関わったことが無い。所長に頼めば場を設けてくれるかもしれないが、彼に借りを作るのはなんだか癪だった。
「風眞ー?」と部屋の扉がノックされる。母だ。「晩ごはん作るんだけど、手伝ってくれない?」
「分かった、今行く」
このまま一人でいては考えごとで頭が爆発しそうだ。風眞はスマホを枕の上に放ってキッチンに向かった。
「それで? もう金曜日なんだけど?」
階段の踊り場に低音が響く。仁王立ちした静珂を前に、風眞は居心地の悪さを感じながら壁にもたれた。
「だから悪かったって言ってるだろ」
「悪かったって顔してないんだけど。ボク言ったよね? あと一人はお前が選んで来いって。てっきり今日は紹介してもらえるものだと思ってたのに、なに? いい人誰もいなかったわけ?」
怒りを隠そうともしない静珂の隣で、那央は暢気に鼻歌を奏でながら弁当を頬張っている。海苔やハムなどで彩られたいわゆる〝キャラ弁〟で、毎朝自分で作っているらしい。愛らしい猫の顔が収まっていたが、顔の上半分が消失したそれからはどことなく悲哀が漂っていた。
「ちゃんとメンバー探す努力したの?」
「したっつーの。した上で見つからなかったから謝ってんだろ」
嘘はついていない。ちゃんと誰がふさわしいか考えたのだ。
しかしそもそも自分が乗り気でないのに、果たして「一緒にやらないか」と声をかけていいものか。相手だって、そんな状態で誘われても困ってしまうだろう。
結果、誰にも声をかけられず、ずるずる引き延ばした末に期日を迎えたのだ。
「つーか四人組にするって勝手に決めたのは
「確かにボクが選んできてもいいけど、それだとボクと仲良いって理由で『ボクの意見が通りやすいユニット』になっちゃいそうでしょ」
「つまり、なんだ? 派閥みたいなのが出来るのを避けたいってのか」
そういうこと、と静珂は段差に腰かけながらうなずく。今日の弁当箱にも卵焼きらしきものが入っているが、やはりほとんど黒焦げだった。
「ちゃんと理由あったんだな」
「なんの意味もなくメンバー探しを押しつけたと思ってたわけ? 心外なんだけど」
「しーちゃんは誤解されやすいもんねぇ」
にひゃひゃ、と那央が笑えば、静珂は恥ずかしそうに耳を赤くして彼の頬をつねっていた。
「それならそうと最初からそう言えよ。いきなり『メンバー探せ』って命じられて『はい、分かりました』ってうなずけるかよ」
「……それは確かに、ちょっと反省してるけど」
「ちょっとかよ」
「んー、じゃあさぁ、このまま三人で組む?」
期日までにメンバーを探せなかった以上、そうする他ないだろう。風眞がうなずくより先に、「ううん」と静珂が首を横に振って否定した。
「せっかくトランプもモチーフに組み込むんだったら、やっぱり四人いた方がいいと思う」
「別に柄にこだわらなくていいんじゃねえの。キングとクイーンとジャックなら三人で済むし」
風眞の意見ももっともだと感じたのか、静珂が反論してくる様子はない。つんと唇を尖らせて俯いてしまう。
ちゃんと物語を読んでいないために知識は浅いが、記憶が確かなら不思議の国のアリスにはハートの女王が登場する。クイーンつながりでうまくまとめられそうな気がしなくもない。
「じゃあユニットは四人から三人に変更。それでいいな」
「……まあ、仕方ないか。デビューまでに決めなきゃいけないこととかいっぱいあるし、歌とかダンスの練習だってあるし」
なにげない一言に、風眞はぱちぱち目をまたたいた。
聞き間違いでなければ、静珂は今、デビューがどうとか言わなかったか。
「なあ!」思わず声を上げ、滑るように彼に詰め寄った。「デビューの日ってもう決まってんのかよ!」
「詳しい日までは僕も聞いてないよ。でも夏が目安だって事務所の人たちは噂してた」
「夏……ってもうすぐじゃねえか!」
世間一般で夏と言えば大まかに六月から八月が該当するだろう。
現在は四月下旬。つまり風眞たちがデビューするまで最短で一ヵ月半、最長で四ヵ月ということだ。なんとなく一年程度は余裕があるだろうと高をくくっていたのに、想像以上に期間が短い。
なぜそこまでデビューを急ぐのか。一番の理由は話題性だろう。所長が新しく事務所を立ち上げてから一年も経っておらず、そんな中で新ユニットが出たとなれば、間違いなくニュースになる。
――まずい。デビューしたらいよいよマジシャンになる夢が遠ざかる。
焦りで手に汗がにじむ。アイドルのレッスンを始めればマジックに割く時間も減ってしまうはずだ。そのぶん技術は落ち、大会などで実績を重ねることも難しくなるだろう。
――そんなの駄目だ。アイドルはやりたくないって、もっと本気で所長に伝えないと……――
「あ!
風眞の思考を遮るように、安堵したような声が耳を打つ。なにごとかと目を向けると、階段の下に見知らぬ男子生徒が立っていた。
「昼休みの間ずーっと探しとったんやで! こんな薄暗いとこに居るとは思わへんやん、びっくりするわ」
「……誰?」
ぺったぺったと弾みながら近づいてきた彼に、風眞の口から疑問がこぼれた。静珂たちの知り合いかと思ったが、二人ともきょとんと目をまたたいている。
癖のある黒髪の下には無邪気な笑みが浮かんでいた。丸い瞳には爛々とした光が宿り、校内を走り回っていたのか、頬はうっすら赤く染まっている。
「えーっと、風眞先輩と静珂先輩で
「そう、だけど」静珂はうなずくが、同時に眉間にしわを寄せていた。「そういうお前は誰? なんかボクたち探してたみたいだけど」
「ああ! すんません!」
彼は軽く手を叩くと、両手でピースサインを作って風眞たちに見せつけるがごとく腕を前に伸ばした。
「
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