第10話

入学式、登校初日は木曜日と金曜日であったので、次の日は土曜日だった。

夜中泣きはらした瞼は腫れぼったく、眼球も充血状態であった。

視力が弱い英琳は普段コンタクトレンズを着用しているが、この目のコンディションでは到底着用などできない。

しかしこのままでは一寸先もぼやぼやなので、コンタクトがなくなってしまった時用に持っている赤い眼鏡をかけた。

自分では眼鏡があまりに合わないと思っている英琳は外ではかけたくないので、コンタクトにしているくらいである。

この状態では(瞼も腫れて若干赤くなっているし…)学校になど行けるわけがない。


(今日が休日でよかった。)


掃除に洗濯、ゴミまとめを済ませると朝食の準備に取り掛かった。

時刻はまだ九時を少し回ったところ。

冷蔵庫を開けると中身は沢山入っていたものの、彼女の好物である茄子が使い切られていることに気付いた。

朝食に茄子を焼いて、白米と共に食べようと思っていたので彼女は食べる物に困ってしまった。

冷蔵庫には何も入っていないわけではないのだが、今食べたいのは焼き茄子。


しかし、いくら冷蔵庫の中を探しても茄子は存在しなかった。

仕方がないので、昨日の弁当と一昨日の夕飯で使い切れなかったピーマンを焼いて食べることにした。

それと卵焼き。


ご飯を食べた後、今日はゆっくりしようと暫くの間はベッドの上で寝転びながらお気に入りの漫画本を読んでいた。

ふと、充電中のスマートフォンに目が行った英琳はあることを思い出した。


(そう言えば…)


思い立った彼女は直ぐに引っ越しの準備を始めた。




朝から騒音が聞こえてきた。

隣の誰もいないはずの部屋からである。

人が出たり入ったりする音。

防音対策の優れたアパートメントだったが、地獄耳の人間には聞きたくなくても聞こえてしまうのだ。

日曜日は十時に起きて、珈琲を豆から挽いて、熱い状態のまま胃に流し込む。

焼きたてのトーストにバターと蜂蜜を塗って、一齧りする。

傍らには堅めのヨーグルトが置いてある。

デザートにそれを食べるのである。想像しただけでも優雅な光景である。

そんな日曜日を想像していたのに。朝八時に目が覚めてしまった。

何度ももう一度眠ろうと眼を瞑りはしたが、その度に隣の部屋の音が邪魔をしてくる。

仕方なく、起きることにした。


「一体何なんだ…、引っ越しの時期でもあるまいに。」


竜之介の寝間着は寝間着とは言えない。

パジャマではなく、半袖ティーシャツにジャージのハーフパンツ。

ゴミを出すがてら、隣の部屋の様子を見てやろうと思った。

その主が綺麗な大人な女性だと、こんな姿を見せることが罪深い。

隣の部屋なのである、何が起こるのかはまだ分からない。

念の為、顔を洗って髪もブラシにかけた。


外に出ると誰もいない。

しかし、アパートメントの直ぐ傍には軽トラックがあった。

荷台には少しの荷物。

それを下ろしている者もいない。


(………)


ゴミ捨て場にゴミを置き、部屋の辺りまで戻ってくると今度はモデル体型の格好良い大人の男性が隣の例の部屋のドアから出てきた。

チラッと竜之介の方を見ると軽く会釈をする。

不思議なことにその男性は竜之介と、例の部屋を一つ開けた部屋に住んでいる人である。

何度か話したことがある。


竜之介が疑問に思いつつ、自分の部屋のドアを開けて中に入ろうとした時、今度は驚くことになった。

その例の部屋から、英琳が出てきたのである。

急いで表札を見ると、『最中』と書かれていた。

しかし、男性の苗字は確か『深澤』である。

なぜ、二人が一緒にいるのだろうか。

その(竜之介目線)意味不明な光景を前に竜之介はまたその場で立ち止まって、二人を見るしかなかった。

しかし今度は同じようにはならなかった。


「上川君。…引っ越してきました。」


「お、おう。」


「え、何、知り合いだったの?」


「上川君は学校で私と隣の席です。初日は…」


「成程ね。それならば、僕はこれでお暇するよ。」


「え、ちょっと深澤さ…」


英琳は目を逸らすと軽トラックにの持つを取りに行った。

荷台に乗っていた段ボールは、小さく見えたが英琳が取ったら案外大きく見える。

大変そうに運んでいるので、竜之介は慌てて彼女の傍へ行き段ボールを奪い取った。

その場に立ちどまってしまった英琳だったが、軽トラックに残り一つとなった荷物を取りに行くもそれも竜之介に取られてしまった。


「英琳が荷物持ったら誰が、ドア開けるの?ほら、ドア開け担当は先導してくれ。」


「………」


少しムッとなった英琳だったが、素直に従った。

部屋のドアを開けようとしてふと気が付いた。

これから密室に竜之介と二人きりになるのだと。


(二人きり…二人きり…二人きり……)


英琳は過保護な親の元で育ってきたので、威勢の友達を作ったことがなかった。

同年代の男の子と同じ部屋で二人きりになる状況など、これまでの人生において有り得ない状態なのである。

どぎまぎとドアを開ける姿は、鈍感な竜之介でも(緊張しているのか?)と思わざるを得なかった。


部屋に荷物を入れて、そのまま終わるのかと思っていたが、竜之介は自分の部屋に戻る気配を見せない。

勝手に荷解きを始めると、茶色の箱の中に一つだけ黒い箱を見つけた。

それを開けようとした時、英琳は真っ赤な顔をして焦った様子で止めた。


「そそそそ、それは開けちゃ駄目。後で、私が片付けるから…」


「お、おう。じゃこれを片付けるな。」


英琳は自分の慌て具合に気付いて、また少し焦った。

動揺を隠す為、洗面所へ向かったが自分の姿を見た彼女は落ち込んだ。

いつもと違った眼鏡姿。

まるで陰の雰囲気が漂っている。

これが嫌でコンタクトにしていると言うのに。


(あー、見られた…)

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