第13話

九時少し前。

入学して最初の講義は流石に誰も遅刻せずに、真面目な顔をして席に着いている。

教室には既に定位置と言うものが出来上がっていて、真面目そうな男性集団は教室の前側に。

女の子達四人はその右後ろに。

少し不真面目そうな色の髪をした男性集団は二組有り、一組が女の子達の左に。

別の一組が女の子達の後ろに。

そして英琳達が教室の左後ろに陣取っている。

英琳達の詳しい配置も自然と決まっており、英琳と咲和は必ず隣に座っている。


九時ぴったりに教室の前ドアが開き、見知らぬ中年女性を後ろに連れた西岡が教室に入ってきた。

教壇に立つと二人でぼそぼそ何やら少し話した後に、座席の方へ向き話し出した。


「社会学の上野先生です。では、あとは宜しくお願いします。」


上野は西岡に軽く頷くと西岡が教室を出るまで少し待った。

ややあって、上野は話し出した。


「皆さんの社会学を担当する上野です。実はこの時間の他にも、倫理学の講義も担当するので、今年度中はお世話になります。私の講義では教科書は一切使用しません。その代わりに、こちらの、レジュメを使用します。」


(…?レジュメ…。)


耳馴染みのない言葉に頭の上に疑問符を浮かべる学生がいくらかいる。

確かに『レジュメ』などと言うワードは高校生までの授業では聞かない。

英琳もお気に入りの医療系学園小説以外ではそのワードを聞いたことも読んだこともない。


「レジュメとは、教科書の代わりにその内容を要約した物になります。私の講義ではこのレジュメを必ず使用するので、これは無くさないようにしてください。」


そのレジュメはかなり分厚かった。

A4の用紙に両面印刷、端から端まで基本的には文字。

文字、文字、文字。

文字の中にたまに意味不明な図形が乗っていたりする。

意図的か否かは不明だが、少し多めに白枠が設定されているように見える。


「あと、一つ宣告しておきたいことがあります。私の講義の最後は必ずレポートを書いて頂きます。と言っても自分の考えを書いて頂くだけなので、何も難しいことはありません。レポート用のプリントは最初に配るので、講義中に書いても構いません。このレポートを書いて頂く代わりに、私の講義では考査はありません。レポートが評価の全てです。では、講義を始めます。」


英琳が想像していた社会学の講義は、どちらかと言うと統計学的なことを学ぶものであった。

しかし実際は社会全体を広い目で見たものであった。

人と人との関わり、『社会』とは一体どんなものなのか、そんな内容だった。

はっきり言って、この講義は上野の脱線話がなければとても詰まらない講義であった。

内容自体はとても退屈(注;あくまで個人の見解です)。

丁度講義の中盤、四十五分に差し掛かった時、英琳が教室を見渡すと殆どの学生が眠りの世界へ旅に出ていた。

ちゃんとそこに意識を置いている人間は英琳を含めた七人位であった(実際にはもう少しいて、十人程である)。


不思議なことに、割と皆レポートを書くことができた。

それもそのはずである。

起きていた学生の講義メモを見て、レポートを書いているのだから。

講義メモは云わば学問を凝縮した内容を圧縮したようなものなのだから。

その出来はともかく、枠を埋めることはできるのである。

要は『自分の意見』を書けばいいのだから、難しいことはない。

『書くだけなら難しくない。』のである。


レポートは早めに回収され、上野は採点し始めた。

その時間は完全に自由時間にして良いらしく。

学生達は自分の思うように過ごしていた。

回収してから一五分すると上野は評価の書かれたレポートを返す為に、一人一人の名前を呼んでいった。


帰ってくる時の顔はそれぞれである。

思った以上に評価が良かったのか、口元の喜びが隠し切れない表情の者もいれば、『まぁ、こんなもんか』と言わんばかりの表情をした者もいた。

英琳の評価は最高で講義中、注意をされないことを良いことにずっと眠っていた怜音は最低評価であった。


平然とした表情でそこに座っていたので、怜音のプリントを見るまでは誰も気付かなかったが、後ろから覗き込んだ國安の声で一瞬にしてその評価が他五人に知れ渡った。


「お前、こんなので、これはまずいって…」

「何々?」

「うわっ。」

「百点中、六十点…。」

「ギリじゃん。」

「何で皆そんなに評価良いんだよ。」


『レジュメ』の時みたいに頭の上に疑問符を浮かべている怜音の手元から、彼のプリントをむしり取った咲和は表情を変えずになぜだか頷いていた。

『成程成程。』と言った声は少し楽しそうだった。

英琳も気になって覗いてみると、それは誤字脱字だらけのレポートだった。

上野の赤ペンで逐一直されている。

小学生レベルの間違いもある。

これでは良いことを書いたとしても、正当な評価など貰えない。


「怜音は、国語の勉強からだな。」

「いや、どうせだから小学校からやり直すか?」

「漢字間違えるくらいなら、一層のこと平仮名で書けば?」

「おいおい、俺、今年で十九歳なんだけど…」

「それくらいまずい状態だってことだろ。」


怜音の学力がとても低いことが判明したところで、チャイムが鳴り一回目の社会学の講義は終わった。

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