風船葛は夢を見る
小野寺かける
第1話
『いいか。二人ともよく見るんだぞ』
すきま風が入りこむ居間の中央で、トランプを片手に父が念押ししてくる。風眞と並んでひざを抱えた姉が、嬉しそうな顔でこくこくとうなずいていた。
父は器用にトランプを扇状に広げ、好きなカードを選べと二人に差し出してきた。姉はダイヤのクイーン、風眞はスペードの七を選んでお互いに見せあい、適当に混ぜられた束の中に戻す。
トランプはさらにシャッフルされ、もうどこに自分の選んだカードがあるのか分からない。だが父はニコニコと余裕げに、一番上のカードをぺらりとめくった。どちらが選んだものでもない、ハートのジャックだ。
しかし父がカードを裏返し、『ワン、ツー』と短く唱えて再びめくってみれば、どういうわけかダイヤのクイーンが現れた。驚く姉弟を前に、父は束の一番下から一枚ひっこぬいて渡してくる。恐るおそる受け取って目を落とすと、風眞の選んだスペードの七だった。
『すごい!』声を上げてはしゃぐ風眞に、父は心底嬉しそうな顔をしていた。『どうやったの? なんで選んだカードが分かったの?』
『魔法だよ。さっき呪文を唱えただろ? あれはお前たちのカードを呼びだす魔法の呪文だったんだよ』
『お父さんって魔法使いだったの? 知らなかった!』
『そうだろ。知らなかっただろ。言ってなかったからな』
『じゃあ私たちも魔法使いなの? お父さんの子どもだもん』
姉はうきうきと父からトランプを受け取り、先ほどの真似をして『ワン、ツー』と表面を叩いた。だがめくってもダイヤのクイーンは無く、何度やっても自分の選んだそれは現れない。
しょんぼりと肩を落とす娘に、父は頭を撫でながら言う。
『魔法を使うには練習が必要なんだ』
『練習したら魔法使いになれるの?』
『なれるさ』
『私も風眞も、お母さんも?』
『ああ。誰だってなれる』
その後父は、よく家を空けた。それと比例するように自宅はどんどん綺麗になり、居間にはいつしかすきま風も入らなくなって、家族四人で狭苦しく過ごしていたのが嘘に思えるほど広くなった。
『家が広くなったのも、お父さんの魔法のおかげよ』と語る母の横顔は、高校生になった今でもよく覚えている。『お父さんがたくさん魔法を使ってくれるから、風眞たちも幸せに暮らせるの』
がたがたと揺れる電車の扉にもたれかかり、風眞は次々と変わる景色を見るともなしに眺めつつ、手のひらでコインを弄んだ。どこの国の硬貨だろうか、誰とも知れない顔が描かれたそれを親指の付け根あたりに移動させる。くっと軽く指を動かすと、コインは音もなく表から裏にひっくり返った。
想定ではもっと高く飛ぶはずだったのに、今日は調子が悪い。毎回やって毎回成功できるようにしなければ、父のような〝魔法使い〟になるなど遠い夢で終わってしまう。
もう一度試そうとしたところで、次の停車駅を知らせるアナウンスが流れた。目的地だ。
ふと扉のガラスを見ると、物憂げな己の顔が映りこんでいる。顎の下まで届く長い前髪は真ん中で分けているため、表情はよく分かった。パールホワイトに染めた髪は根元が黒くなりつつある。近いうちに染め直さなければ。そうと気づいた眼差しは鋭く、とても人を幸せに出来るようなものではない。
――もっと練習しねぇとな。技術も、笑顔も。
誰にも気づかれないようなため息をついて、風眞はブレザーのポケットにコインを押しこんだ。
「……あの、今なんて言いました?」
長机とパイプ椅子、ホワイトボードだけが置かれた殺風景な部屋で、風眞は気の抜けた声を上げた。
「『君たちにはアイドルになってもらう』って言ったよ」と答えたのは、向かい側に座った若い男である。顔の左側を前髪で覆い、露出した表情はうっすら微笑んでいて気味が悪い。「それがどうかした?」
「『どうかした』もなにもないですよ。意味が分かりません」
机を叩いて立ち上がれば、硬質な音が無機質に響く。あわせて睨みつけても男に動じた様子はなく、穏やかな笑みのまま視線だけで着席を促された。
納得できていないのに従ってたまるか。机を叩いた姿勢のまま固まっていると、左隣から「ちょっと」と面倒くさそうな声が飛んでくる。はっとしてそちらに目を向けると、小柄な少年がパイプ椅子にもたれて腕を組んでいた。丸い瞳の上では細い眉が不機嫌そうに寄っている。
「話を中断させないでくれる。最後まで聞くって言う誠実さはお前に無いの?」
「んだよ偉そうに」
「人の言うことを最後まで聞かないで『意味が分からない』って反発するのは偉そうじゃないわけ?」
「はあ?」
「はい二人とも、そこまで。風眞くんもとりあえず座ろうか」
言い合いに発展するより早く、男が柔和に割りこんでくる。
少年の文句に言い返したいのを堪えて、風眞は渋々座り直した。しかし態度は不貞腐れたまま、机に頬杖をついて無意識に唇を尖らせた。
「『アイドルになってもらう』っていうのは、どういう意味ですか?」
少年の問いかけに、男は「そのままの意味だよ」と目を細める。
