第9話
稔は英琳を探して車を運転していたが、どこまで探しても彼女を見つけることができない。
捜索から数十分も時間が経っていたが、まだ見つけることができていなかった。
少しの焦りを感じてはいたが、装いだけは冷静だった。
もう既に電車に乗ったのだろうと屋敷に車を引き返した。
屋敷方向に車を運転していると駅へと差し掛かった。
駅前をまさかと思いつつ、チラッと見るとそこには男性と話している英琳の姿が見えた。
(ナンパか?)
そう思い、車をロータリーに止めて近付いていくと、相手の男性が誰か直ぐに分かった。
その男性は稔と同じ位の体格をしていた。
眼鏡をかけたその横顔は稔が小学校から大学を卒業するまで、飽きる程見たものであった。
(幸三郎がいるなら大丈夫だ。念の為、連絡は入れておこう。)
深澤幸三郎と言う名の男は高身長に筋肉質、眼鏡をかけている。
いつでも冷静沈着な雰囲気の彼は、人生において判断を誤ったことがないと確信していた。
しかしその『判断を誤ったことがないという確信の判断』が、誤った判断であると指摘した男が一人いた。
彼がまだ新米刑事だった頃の直属の上司である、英琳の父でもある英生であった。
そんな英生を幸三郎は尊敬していた。人生で初めて尊敬できる人を見つけたのだ。
英琳と出会った時は、彼女はまだ小学生の頃であった。
幸三郎に信用を置いている英生は英生と妻の愛恵が出張で家を空ける時に、英琳を幸三郎に預けることもあった。
駅の近くをふらふらと仕事帰りに歩いていると見覚えのある小さなシルエットを発見したので、思わず声をかけてしまった。
幼い顔をしたその女の子は声をかけられると直ぐに逃げようとした。
「人違いではないでしょうか…」
「英琳ちゃん、」
英琳の腕を掴み引き留めると、彼女の頬には涙の跡があった。
近頃父親の英生と上手くいっていないことは聞いていたが、一体何があったのだろうか。
「こんな時間に君のように小さな女の子が、外を歩いていると危ない。今日は僕が家まで送るよ。」
「…いいですよ、そんなことしなくても。自分の力で帰られますから。」
「僕と、最中さんが心配なんだ。それと…稔もな。」
今し方着信したメールの画面を英琳に見せる。
そこには稔から『英琳お嬢様を送って行ってやってくれ。実家ではなく、彼女が借りているアパートメントに。』とあった。
「皆君のことを心配している。何があったのかはちゃんと聞くから。今日は大人しく僕に、車で送らせてくれ。」
英琳はぶつぶつと悪態をついているようだったが、渋々ついて来てくれた。
そんなところが、大人達を心配な気持ちにさせるのである。
押しに弱い。
それは彼女の良いところであり、周りが心配する要因でもある。
「で、一体何があったんだ?家出までして。そんなに嫌なことがあったのか?」
「私は…」
英琳は臨床工学技士になりたいこと、それを英生に言ったら否定されたこと、家出をしたが神崎に実家まで連行されたこと、英生は何をしても認めてくれないと確信したことを涙ながらに話した。
まさか、この年齢にもなって人前で涙するとは思いもしなかった。
だが、これはそれ程悔しいことで、それ程憤りを感じざるを得ない事案なのである。
案内された、英琳の部屋は実家から少し離れた場所にあり、車では通いにくい。
そして、幸三郎の自宅アパートメントまでもかなり距離があった。
どうせ、英琳の監視は自分に任されるのあろうと予測した彼は提案をした。
「今日は、この辺で失礼するよ。あ、でも一つ僕から条件を出そう。このままだと君のお父さんは何も認めないだろう。下手したら権力を使って君を思い通りの大学に編入させるかもしれない。そうならない為にも、僕が君を監視する必要がある。僕は適当に君の動向をお父さんに伝えるから、君は僕の部屋の近くに住んでくれないかな。」
英琳は思わぬ提案に少し、戸惑った。
何を言っているのか中々理解することができなかった。
少しの沈黙の後、彼女はそっと口を開いた。
「考えさせてください。了承したならば、来週幸三郎さんの部屋のお隣は私になっていますから。」
そう小さな声で話すと、英琳はゆっくりと音を立てないように部屋の扉を閉めた。
ややあってから、扉が開きそっと顔を出した彼女はこう言った。
「送ってくれてありがとうございました。」
幸三郎が、微笑むと少しむっとした顔になり、今度は直ぐに扉を閉めた。
それから、部屋の明かりをつけて一段落すると、やっと英琳はスマートフォンを手に取った。
すると通知画面にはあの場所に置いて行ってしまった竜之介からの連絡が入っていた。
『電話しようとも迷ったのだが、何もしてあげられなくてごめん、俺は何もできないし無力だけど、何かあったらいつでも相談には乗れるから。あと、少し心配なので事が済んだら連絡入れてください。』
その文面からは、竜之介なりの気遣いを感じた。
そんな優しさを少し感じた英琳の瞳からはまた、少し涙が溢れ出ていた。
涙を拭くと『ご心配お掛けしました。私は大丈夫だよ。』とだけ、竜之介に返信した。
本当は誰かにこの辛い気持ちを吐き出して楽になりたかったが、まだ出会って間もない人間に話すのには重すぎる話題である。
そうでなかったとしても、誰かに頼ることが苦手な英琳は頼ることができなかった。
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