第11話

四階中央の部屋。

よく日の光が当たるLDK、家賃三万円。

このアパートメントの家賃は上京して来た学生や新社会人の為に格安で設定されている。

一番人気は一階の角部屋、一番人気のない部屋は四階の角部屋。

日当たりが良い部屋は洗濯物を効率良く干すことができる。

だから竜之介はこの四階を選んだ。

隣に誰もいない部屋をわざわざ選んだのは人気のない、物静かな所が落ち着くから。


朝日が東京の高層ビルの間から顔を出すと、窓際に設置したベッドの上で眠っている竜之介の顔を照らす。

眩しくて目を覚ます。

竜之介は朝日を目覚まし時計代わりにしていた。

しかしその日の天気は雨で、日の出と同時に起きることができなかった。

春の平均日の出時刻は六時少し前、竜之介はその時間にいつも目を覚ましていた。


夢を見ていた。

入学式の日、一目惚れした綺麗で、可愛くて、少しおっちょこちょいな女の子。

中背で方が小さい小柄な女の子。

いきなり声を掛けると驚いて、物を落とす。

そうでなくても手に持っていた物を落とす。

そそっかしい女の子。

その女の子の名前は英琳、最中英琳。

竜之介はまだ、英琳の笑った顔を見たことがない。

しかし夢の中の彼女は笑っていたような気がした。

彼女は笑いながら竜之介の頬に手を添えて…。


丁度、続きが気になるような時に夢と言うものは覚めてしまう。

彼を夢の世界から覚醒させたものは近くのお通りを走る救急車のサイレンの音だった。


 (あーあ、いいところだったのになぁ。)


英琳が引っ越してきたお隣の部屋からは、ほとんど物音はしない。

竜之介が珈琲を淹れて、いつものように熱々の状態で飲みほした時、何かを落としたような音が微かに聞こえてきた程度であった。


遅刻しないように少し時間に余裕を持たせて、部屋を出る。

思い切って英琳を誘って、一緒に登校しようとも思ったがインターフォンを押そうとしてやめた。

彼女の生活を乱してはいけないと思ったからである。

振り返ってそのまま階段の方へ歩こうとしたその時、後ろからドアが開く音がした。

英琳の部屋の方を見ると、彼女がそこから出てきた。

本日は眼鏡をせずに、手には大きなゴミ袋を持っている。

竜之介の心は踊った。

少し曇っていた所にヤコブの梯子の如く、一筋の光が起った。


 「おはよう!」

 「あ…、おはよう。」


 ぎこちない挨拶。


 (俺、嫌われてる…?いや、嫌われるようなことは何もしていないはず…。大丈夫、きっと大丈夫。)


 「丁度良かった。学校、一緒に行かない?」

 「うん。」


やはりぎこちのない返事。

多くの人は少なからず相手のことを思っていたならば、もう少し明るい反応を見せるだろう。

今の英琳はどちらかと言うと、登校初日のクールを気取ったものは通り事して、何だか冷たい。

『氷塊』と言ったところであるだろうか。

そう言えば、挨拶をした時、彼女の瞳孔は竜之介の瞳を見ていなかったような気がする。

そう思った彼は試しに話し掛けてみる。


 「そう言やさ、部屋片付いた?」

 「うん。」


勘違いではなかった。

やはり英琳は竜之介を見ていない。

歩いているからでは無い。

今はエレベーターに乗っているし、一階まで止まる様子もない。

竜之介と英琳はすぐ隣に並んで立っている。

瞳を合わせるのは難しいことでは無い。

何かを思いついた竜之介は体勢を少し変えた。


英琳はドアをずっと見つめている。

真っ直ぐにドアの方へ向けられているその視線を遮るように竜之介は彼女の顔を覗き込んだ。


 「どうしたの?」


英琳は唐突に現れた竜之介の顔に驚き、一歩、後ろに下がった。

だが、何を思ったのか直ぐにその表情は先程までの冷たいものへ戻って行った。

そして、何事も無かったかのように彼女はエレベーターの『開くボタン』を押した。

本来ならば男が女の子に先に降りるように促すのだが、英琳は断固として自分が後に降りたそうなそぶりを見せたので竜之介は従った。


駅は近い。

それまでも道も、その先も電車内でも竜之介は英琳とお話をしたく、ぎこちなく素っ気の無い返事が返ってくることを覚悟の上で話し掛けた。


学校の最寄り駅である田町駅へ到着した時、竜之介はやっと英琳に聞いた。


 「俺、何かした?」


英琳はハッとした顔になり、そして少し俯いた。

竜之介の顔を見ないように下を見ながら小さな声で言った。


 「ごめんなさい。そんなんじゃないの。気を悪くさせたなら、本当に…ごめんなさい。」

 「あ、違うんだ。そういう事じゃなくて、なんて言うかなぁ…、その、ちょっと冷たかったか」


と言いかけた時、後ろから声がしてきた。

それは英琳と竜之介を呼びかける声だ。

振り返ってみると、また厄介な人間がこちらに向かってきている。


 (こんな時に…)


厄介払いをして、こちらもまた気を悪くしたら、もっと面倒なので仕方なく、竜之介は通常運転で対応することにした。


 「おう、おはよ。」

 「いや、今日さ、早く起きすぎてなぁ。」

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