「うちの事務所には何組かアイドルのユニットがあるけれど、僕が率いてるのも含めてよそから移ってきたユニットばかりだ。つまり」
「うちとして新規のユニットを作りたい、と?」
「
静珂と呼ばれた少年は誇らしげに胸を張り、ちらりと横目で風眞を見てくる。いかにもなドヤ顔だ。腹立たしい。ふん、と鼻から息を押し出して視線をそらした。
「拒否権は無いんですか」
「あれ、風眞くんはアイドルになるの嫌?」
「嫌に決まってるでしょ!」
馴れ馴れしく下の名前で呼ばれるのも嫌だ。しかし必要以上に反発するのも良くないと頭では分かっている。
なにせ目の前にいる男は、この事務所の所長なのだから。
「俺はマジシャンになりたくてここに移ってきたんですよ。なのになんでアイドルなんかやらされなきゃいけないんですか」
「アイドル〝なんか〟って、傷つくなあ」
「その言い方はないんじゃない」
所長は悲し気に瞳を潤ませて肩を落とし、静珂からは批難の眼差しを向けられる。
確かに言いすぎたかもしれない。風眞はぐっと言葉に詰まった。その隙に所長は涙を引っこめて、また先ほどまでの胡散臭い笑みを唇に乗せる。どうやら嘘泣きだったようだ。
「さっき静珂くんが言ったように、うちを立ち上げてから初のユニットがそろそろ必要かなと思ってね。自分で言うのもなんだけど、僕ってそこそこ人気があるでしょ。そんな僕が新しく事務所を立ち上げて、さらに新ユニットも出てくる! なんて、話題と注目を集められるよね」
「だからってなんで俺なんですか。他にも適任がいると思いますけど」
「そうかな。僕は君こそ適任だと思うけど」
「あなたとは意見が合いそうにないです」
「はい!」静珂が勢いよく手を挙げ、所長はどうぞとうなずく。「新規のユニットを作りたいって言ってましたけど、それってもしかしてボクとこいつを組ませるってことですか」
「静珂くん、またしても正解だよ。偉いね」
よしよしと頭を撫でるジェスチャーを贈られ、静珂は花が開いたように晴れやかに笑った。幼さの残る顔立ちと小柄な体型が相まって、一瞬だけ少年ではなく少女なのではと誤解しそうになる。
――ていうか待てよ。俺のこと今コイツ呼ばわりしなかったか。
「風眞くんも静珂くんも、これまでモデルとして活躍してきた実績があるよね。知名度も人気度もそれなりだ。そんな二人が組んだってなれば」
「『話題と注目を集められる』ですか?」
風眞が答えを先読みして吐き捨てるように言うと、所長は「正解」と微笑みながら指を鳴らした。
「やけに話題とか注目とか気にしますね。そんなに大事ですか」
「大事だよ。そうじゃないとデビューしたところで気づかれない。人知れず踊って歌って声を上げたって、誰にも届かないんじゃ意味がないでしょ?」
彼の台詞には一理ある。納得せざるを得ない。無名の新人がなんの宣伝もなしにいきなりアイドルとしてデビューするより、別の分野で多少は名の知れている風眞と静珂であれば確かに注目されるだろう。
だが、しかし。
――俺はアイドルになりたいわけじゃない。
たとえそう訴えたところで、所長が「分かった。じゃあ他の人にお願いしてみるよ」なんて引き下がるとは思えない。
「アイドルになってみない?」という提案ではなく「アイドルになってもらう」――つまり決定事項なのだから。
「さて、じゃあ二人にはこれを選んでもらおう」
風眞が沈黙していた間に、所長はなにやら身をかがめる。足元にカバンでも置いてあるのか、ごそごそと探る音が聞こえた。
彼が取り出したのは、輪ゴムでまとめられたカードの束だった。
するすると扇状に開くさまは、過去に見た父の姿と被る。
「……なんですか、それ。真っ白だしトランプじゃないですよね?」
「例えて言うなら『お題カード』かな」
所長はカードを束状に戻すと、慣れた手つきでさくさく混ぜる。風眞の観察が間違いでないのなら、カードは十枚あるはずだ。
「二人とも知ってると思うけど、うちに所属してるユニットはなにかしらイメージというか、モチーフにしてるよね。雷とか蝶とか、物語とか。カードにはそういう、モチーフになりそうなものを書いてあるんだ」
「そこから選んだものがボクたちのユニットのモチーフになるってことですか?」
静珂の問いに「そう」とうなずいて、所長は再びカードを広げてずいっと差し出してくる。
「一枚ずつ選んでくれるかな。二枚選んだうちの片方だけを採用するか、どちらも使うかは君たち次第だ」
静珂はためらうことなく、我先にとカードを引き抜いた。先に見てしまえばいいのに、風眞が引くのを待っているのか、モチーフが書いてあるという面を机に押しつけたままこちらを横目でうかがっている。
「…………」
引きたくない、アイドルにはなりたくないと拒否したい。
――でも、そうするしか選べねえなら。
ふー、と息を整えて意を決し、風眞はカードに手を伸ばした。
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