第14話

十時四十分。

チャイムが鳴ると、社会学の時と同じように西岡が誰かを連れて来た。

今度は気の弱そうな小柄な中年男性だった。

今度は何も話さずに西岡が紹介すると、そのまま退室した。


「先程、西岡先生からご紹介に与りました。田端です。僕は臨床心理士です。実は国語の先生である上野先生とは違って、僕は本学の人間です。カウンセリングルームに来て頂ければ殆どの時間はそこにいるので、お待ちしております。」


田端の声は何かに怯えているような小さな声をしていた。

声質的にも大きな声を出せなそうだったが、それ以前に、シンプルに声が小さいのであった。

教室中が田端の声を聞く為に、耳を澄ませた。

黙りこくった教室に少し気まずそうに、田端は話していく。


「では、本日の講義に移りたいのですが、皆さんはエニアグラムと言う言葉を聞いたことはありますかね?聞いたことある人は手を挙げてみてください。」


英琳は聞いたことがあった。

しかし手を挙げなかった。

誰も手を挙げなかった。

英琳以外にも知っている人は恐らくいるだろうが、誰も手を挙げることはなかった。

最初だけは。

少しの間の後、一番前の席に座っていた男性が手を挙げると、その後の数本だけ挙がった。

英琳もそろそろと小さく手を挙げた。

まさか自分が指名されるとは思いもしなかったからである。


「では、後ろの席に座っている方。簡単に説明をお願いしても良いですか?」


余りにも突然のことであったので、英琳は少しフリーズした。

自分の他にも手を挙げていたかもしれないと少し黙っていると、咲和が諭すように肩を叩いた。


「こけしちゃんだよ。」

「エニアグラムは性格診断の一つで、九つの特性に分けるものです。」

「その通りです。ありがとうございます。エニアグラムは性格診断の一つで、九つある特性に自分の性格を当てはめるものです。」


田端の講義は上野の講義とはまた違った意味での退屈さがあった。

最初ばかりは皆、田端の小さな声を聞き逃さないように真剣に聞いていたが、穏やかな声は眠気を誘う。

講義を三十分も聞けば皆、バタバタと倒れていく。


英琳はこの講義でも眠ることはなかった。

しかし眠らなかっただけで、内容が頭に入っているか否かは別である。

起きた状態であれど、眠くないわけではない。

心理学は国家資格を取得する為に必要な必須項目だが、実際の試験には一切出てこない。

だから、田端もこの講義において考査を設けるようなことはしていない。

だから、最悪眠ってしまっても問題ないのである。

出席さえしていれば単位を落とすことはない。


チャイムが鳴ると同時に皆、眠りの世界から現実世界へと意識を取り戻した。

田端が教室から出る前に大半の学生が教室から出て行った。

殆どが外出勢で占めているこの学年では、昼休みのチャイムが鳴ると大半の人間が消える。

唯一教室に残っているのは英琳達くらいなものである。


第二回目の昼食。

前回は英琳と咲和だけで食べていたが、本日は違った。

昼休みの最初は六人で丸くなって昼食を食べた。

しかしそれも最初だけで、昼食を早々に終えた男性陣は外へ散歩へ出て行った。

教室に二人だけになった英琳と咲和だったが、昼食を終えると数学の教科書を眺めだした。

それは比較的簡単なものであった。

高校で習う数学Ⅲの、三次関数までと言ったところである。

どうやら応用の微分や積分は『基礎数学』の範囲ではないらしい。


「難しそうだね。こんな、曲がっているグラフ見たことない。」

「え、これ簡単だよ。三次関数を微分していけば解けるもん。」

「微分って何?」

「あー、成程。数学やらなかったの?」

「うん、あたし文系出身。」

「微分ってね…」


英琳は簡単な微分の説明をしたが、何も習っていない咲和にはさっぱり分からないようであった。

咲和の頭が沸騰しそうになった時、四人の女性陣が教室に戻ってきた。

女性陣は外食派ではなく、コンビニ派であったらしい。

各々の昼食に食べる食物を持っている。

定位置に着席すると上がりきったテンションで騒がしく話し出した。


英琳と咲和的には少し迷惑だったが、表情には出さずに、互いに気付かれないように装っていた。

しかし相手がどのように思っているのかは悟ってはいた。

教科書に目を落として静かに話していた二人であった。


昼休み終了まで二十分くらいになった時である。

女の子達が英琳と咲和の方へと近付いてきた。

英琳は正直、少し怖かった。

今から一体何をされるのか。

不安で仕方がなかった。

しかし今は自分一人だけではない。

咲和がいる。

咲和は喧嘩が強そうだ。

身長もあるし、恐らく力もある。

大丈夫と、心の中で自分に言い聞かせた。

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